吐息 Shotr Stories
 [ 第一回 ]


プロローグ・メルレットの回想


気がつくと、私は砂漠をさまよっていた。
誰かに姿を見られたら、気のふれたかわいそうな女だと思われるに違いない。
なんの装備もせず、ただ紫の衣だけをまとって、裸足で砂を踏みしめる。
足元の砂は地平線へ連なり、そこから先は夜空に昇って光り出す。
世界の全てが、星と砂で出来ているように思えた。
私は、どこへ行くのだろう?

ギド・カーンを倒す。
そう決意したとき、私の中で声がした。
誰の声ともわからない。
男のような、女のような、あるいは人でないような。
耳に聞こえる音ではない声が、私を誘った。
その声に導かれるまま、あてどもない旅に出て、今もまた、こうして砂漠にいる。

声は、私をメルレットと呼び、知恵と技とを与えてくれた。
私は、火、水、土、天の四つの元素から生まれた精霊…ネイティアルを操る術を身に付けた。
いよいよ、あの獅子面の悪魔、ギド・カーンと戦う準備が調ったと思ったとき。
声は言った。
「砂漠へ行け」

理屈など、ない。
声の要求は、いつも突然で、有無を言わせない。
私は命ぜられるまま、砂と星の海を泳いだ。
永遠に連なる砂丘をひとつ越え、ふたつ越え、もういくつめだったかわからなくなったところで。
三日月の下に、台形の影が見えてきた。
忘れ去られた遺跡か。
灰色の石が、きっちりと隙間なく並べられている。
その上で芝居が出来るくらい、広くて真ッたいらな露台だ。
こういうものを、以前に見た覚えがある。
そう、これは、墓(マスタバ)。
古代遺跡によくある形…砂漠の民が好んで作る形だ。

私はマスタバの表面を撫でてみた。
滑らかで、石と石のつなぎ目には、カミソリ一枚、入る隙間もない。
のっぺらぼうの壁は、どこも同じに見えて、入り口も窓もなかった。

ふいに、カスタネットの音がした。
鋭い響きに耳を打たれ、空を見上げる。
三日月を背負って、大きな鳥が舞い降りてきた。
長い首、鎌形のくちばし、水かきのついた脚。
胴と翼が純白で、首や尾のような末端の部分が闇の色をしている。
黒朱鷺だ。
私は目を疑った。
朱鷺は水辺に住む鳥ではないか。
こんな砂漠の真ん中に、どうして飛んで来たのだろう。

私は目を疑った。
クリックすると大きくご覧になれます

朱鷺はマスタバの一辺に、ふわりと舞い降りた。
鎌形のくちばしを天に向けて、一声あげる。
カスタネットの正体は、これだ。
朱鷺は長い首を蛇のようにくねらせて、こちらに一瞥くれ、足元の石をくちばしで軽く叩いた。
私は、朱鷺が示した石に触れた。
右手が沈む。
石が滑り、のっぺらぼうの壁に、ぽっかりと四角い入り口が開いた。

朱鷺は、カスタネットの声で啼き、黒い穴の中へ入っていった。
案内してくれるつもりなのか。
私は大きく息をつき、後を追った。

そこから先は、暗くて狭い階段が続いていた。
灯りが欲しくなったので、炎のネイティアルを呼び出すことにする。
「ダルンダラ!」
私の声に従って、巨人の首が現れた。
階段の幅いっぱいに、大きな首だけが浮遊している。
ダルンダラは、青白い炎の髪の毛を逆立てて、行く手を照らした。

階段が尽きると、巨大な一枚岩の扉があった。
その前で朱鷺が待っている。
首の長い水鳥は、扉に刻んである神聖文字をつついた。
ダルンダラの炎に照らされて、鳥や動物を象った文字が揺らめいている。
それは、楕円形の枠飾りでくくられていた。
古代の書式では、人名を表す時、このようにする。
おそらく、この墓の主の名前が書いてあるのだろう。
私は、指と目で文字をなぞった。

メルの王・ヘセティ四世の娘。女祭司…
「あっ!」
私は、思わず声をあげた。
ダルンダラが、私の心を映して、激しく燃え上がる。
青白い光が、一層文字を浮きたたせた。
「…メル・レー・トゥ…」
一文字ずつを、ゆっくりと区切りながら発音してみる。
メル・レー・トゥ。
現代語風につなげて読めば…
「メルレット」
いつもの声が胸の中に響いた。
私は、思わず、衣の胸の辺りを握りしめた。
「見よ。
 そして、得るべきものを得るがよい」
声とシンクロするように、朱鷺が羽ばたいた。
カスタネットの声で啼く。
一枚岩の扉が、左右に割れた。
ゆっくりと。
ダルンダラの炎が、扉の奥を照らし出した。

「…メル・レー・トゥ…」。
クリックすると大きくご覧になれます

真四角な部屋がある。
四方の壁には、びっしりと神聖文字が刻まれている。
古代神を象った壷が円形に並び、陣を作っていた。
円陣の内側には雌ライオンの棺がある。
中にミイラが入っているのだろう。
ライオンは生前の姿そのままに、床に座り込んでいる。
全ての中心には、人型の棺が横たわっていた。
表面に死者の肖像が描かれている。
アーモンド型の大きな目。
そのまわりをくっきりと縁取る黒いマスカラ。
緑色のアイシャドウ。
すっきりと通った鼻筋。
小さめの唇。
様式化されているものの、古くから砂漠に暮らす民族の特徴が出ている。
化粧をしていなければ、よく知った顔に似ているような気がした。
そう、この顔は、いつも鏡の中で見ている。

私は、ためらいながら、棺の側へ歩み寄った。
とたんに、棺とそれを取り巻く神々の壷が光りだした。
「恐れることはない」
声と同時に、朱鷺が羽ばたいた。
神々の壷のひとつにくちばしを向ける。
子供の姿を象った壷だ。
頭の片側だけに編んだ髪の毛を垂らし、腰の周りにビーズの帯を巻いている以外には、何も身に付けていない。
肩の辺りに一本の横線が入っており、頭部が蓋になっていることが見て取れた。
胸に、神聖文字で『息吹(トゥ)』と刻まれている。
「開けよ」
声が言った。
私は命ぜられるままに、ゆっくりと童神の壷に手をかける。
朱鷺が啼いた。
鋭いカスタネットを合図に、砂嵐が巻き起こった。
嵐に包まれて、何も見えなくなる。
ダルンダラの灯りも役には立たない。
空間が歪んだ。
そして、私は時を越えた。


第一回・終わり




©Nihon Falcom Corporation.
All rights reserved.