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■明乃紫苑

【タイトル】 月影の予兆
【作者】 明乃紫苑

「どこへ行くのかな《竜槍》」
 月明かりの下、
どこからともなく男の声が聞こえてくる。
「私は執行者ではありません。そのような異名を
名付けられても困りますよ《怪盗紳士》」
 寒々しい光に照らされたのは長身の女性。
背の高さもさることながら、その赤く長い髪に
身長と同等の長さの槍が特徴的だった。
「失礼。その手にした槍に施された竜の意匠、
その美しさのあまり
そう呼びたくなってしまったのだよ」
 そう言われて女は槍へと視線を落とす。
「それだけではない。
その槍をまるで羽根のように扱う体捌きは
《剣帝》と良い勝負が出来ただろうにと、
そう思ってね」
「死者との比較に意味はありません」
 女は再び前を向き、歩き出す。
「その先にあるのは、クロスベル。
あの街へ向かうということは、
記憶が戻ったということかな」
「半年ほど前からその兆しはありません。
ただ、呼ばれた気がしたのです」
「何に」
 その問いに足を止め、一言。

「クロスベルに」

 一陣の風。
それは世界が女の言葉を肯定するかのようだった。
「詩的な言い回しだと称してしまうのは、
その瞳の前では失礼に当たるようだ」
切れ長の眼。髪の燃えるような赤とは対照的に、
深海を思わせる青色の瞳は冷たく鋭かった。
「キーアという少女を探すといい」
直前の言葉とは関連性を見出せないことを
《怪盗紳士》は言った。
「その少女が何か」
「君の記憶を呼び覚ますきっかけに
なるのではないかと思ってね」
「そう、ですか。情報、感謝いたします」
告げられた内容に疑念をさしはさまず、
ただ礼を述べて再び歩き出す。
遠ざかる女の背。それを見送るように
《怪盗紳士》は暗がりから姿を現す。
それは白い外套を羽織り、
顔を仮面で覆った者だった。
(君のその手に握られた槍。
《博士》の調べでは現存する物質ではないそうだ。
それは《結社》さえも知らぬ未知なる物なのか、
はたまた古代文明の遺物なのか。とても興味深い)
仮面から覗く口元が僅かな笑みを浮かべる。

「リヴィエラ」

 女が唯一覚えていた名を《怪盗紳士》は呼んだ。
まだ声の届く距離。
その呼び声にリヴィエラは立ち止まって振り向く。
「君の記憶が戻るのを願っている」
リヴィエラはそれには答えず
《怪盗紳士》の仮面を一瞥してから前を向き、
歩き始める。
(あの日、クロスベル郊外で
倒れている君を見つけたのは運命だったようだ。
ふふ、またクロスベルが動きそうだ。
私も再びあの地へと踏み入れる事としよう)
《怪盗紳士》は飛び上がり、
月を背にリヴィエラを見下ろした。

「さて、君はどんな美を見せてくれるのかな」


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