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■石園 悠

【タイトル】 サレクと魔法と猫(7/10)
【作者】 石園 悠

「まあ、何て可愛らしい」
 突然すぐ近くで声がして、サレクは兎のように
ぴょんっと跳ね上がった。
「リ、リリーノ!」
 振り返れば美女が笑みを浮かべてそこにいた。
「有難う、サレク。私のために捕まえてくれたのね?」
「あ、う、うん」
 こくりと少年はうなずいた。頬が熱くなった。それを
ごまかそうと、彼はしゃがみ込んで兎を抱き上げた。
「妹さんはこの近くの町にいるんだよね? そこまで
こいつは僕が連れて行くよ」
「あら、悪いわ」
 リリーノは首を振った。
「それに、妹に会ってもらうことはできないの。病気で
酷くやつれてしまって、私以外には会いたがらないから」
「部屋までは入らないよ」
 何だか思いがけないことを言われてサレクは少し
驚いた。
「ただ、連れて行くのは大変だろうと思って」
「大丈夫よ。すぐそこだから」
「すぐったって」
 五分、十分という距離でもない。
 最後に通った町は——。
(あれ?)
 サレクは目をぱちぱちさせた。
(一番最後に町を通ったのは、いつだっけ?)
(いや、そもそも)
(……いったいどれくらい、リリーノと旅をしてきたん
だっけ?)
 不意に疑問が湧いた。
 そう、ジアンナと出会ったあの丘を越えたところ
までは覚えている。
 そのあとは、思い出そうとすると何だか霧がかかって
いるようで。
「サレク」
 女は優しく彼を呼んだ。
「私の家に案内するから、そこでしばらく待っていて
もらえるかしら?」
「家、って」
 どこの町にあるのか。いや、そんなことより、何かが
おかしくないか。サレクは額に手を当てた。
「ねえ、リリーノ」
「なぁに、可愛いサレク」
「あなたは……誰?」
 思い浮かんだ疑問をそのまま口にした。女はくすっと
笑った。
「どうしたの? おかしな子」
「だって、何だか、おかしいんだ」
 彼は言った。
「兎……そもそも、僕はどうして、理由も聞かずに
あなたについてきたんだろう……?」
「嫌だわ、坊や」
 朱い唇が形よく上がった。
「どうして、そんなことを考えはじめるようになったの
かしら?」
「え……?」
「考えなくていいのよ。あなたは、何も」
 すっと女の両手が伸びて、少年の頬を挟んだ。すると
サレクの頭は霞がかかったようになった。
「私の家にいらしゃい。そこで休むの。ゆっくりとね。
そして目を覚ましたら、また今日と同じように……」
 囁くような声。しかしサレクは何を言われているのか
理解できなかった。急に、とてつもなく眠くなってきた
のだ。
「さあ、お休み、サレク」
 がくり、と膝が崩れた。少年は猛烈な睡魔に襲われて
その場に倒れ込む。
「フーッ」
 颯爽と地面に飛び降りた黒猫が異常を感じてうなり声
を上げる。
「ご主人様の危機が判るの? でも猫になんか、何も
できるものですか」
 ふふ、とリリーノは馬鹿にするように笑った。
「この子は私のものよ。本当に、便利な子を見つけた
ものだわ」

■石園 悠

【タイトル】 サレクと魔法と猫(8/10)
【作者】 石園 悠

 何かが、おかしい。
 どこかではそう感じるのだが、何がおかしいのかが
さっぱり判らなかった。
 少年の頭はぼんやりとしたままで、美しい女の美しい
声の言うままに小動物を呼び集めては、それが消える
のを見ていた。
 何がおかしいのか、判らなかった。
 肩にいつもの重みがないことすら。
「サレク……サレク」
 リリーノが呼ぶと、もう何も考えられなかった。
 そうして、しばらく時間が経った。
 サレク自身には、時間が経ったという感覚もなかった
が。
「さあ、今日もお願いね」
 妖しい声が言う。少年はうなずき、目を閉じて念じ
る。気の毒な獲物が近寄ってくる。そして、それを
狙う生き物が。
「そこまでよ!」
 凛と鋭い声がした。
「あんたの正体はもう判ってるわ。とっととサレクから
離れて、どこかの穴ぐらにお帰り!」
「何ですって」
 リリーノの顔と声が険しくなった。
「お前は何者」
「女狐に名乗る名前なんかないわ」
 艶やかな長い黒髪をした少女は、金色の瞳を怒りに
燃やしてそう言い放った。
「サレクを返しなさい!」
「ちっ……天涯孤独だと思ったのに、探して追いかけて
くるような小娘がいたとはね。でも逃がさないわ、
この子の力は便利だもの」
 女の唇はありえないくらいの高さまで上がり、
その目は細く長く不気味につりあがった。もし正気の
サレクが見ていたら、とても「美女」とは思えなかった
だろう。
 もっとも——そこには違う美しさがあった。
 人間ではない、何かの。
「サレクを、返せ!」
 叫んで少女は地面を蹴った。その跳躍力は尋常では
なかった。少女は敏捷な戦士でも詰められないであろう
距離を飛び越え、一気にリリーノに掴みかかった!
「ひっ!?」
 リリーノは不意をつかれ、背中から大地に倒れこんだ。
「フーッ」
 少女は高く上げた右手を振り下ろし、女の顔に鋭い
爪を立てた。
「ギャッ」
 大きな悲鳴を発し、リリーノは傷を押さえると同時に
少女を蹴りつけた。いや、少女はその前にまたひらりと
飛び上がった。
「なめんなよ。狐なんかに負けるもんか!」
 フギャアア、と威嚇の声を出して少女は再び女に
飛びかかると引っかき、次には噛み付いた。女は
ほうほうの体で少女の攻撃から逃れると、瞳を
赤い怒りに燃やした。
「おのれ、さては化け猫か! たかが猫の分際で
よくも!」
「はっ、化け狐に言われたくないね! もう『病気の
妹』への餌は充分だろ、サレクを解放しろ!」
 牙をむいて少女は命じるように言った。
 化け猫と化け狐は数秒間そのままにらみ合い、空気は
緊迫した。
「……ええい、いい加減に」
 先に痺れを切らしたのは黒髪の少女の方だった。
「馬鹿サレクっ、目ぇ覚ませっ!」


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