吐息 Shotr Stories
 [ 第十二回 ]


ビール壷から這い出した時、王女は天国についたのかと思った。
長いこと窮屈な姿勢で、ビールのにおいをかぎ続けていたものだから、フラフラだ。
頭からおなかまでを壷から出したところで、へたばってしまう。
すぐ隣で、セクメトが「ゲーッ」と大きなゲップをした。
おんなじように、半分壷の中に入っている。
「どうする、おうちに帰る?」
セケムのトボケた声がした。
ふたつの壷を運んできた橇にもたれかかっている。
細長い体のまわりに湯気が上がって、蜃気楼のように見えた。
王女は、キッと唇を結び、勢いよく体を壷から引き抜いた。
「あつ…!」
灼けた砂の上に転げ落ちる。
セケムが腰をかがめ、ひょろ長い腕を差し出してくれた。
王女は、その腕を避けて立ち上がった。
「かわいくないねえ」
セケムは、にやにやしながら、また橇にもたれかかった。
「お望み通り、メルの塔に、ご案内してあげたのに」
大きな手のひらで、首の辺りをひらひら扇ぐ。
その後ろには、光と影に塗り分けられた三角形がそびえ立っていた。
一面の砂の海に。
砂と太陽しかない世界に。
メルの塔は、ただ、建っていた。
王女はまぶしさに目を細め、額に手をかざして、巨大な塔を見上げた。
以前、デペイ叔父から聞いたところによれば、両手を広げた王女が九十六人並んで、やっと一辺の長さになるのだとか。
高さは一辺のちょうど半分で、三角の壁は円を七等分した角度に傾いて…
神秘的な数字で構成されているのだというが、意味はわからない。
ひたすら大きい三角形なのだ。
それ以外には、なんともとらえようがない。
入り口も窓もない、のっぺらぼうの三角。
壁は全て花崗岩で出来ており、表面は鏡のようになめらかだ。
僅かに灰色がかった白い石肌は、どうかすると銀色にも見える。
灼熱の太陽がくすみもせず、銀の鏡の上で弾けている。
いや、爆発しているとか、炸裂していると言った方が正しい。
口を開けて眺めていたセクメトが、盛大なくしゃみをした。
「さて、一応、やってみますかね」
セケムが橇の荷台から木槌を取り出した。
麦を叩くための道具だ。
「そんなもの、どうするのだ?」
王女は荷台をのぞき込んだ。
そこには、いろいろな道具が用意してあった。
穴を掘る棒、輪にした長い綱、天幕、油壷と油皿、水壷、子牛の腿肉、乾したナツメヤシの実…
「なんだこれは」
「だって、冒険するんでしょ?
 このくらい、持ってこなくちゃ」
「いつの間に…」
「ここまで来る道すがら、ね」
セケムは素っ気なく言って、メルの壁を叩き出した。
コンコンと軽い音がする。
王女は、首をかしげて立ち尽くした。
セケムが振り向く。
「ボーッとしてないで、手伝ったらどう?」
「あ…すまぬ」
オロオロする王女。
どうしたらいいのか、わからない。
そもそも、セケムは何をしているのだろう。
「そこにある棒でもなんでも、固いもので壁を叩いてごらん」
ひょろ長い後ろ姿が、手を止めずに言った。
「叩いて…?」
王女はおずおずときいた。
「壁の向こうに空洞があれば、ポコポコ間抜けな音がするよ」
「なるほど、そうか!」
王女は手を打った。
「そこが入り口というわけか。
 そなた、なかなか知恵者だな」
早速、セケムの橇から穴掘り用の棒を持ってくる。
「ま、気休めだけどね」
セケムは壁をコンコンやりながら、付け足した。
「気休めとは?」
「ここには、ものすごいお宝が眠ってるんでしょ?
 そんじょそこらの泥棒にゃ、手が出せないように作られてるに決まってるじゃない。
 壁なんか叩いたって、無駄かもしれないよ」
「では、この作業には意味がないのか?」
王女は、あきれ声を出した。
セケムは作業の手を休めない。
「さあね。
 音が変わらなくても、石をくまなく見ていけば、なにか手掛かりがあるかもしれない。
 入り口は、壁じゃないんだ。
 どこか、まわりとは違う特徴があるはずさ」
「…気の遠くなるような作業だな」
王女はため息をついた。
セケムが急に手を止める。
細長い顔が王女の方を向いた。
「侍女でも呼んでみるかい?」
太陽の鑿に削られたセケムの顔に、表情はなかった。
眉間でつながりそうな一本線の眉の下で、細い目が光っている。
その視線に射抜かれて、王女は、今まで感じたことのない鋭い痛みを覚えた。
いきなり頬を張り飛ばされたような…。
セケムの目を見返すことが出来なくて、うつむく。
黙って棒を持ち、壁を叩いた。
セクメトも、マネをしているつもりなのか、前足で花崗岩を叩く。
コンコンという音が、砂の海にむなしく散っていった。

      *      *      *

「私の責任でございます」
ウネベトは、膝が胸につくほどに体を折り曲げ、床にひれ伏した。
大きな尻は、頭よりも高い位置にある。
王の執務室。
いくつもの書類や印章が納められた壁に囲まれて。
石造りの大きな机に、ヘセティ四世が両肘を置いている。
王の左右には書記、正面には将軍と数名の大臣がいた。
その中で。
一度ならず二度までも、王女を家出させてしまったウネベトは、教育係としての責任を問われていた。
満座の視線が、太った女教師を非難している。
「おもてをあげよ。悪いのは、そなたではない」
ヘセティ四世は、声を荒げずに言った。
カツラに付け髭、まぶたにきちんと孔雀石の粉を塗り込んだ顔は、壁画のようだ。
「あれは、一体何が不満だというのだろう?」
「難しいお年頃でいらっしゃいますから…」
ウネベトは何度も額を拭った。汗が止まらない。
将軍が王の方に一歩進み出た。
「即刻、捜索隊を出しましょう」
「うむ。このようなことで兵を動かすことを遺憾に思う。
 王女が見つかった後には、通常の分に加えて、倍量のビールとパンを支給しよう」
「ははっ」
将軍は胸に手を当てて礼をし、執務室を退去した。
「ウネベト」
王は、まだ床にひれ伏している女教師に声をかけた。
「すまぬが、そなたも将軍と一緒に行ってはくれまいか?」
ヘセティ四世は、王座から降りて、ウネベトの前に立った。
「無理矢理連れ戻すより、自ら帰るよう仕向けたい」
壁画のような顔に、父親の表情が浮かぶ。
ウネベトは額を床にすりつけ、
「必ず!」と言った。
おたおたと立ち上がって、将軍の後を追いかけようとする。
執務室の出口で、誰かとぶつかった。
そのまま、勢いに押されて、石の床に転げる。
床と脂肪の間で、誰かが「きゅー」とうめいた。
ウネベトは、慌てて身体を退ける。
「陛下!」
小柄な男が、脂肪の下から這い出てきた。
頭に四角い布をかぶっている。
このいでたちは下級書記のものだ。
書記は、右手に持ったパピルス紙を高く掲げた。
巻き物がぱらりと拡がる。
薄黄色い地の色に、赤い鷹と糸巻きの印が躍った。
シェメウの国章だ。
「使者が来ました。献上品のことで話があるそうです」
書記の声は震え、顔色は青ざめていた。
「よろしい。謁見する」
ヘセティ四世は、普段と変わらぬ穏やかな足どりで執務室を出た。
泰然とした背中。
諸侯たちは胸の前で腕を交差させ、王の後ろに続いた。
戸口の側にいたウネベトだけが、王の横顔を見た。
壁画のような無表情。
しかし、王笏を握る右手の甲には筋が浮きたち、蛇のようにのたうっていた。



 第十二回・終わり




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