吐息 Shotr Stories
 [ 第十四回 ]


「姫様! おい、姫様ってば!」
セケムの声がした。
「どうしちゃったんだよ?」
ふと気付くと、大きな手に両肩をつかまれていた。
がくがくと揺さぶられている。
「朱鷺が!」
王女はセケムの手をはねのけた。
「朱鷺が行ってしまう!」
「朱鷺ィ?」
セケムは再び王女の肩をつかんだ。
「おい、姫様、しっかりしろよ。
 朱鷺なんか、どこにもいないぞ」
「え?」
王女は急に座り込んだ。
脚の力が抜けて、立っていられない。
あれ…?
王女はあたりを見回した。
セクメトがのどを鳴らしながら近づいてくる。
膝に短いたてがみをこすりつけられた。
王女はセケムの方を見た。
「…そなた、気がつかなかったのか?
 今、朱鷺がここに来て…」
「そんなもん、いるわけないじゃないか。
 砂漠のド真ん中だぜ?」
セケムは、ひょろ長い腕を広げて今いる場所を示した。
腕の向こうには、砂の海が広がるばかりで、朱鷺はおろか生き物の姿などない。
王女は頭の上を見た。
三日月より少しだけ太った月と、星しかなかった。
「でも…いたのだ…」
王女はうなだれた。
「まあ、そういうことにしておいてもいいけどね」
セケムは王女の目線に合わせて膝を折った。
「疲れちゃったんだよ、姫様は。
 一日中、働いてたんだからな。
 けど、これでわかったろ?
 バカなことは考えないで、御殿に帰った方が…」
「違う!」
王女は、叫んだ。
セクメトをも払いのけ、メルの壁に手を当てる。
斜めになった花崗岩を伝って立ち上がり、朱鷺が示した部分に触れた。

その時。
石で粉をひくような音が響いた。
なにか、巨大な仕掛けが動いている?
メルの土台が揺れて、両足から頭のてっぺんまで、振動が伝わってきた。
「お、おい、おい、なんだってんだよォ?」
セケムの顔が、上下にブレて見える。
王女は、石に触れた右手が引っ張られるのを感じた。
いや、引っ張られているのではない。
石が…へこんでゆくのだ。

唐突に、振動が止まった。
王女が触れていた石は、メルの内側へと吸い込まれて行った。
白銀の、ぴかぴかの花崗岩の壁に、ぽっかりと黒い穴が開いている。
四角く切り取られた穴は、どこまでも奥へと続いているように思われた。
「うそだろ、おい…」
セケムが笑った。
もう笑うしかなくて、引きつっていた。
「ぐ、偶然ていうのは、すごいね。
 へえ、ここが入口だったんだ。こんなとこが、へへへ…」
なんとか現実を受け入れようとしている。
王女は入口を見つめた。
…朱鷺が、教えてくれた?
驚きはすぐに、確信へと変わった。
セケムを納得させられるような理屈は思いつかないが、何かが私を呼んでいる。
ここに眠るハモン王か?
農民たちのために、財宝を分けてくれるというのだろうか。

王女はためらわず、黒い空間に足を踏み出した。
セクメトが護衛の将軍のように一歩先を進む。
「ち、ちょっと、待てよ、姫様ってば!」
後ろで、セケムのあわてた声がした。

      *      *      *

「しかし、本当にメルの中へ入るなんて、思っても見なかったぜ」
セケムの声が何重にもなってこだました。
暗い通路。
王女の身長の三倍くらいの高さ。
横幅は、両手を伸ばすと左右の壁にふれるくらい。
床がほんの僅かだけ、奥の方へと傾斜している。
雪花石膏(アラバスター)で化粧された壁と床と天井は、本来、白いのだろう。
セケムが持ってきた油皿の炎が、黄色っぽくあたりを照らしている。
ただ細長い、四角い通路がどこまでも続いて見えた。
「ちょっと働かせて、ちょっと厳しいところを見せれば、音を上げて御殿へ帰るって言い出すと思ったのに。こんな偶然ってェか、むちゃくちゃってェか…」
「やかましい」
王女は後ろを振り向いた。
セケムは道具の入った麻袋を背負い、輪にした綱を肩からかけている。
手には、自分の身長より少し長いくらいの丈夫な棒を握っていた。
「イヤなら、帰ってよいのだぞ」
王女は油皿を持っていない方の手を腰に当てた。
セケムは一層大きな声を出す。
「そりゃあ、ないでしょうよ?
 姫様を置いて、帰れるわけないじゃないの」
「それなら、文句を言うな」
王女は通路の奥に向き直った。
「…全く、誰のおかげでここまで来れたと思ってんのかな。
 どうして、こういう…かわいくねェ…」
セケムがまだぶつくさ言っている。
王女は、無視して進んだ。
雪花石膏の横穴は、どこまで続くのだろうか。
頼りない油皿の炎では、そう遠くまで照らすことが出来ない。
ほとんど手探りと同じだ。
この先に、何があるのか。
うまくすれば、ハモン王の棺と共に、財宝が…
「姫様。ちょっと、姫様」
物思いに沈んでいた王女の耳に、セケムの間抜けな声がした。
「うるさい男だな、そなた。
 少しは黙って歩けないのか」
「違うよ。今、なんか、変なもんが…」
「変なもの?」
「クモの糸みたいなのが、顔に」
「なんだ、それくらい!」
王女は声を荒げた。
「男のくせに、クモなんぞが怖いのか?
 虫けらの一匹や二匹…」
怖がるな、と、怒鳴ろうとしたところで、奇妙な音が耳を打った。
掛け金が外れたような音がする。
王女とセケムは顔を見合わせた。
油皿の炎がじりじり音を立てている。
その音に、また別の音が混ざり出した。
カラカラと糸巻きが回るような…
王女は短刀の柄に手を当てた。
セケムは長い棒を構え、セクメトは体を低くする。
異音がだんだん大きくなって、通路全体に響き渡った。
それは、弓を引き絞るような音に変わった。
雪花石膏の壁と床にぶつかりあって、どこから聞こえてくるのかわからない。

突然、床がなくなった…!

「うわあーっ、あああーっ!」
セケムがめちゃくちゃに叫んだ。
王女は声も出せずに、近くにあるものにしがみつき、固く目を閉じた。
落ちる?

「お…重いぞ…姫様…」
セケムの苦しそうな声が、とても近くで聞こえた。
体が大地に引っ張られている。
つかまっていなければ落ちる…。
王女は、何か骨張ったものにしがみついていた。
これは?
そっと目を開けてみる。
不精ひげの飛び出たあごが、すぐ目の前にあった。
ひょろ長い腕が、上の方に伸びている。
長い棒が、四角く切り取られた天井に差し渡されていた。
王女とセケムは、突然開いた落とし穴の入口に、引っかかっているのだ。
セケムがつかんでいる長い棒だけを支えに。
「きゃあ、きゃああっ、きゃああ…!」
今度は王女が悲鳴を上げた。
「あ、暴れるな…落ちる…」
セケムは歯をギリギリと噛みしめながら、声を絞り出した。
穴の外から、セクメトの泣きそうな顔がのぞいていた。


「ちくしょう、大歓迎してくれやがって! くそったれェ!」
セケムは、ぜえぜえ言いながら、ありったけの言葉で毒づいた。
肩の筋肉が痛いのか、しきりにもみほぐしている。
それもそのはず。
自身の体重に加えて、王女と、いろいろな道具の入った袋の重みまで引き受けて、懸垂しなければならなかったのだから。
「大丈夫か…?」
王女が顔をのぞき込むと、「平気、平気」と笑った。
床にこぼれた油皿の獣脂が燃えて、セケムの長い顔を映し出す。
口の端が引きつっていた。
ちょっと強がっているらしい。
セケムは、裏返しに投げ出されている油皿を拾い上げた。
麻袋から油壺を出して、新しい灯りを作る。
その光で、穴を照らした。
「趣味のいいカラクリだぜ」
穴の中には、ぴかぴかの刃が、河岸のパピルスよろしく、びっしりと生えていた。
まるで錆びていないのは、今まで空気に触れなかった証だ。
この仕掛けは、メルが作られてから何百年もの間、盗っ人たちを待ち続けていたのだ。
「ちっ、向こう側に這い上がればよかったな」
セケムは顎をしゃくった。
細い通路のずっと遠くに、かすかな星明かりが見える。
王女が開けた入口だ。
あちらへ戻るには、また落とし穴を越えなくてはならない。
すっぽりと消えた床は、飛び越えるには幅がありすぎた。
幸い、綱や棒などの装備は無事だったから、セケムにもう一度がんばってもらえば、戻ることは不可能ではないが…
「どうする?」
セケムは油皿を王女に向けた。
「行く」
王女は短く言った。


第十四回・終わり


©Nihon Falcom Corporation.
All rights reserved.