吐息 Shotr Stories
 [ 第九回 ]


それからしばらくの間、穀物庫の中は泣き声で満ちた。
男も、女も、子供も、みんな泣いた。
セクメトは困ったように自分の尻尾を追いかけながらぐるぐるまわり、青年はひょろ長い腕を持ち上げて、耳をふさいだ。
王女は、そっと男の子に歩み寄った。
「ごめんよ!
 おいら、やめてって父ちゃんに言ったんだ!
 でも、父ちゃんに怒鳴られて…しょうがなくて…」
男の子は一生懸命謝った。
王女は微笑んで、首を横に振った。
「気にしなくてもいい。
 それより、父御には、すまぬことをした。
 ケガがないといいのだが…」
王女はしゃがみこんで、男の首に手を当てた。
「…ふむ。脈はある」
鼻に手をかざすと、息を感じることもできた。
血が出ている様子もない。
「…自業自得なんです、この人は」
男にすがっていた女が顔を上げた。
王女は小さく息をついて、女の顔を見た。
続けて、男の子や他の者たちのことも見回す。
みんな、泣いたりすすり上げたり。
とても人さらいをするような悪党共には見えない。
王女は優しく言った。
「何か理由があるのだな。
 よければ、話してくれぬか?」

人々は、王女の周りに集まって、車座を作った。
青年に追いかけ回されて縮み上がっていた男のうちのひとりが、説明を始める。
「…わしらは、この近所で麦を作っとる百姓でごぜえます。
 今年は麦があんまり不作で…このようなことをしてしまいました」
「不作?」
王女は穀物庫の中を見回した。
なるほど、だから、ここが空っぽなのか。
「ハピの河に元気がありませんで」
男は、すすり上げた。
「ちっとも水が暴れませんでした。
 だから、肥えた土がここまでやって来なかったのです」
メルの国の農業は、ハピの河に依存している。
一年の気候は、雨期と乾期に分かれ、雨期にはハピの水があふれ出す。
水と一緒に、上流から運ばれてきた肥沃な土が辺りにぶちまけられ、絶好の農地が出来上がる。
農民たちは雨期の終わりを見計らって、その肥えた土の上に種をバラまく。
すると、放っておいても麦がたっぷりと実るのだ。
そもそもメルが豊かな国と言われるのは、これが所以である。
「わしらは仕方なく、干からびた土に種をまきました。
 もちろん、収穫は最悪でした」
王女はうなずいた。
唇に軽く指先を当て、最近の王宮でのことを思い出してみる。
しかし、凶作にまつわるような話は聞き覚えがなかった。
王女の耳には届かないようになっていたのだろうか。
男は、またすすり上げて、続けた。
「でも、どんなに不作でも、年貢だけは納めなくてはなりません。
 わしらは、わずかに穫れた麦を、王様に届けました」
王女は眉をしかめた。
父上は、困窮する農民から、税を搾り上げたのか?
「なのに、それでも足りなかったのです!
 わしらは牛を売りました。ありったけの服も売りました」
「だけど、食い物だけは、食わなくちゃ、生きていかれねえ!」
別の男が叫んだ。
「盗むしかなかったんだ!」
「それでも、なるべく金持ちから盗むようにしたんだ!」
「どうしようもなかったんだよう!」
火がついたように、人々は次々と叫び出した。
そして、また泣いた。

王女は自分の両肩を抱いて身震いした。
農民たちがかわいそうだ。
それだけではない。
父上は一体、何ということをしているのだ?
困っている者たちを助けるどころか、無茶な税を搾り取ろうとしている。
知らなかった。
私は、王宮でのうのうと暮らしていた。
この人たちを踏みつけにして!

王女は急に立ち上がった。
「私に任せよ」
人々は驚いた顔で王女を見上げた。
農民たちを斜めに眺めていた青年は、眉をぴくりと動かした。
王女は両手を握りしめて、強く宣言した。
「必ず、そなたたちを困窮から救ってみせる!」
決然とした声。
「…どうするってんだよ…」
青年が冷たくつぶやいた。
王女は、ちらりと青年を見る。
「わけあって、その方法を明かすわけにはゆかぬが…」
青年のしらけた物言いをかき消すように、凜として、
「安心して待つがよい!
 そなたたちが、おなかいっぱい食べられるようにしてみせる!」

*      *      *

王女は軽やかな足どりで、踊りながら砂漠を歩いた。
漆黒の空に、星が降りしきる。
砂は銀色にきらめいて、王女の足をやさしく受け止めた。
行く手にはメルの都が見える。
王女とセクメト、青年の三人は、農民たちと分かれて都に戻ろうとしていた。

王女はセクメトとじゃれながら、跳ねたり、走ったりした。
手足に付けていた黄金の輪がなくなって、やたらと身が軽くなった思いだった。
金目のものは、みんな農民たちに預けてきた。
本当に助けてあげるまでの、当座の生活のために。
「いいのかよ、あんなこと、言っちゃってさァ」
青年だけが、ぶつぶつ言った。
必要以上に足を蹴り上げ、砂を巻き上がらせている。
「王宮の宝物庫を開けばよい」
王女はすまして答えた。
「不作と言っても、今年だけのことだ。
 去年までに穫れた麦も、いくらかは貯蔵してある。
 それも出せば、なんとかなる」
「そう、うまく行くのかねえ?」
「父に頼む。必ず、そうさせてみせる」
青年は腕を組んだ。
ちょっと意地悪い調子で、
「根本的な解決にゃあ、なってねえと思うな。
 もし、来年も不作だったら、どうするんだ?
 可能性はあるんだぜ」
「その時は…」
王女は少し首をひねった。
すぐに、思いついて、
「そういうことに備えて、今から新しい農業の方法を考えよう。
 叔父上に相談して、灌漑の方法など、新しい技術を開発する」
「父上に、叔父上ね」
青年は横目で王女を見た。
「で、姫様は?」
王女はムッとする。
「無論、私も努力する。
 今までのように、王宮に閉じこもっていたりはせぬ」
「シェメウに嫁っても?」
「そなた…」
王女は立ち止まった。
主人の気持ちが変わったのを察したのか、セクメトも凍ったように動きを止める。
夜風が、王女と青年の間を吹き抜けた。
「どうして、そんなことを知っている?」
「知っている、って…」
青年は肩をすくめてうそぶいた。
「誰だって、知ってるじゃないか。
 メルの第一王女はシェメウに嫁ぐ。
 そうやって、メルとシェメウは同盟を結んでるんだ」
「そなたは、なぜ、私が私とわかった?」
「それは前にも言ったぜ。
 ライオンを飼ってるようなお大尽は、限られてる」
「どうして、私をつけ回すのだ?」
「助けてやったのに、その言い方はねえよなあ」
青年は、すっトボケて、両手をひらひらさせた。
「ま、お姫様なんて珍しいから、ちょっかい出してみたかっただけさ」
足を蹴り上げ、ごまかす青年。
砂煙。
ふざけていて、王女を見ない。
「そなた、何者だ!」
王女は鋭く問うた。
弓弦の響きを持つ、王者の威圧をこめた声。
「名乗るほどのもんじゃァないよぅ」
青年は妙な節回しをつけてトボケた。
「名乗れ!」
「ちぇっ。横暴だな」
青年は両手を腰に当て、あごを突き出した。
細い目で、しっかりと王女の目を射る。
大きな口を必要以上に大きく動かして、
「俺様は、セケム」
「セケム?
 変な名前だな」
セケムとは、犬という意味だ。
この言葉には、侮蔑の含みがある。
『卑しい』『図々しい』『お世辞を使う』人物に向けられる悪口だ。
宮廷でも、よく使われている。
「親がそんな名前をつけたのか?」
純粋な驚きだけを理由に、王女は問い返す。
セケムは鼻で笑った。
「…いねえんだよ、親なんて気の利いたもんは」
相変わらずのふざけた調子。
「俺は、ノラ犬。
 生まれたときから、都の端っこに転がってた。
 気がついたら、みんなから、犬っコロって呼ばれてたのさ」
ヘラヘラ笑う。
王女には、その態度が悲しく思えた。
「…なぜ、そんな言い方をする…」
「あんたが言わせたんでしょうが」
セケムは屈めていた体を起こし、両手を広げた。
喜劇役者の身振りでおどける。
「お人好しなんだよ、姫様は」
口の端を引っ張って持ち上げると、本当に犬のような犬歯が光った。
「いちいち同情したって始まらないぜ?
 あんたはあんた、俺は俺」
大きな手のひらを天に向ける。
「そんでもって、百姓共は百姓共だ。
 みんな、それぞれの星巡りってわけさ」
セケムは背中を向け、大げさに手足を振りながら、都の方へ歩いた。
「そうだろうか。
 …私は、星に任せてなどおれぬ」
王女は低くつぶやいた。
セケムはやたらと広い肩ごしに、こちらを振り返った。
細い目に、ふと真剣な光が宿る。
しかし、すぐまた、おどけた調子に戻って、
「早く御殿に帰りなよ。
 送ってやっからさァ」

*      *      *


第九回・終わり




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