吐息 Shotr Stories
 [ 第六回 ]


王女は、まっすぐに背中を伸ばし、堂々とした歩みで市場へ向かった。
セクメトを従え、まずは騒ぎのあった水売りの商人のところへ戻る。
太った商人は、王女の姿を認めて、大げさに驚いた。
「おや、まあ、おや!
 さっきの坊ちゃまじゃありませんか!」
戻ってくるとは思っていなかったのだろう。
「そなたに水をもらったのに、代価を払わなかった。
 すまぬことをしたな」
王女は帯につけた小さな麻袋から、銀の粒を取り出した。
商人は、手の上に思わぬものを乗せられて、目を白黒させ、
「おお、レーよ!」
と、神を呼ばわった。
そして、王女に再び椅子を勧めると、いそいそとレモン水の杯を持ってきた。
もちろん、セクメトにも、犬用の皿になみなみと水を注いでくれた。
王女は、今度こそゆっくりとレモン水を楽しんだ。
商人はうれしそうに揉み手をしながら、にこにこ、にやにやしていた。
「ずいぶんに、ご祝儀をいただきまして」
と、丸い顔を文字通りはちきれそうにほころばせている。
「そなたに、聞きたいことがあるのだが」
王女が切り出すと、商人は一層派手に両手を揉みしだいた。
「なんでございましょう。
 おかわりなら、いくらでもございます」
「水はもういい。
 私は、この首飾りを持ち主に返したいのだ」
「はあ?」
王女は、瑪瑙の首飾りを示した。
「先程の騒ぎで、つい、持ったままになってしまった。
 あの子供に返そうと思うのだが…」
商人は、眉をしかめた。
疑ぐり深そうに斜めに王女を見つめ、首をかしげながら、あごをなでる。
やがて、なにかを思いついたように、ちょっと眉を開いた。
「あのー、もしかして…」
少し腰をかがめ、王女の顔をのぞき込む。
「坊ちゃまは、この首飾りが、あの子供のものだとお思いなんで?」
「違うのか?」
王女は何も疑っていない。
「違いましょうや、そりゃ!」
水売り商人は、両手を上に向けて、大げさに肩をすくめた。
「ありゃあ、かっぱらいですよ!」
「カッパライ?」
王女は目をぱちくりした。
そんな言葉は、聞いたこともない。
商人は、また「おお、レーよ!」と、神を呼ばわった。
「あのガキはね、どこぞの店から、この首飾りを盗んだんですよ!」
「盗んだ?」
「そうです!
 それで、店の者に追っかけられて、逃げきれなくて、坊ちゃまを巻き込んだんです!
 あたかも坊ちゃまの命令でやったように見せかけて、ね。
 あなたは、ハメられたんですよ!」
「ハメられた?」
この言葉も、意味がよくわからない。
どうも、商人の言葉は、同じメルの言葉でありながら、王宮の言葉とは違うようだ。
商人は三度目の「レーよ」を叫んだ。「どういう物知らずなんだ、この坊ちゃんは…」と、口の中でぶつぶつ言った。
「ねえ、坊ちゃま」
水売りは、さんざんあきれた挙げ句、王女に向かって言い聞かせた。
「どこのお屋敷からおいでか存じませんがね。
 早いとこ、お父さまとお母さまのところへお帰りになった方がいいですよ」
「しかし、これを返さなければ」
「ああ!」
水売りは額をぴしゃりと叩いた。
「…全く、こんなのにかかずらわったら、どんな面倒に巻き込まれるか、知れたもんじゃないわい」と、つぶやく。
水売りは、しかめていた眉を下げ、わざとらしい笑みを浮かべた。
「ま、どうしてもお探しになりたいなら、宝石商でも当たってみることですなあ。
 この首飾りを置いていた店がわかるかもしれません」
「宝石商か。
 それは、どこにあるだろう」
「宝石商は、高価な物を扱いますから、露店を出すことはあまりないですよ。
 ここらあたりより…西の方の通りに行ってみた方がいいでしょうね」
「そうか」
王女は空の杯を商人に返した。
元気よく立ち上がり、
「世話になった」
「いえいえ、どういたしまして」
水売り商人は、両手を腹の前で組んで、微笑みを返した。
王女は、律義に、二つ目の銀粒を水売りの手に乗せた。
そして
「行こう、セクメト」
と、西の通りを目指した。


西の通りは、確かに、水売りのいた通りとは趣きが違っていた。
いくぶん人通りが少なくて、なにより、騒がしい売り声があまりしない。
道ゆく人々の服装も、豪奢なものが多い。
水売りの言うとおり、高価なものを扱う店が多いから、行き交う人々の種類が自ずと限られてくるのだろう。
日干しレンガの四角い店々の前には、華やかなカツラをかぶった客引きたちが並んでいる。
その売り込みは決して押しつけがましくなく、上品な感じだ。
王女は、客引きたちの愛想笑いを受けながら、往来の真ん中を歩いた。
左右を見回して、似たような首飾りを扱っている店がないか、探してみる。
だから、あちこちの客引きから、上品な売り込み攻勢を受けるハメに陥った。
律義な王女は、そのいちいちをていねいに断り、辛抱強く件の首飾りの出どころを探して歩く。
そんな悠長なやり方をしていたものだから、文字通り日が暮れてしまった。
西の通りを半分くらい歩いたところで、太陽はメルの塔の向こう側へ姿を消そうとしていた。

「見つからないね、セクメト」
王女は肩を落として、ライオンを見た。
セクメトは大きなあくびをし、「帰ろうよ」とでも言いたげに、しっぽを振った。
「でもねえ…」
王女は首飾りを握りしめ、途方にくれた。
その時。

「放せよ! 放してくれよう!」
泣き出しそうな男の子の声が聞こえた。
「とうとう捕まえたぞ!
 もう、容赦はしないからな」
野太い男の声も聞こえた。
王女は考えるより先に、声がする方へと走った。
路地裏。
四角い箱のような建物の隙間に。
棍棒を持った三人の男と、八歳くらいの男の子がいた。
男の子は壁際のどん詰まりに追い詰められ、その前に男たちが立ちはだかっている。
王女が路地裏に滑り込んだとき、大きな男の後ろ姿が腕を振り上げた。
「待て!」
王女は弓弦を弾くように短く、鋭く叫んだ。
その声に打たれて、男たちが一斉にこちらを振り返る。
「てめえ、さっきの…」
男たちは気色ばんだ。
青筋を立てた三つの顔には、見覚えがある。
壁を背にして縮こまっている男の子も、さっき首飾りを押しつけてきた子に相違ない。
どうやら、探していた者たちに会えたようだ。
こんな形だが。

王女は、棍棒を恐れもせず、ずいっと男たちの方に足を踏み出した。
セクメトが体を低くして構える。
ライオンの牙にたじろぐ、男たち。
王女は、唸りだしたセクメトを片手で制した。
微妙な間合いの中で、静かにもう片方の手を掲げる。
華奢な指先に、瑪瑙の紅色が光った。
「これを返しに来た」
王女は鷹揚に言った。
男たちは拍子抜けしたように、振り上げた腕を下ろした。
しばし、沈黙。
「返しに…来ただと?」
ようやく、ひとりがつぶやくような声をもらした。
よほど、信じられないらしい。
助けられているはずの男の子も、目を白黒している。
「受け取るがよい」
王女は腕を更に突き出し、一番近くにいた男の胸の辺りにかざした。
男は、王女の動きに操られるように、ゆっくりと首飾りを受け取る。
「よかった。これで、持ち主に戻せた」
王女は微笑んでみせた。
男たちは毒気を抜かれたのか、しばらくぽかんとしていたが、やがて、
「ば、馬鹿野郎…!」
と、叫んだ。
「品物を返せば、許してもらえるとでも思ってるのか!」
再び棍棒を振り上げる。
全く、上げたり下げたり、忙しい。
「では、どうすればいいのか?」
王女は率直に尋ねた。
「どうすればって…
 盗っ人を許しておくわけにいくか!
 きちんとしめしをつけておかなきゃ、また同じことを繰り返す!」
「まだ幼い子供ではないか。
 私が言ってきかせるから、ここは納めてくれぬか?」
「へっ!」
男のうちのひとりが、鼻をならす。
別のひとりが、仲間の肩をつかんだ。
なにやら、ごちゃごちゃと相談を始める。
つぶやきながら、ひとりが人指し指を突き立て、耳の上でくるくる回した。
王女には、見たこともない仕草だ。
男たちは話し合い、やがて王女の方に向き直った。
「まあ、いいや。
 今度だけは、あんたに免じて、許してやるよ」
手のひらを返したように怒りを納めている。
王女は安堵して、
「わかってくれてうれしい」
と、微笑んだ。
男たちのひとりが、抜け目なさそうな顔で進み出る。
「けどよ。
 俺たちは、宝石商の旦那に雇われた身分なんだ。
 盗っ人を捕まえて行かなけりゃ、今日の給金は出ねえ」
こう聞いて、王女は大まじめにうなずいた。
「なるほど、それは困るだろう」
ちょっと首をかしげて考えた後、
「ああ、いいものがある」
と、耳たぶに手をやった。
捻じれた毛房の間から、金色に輝く耳飾りを取り出す。
「これで、給金の代わりになるか?」
惜しげもなく、耳飾りを差し出した。
男たちは、それを受け取り、代わる代わる手にとって眺めまわした。
太陽の光芒を象ったそれには、細い金の短冊がいくつもぶらさがっている。
小ぶりだが、全ての短冊が紛れもない純金だ。
男たちは互いの顔を見やり、最後に王女の顔を見た。
王女は三度、高貴な微笑みを向けた。
商談成立。
男たちは薄笑いを浮かべながら、路地裏を出て行った。
建物と建物の隙間には、王女とライオンと男の子だけが残った。

第六回・終わり




©Nihon Falcom Corporation.
All rights reserved.