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■おぐら

【タイトル】 宵色子猫と夕日の少年
【作者】 おぐら

 その街は、とても小さな街でした。
 鉱山への出稼ぎの人たちが集まってできた街で、子供
はたった1人しかいません。
 夕日色の髪の毛をつんつんに立たせた男の子です。
 彼は毎日鉱山に入り込み、ドリルを手に坑を掘る仕事
をしていました。偶に巡回神父さんがやってきて、日曜
学校を行ってくれるときでも、彼は鉱山に出かけてしま
います。というのも、彼は少しでも家にお金を入れる必
要があったからです。
 そんな彼がある日鉱山に出かけようとすると、誰かに
見られている気配がしました。
 彼が周囲を見渡すと、物陰から一匹の子猫がこちらを
じっと見つめています。
 宵闇を思わせる紺色の身体に、金耀石のようなキラキ
ラした目。更には金色の小さな鈴まで付けています。
 少年が見ている事に気づくと、猫は壁の影に隠れよう
とじりじりと距離を取り始めました。
「どうしたんだ?」
 突如かけられた声に、少年は振り向きます。そこには
父と母の姿がありました。
「夜空みたいな色した猫が……」
「猫なんて居ないぞ?」
 少年の言葉に父親はそう答えます。慌てて少年も猫が
居たところをみるも、そこに猫の姿は無く、ただ太陽に
照らされぽかぽかとぬくもる石壁があるのみでした。
「……あれ?」
 少年は首を傾げます。どこかに逃げてしまったのかな
ぁ、などと思いつつも彼はいつも通り母からお弁当を受
け取り、今日も鉱山での仕事に向かいました。
 普段なら、仕事を進めるうちに妙な出来事は忘れてし
まうのですが、この日はどうしても宵色をした子猫の事
を忘れる事が出来ません。
 というのも、宵色の子猫の瞳があまりに印象的だった
からです。
 その後も彼は子猫をちょいちょい見かけるようになり
ました。
 しかし、何故でしょう。大人達に子猫の話をしても、
みんな「そんな猫は居ない」と言います。
「でも、何か興味があるから見に来るんだよなぁ……」
 少年は腕を組み考え込み……そして一つの作戦を考え
ました。
 彼は街で1軒しか無いケーキ屋さんに向かいます。
 甘いお菓子は珍しく、とくにショートケーキはお値段
が張ります。少年はなけなしのお金でケーキを買いまし
た。
 そして店の外、人の少ないところでケーキの箱を開け
ました。
 ほんわりと柔らかいクリームに、ちょこんと乗った赤
くて大きな苺。彼がケーキを持ち上げ、頬張ろうとした
瞬間、ごくり、と誰かがつばを飲み込む音がしました。
 少年が音の方を向くと、例の子猫がよだれでもたらし
そうな勢いでこちらを見ています。
「なあ、ケーキ食べたいんだろ? 来いよ」
 彼が声をかけると子猫は少しためらったようなそぶり
を見せ、それからトコトコと少年の傍に歩み寄ります。
「……そ、その、我輩……」
「喋った!?」
 宵色の子猫が人間の言葉を喋った事に少年は大層驚き
ました。
 ですが、子猫は更に少年が驚くような言葉を放ったの
です。
「我輩達に力を貸して欲しいのである。オバケの世界を
守る為に」

■おぐら

【タイトル】 Etude of the Ruin
【作者】 おぐら

 聖堂にオルガンの音色が響く。
 奏でているのは祭服を纏い、眼鏡をかけた青年。彼の
指はひたすらに鍵盤上を踊る。
「やあ、熱心だね」
 声に男の指が止まった。振り向いた先には世話になっ
ている司教の姿がある。
「ええ、向上心だけは忘れたくないと思っているもので
すから」
 青年の柔和な笑みに司教は一つの問いを投げかけた。
「配属希望は決まったかね?」
「……いえ」
 青年の金耀石に似た瞳が翳りを帯びる。入信して5年。
彼は選択を迫られていた。
「君の頭脳、向上心……どれも誰にも引けを取らない。
どこでも上手くやっていけるはずだ」
 司教の言葉にも青年は俯くのみ。
「もう暫く時間を頂けませんか? どうしても心を決め
かねるので」
 青年はそう頼み込み、一つの決意を固めた。

 それから数時間後。
青年は荒れ果てた大地へと降り立っていた。
幼き日を過ごしたノーザンブリア。突如顕れた「塩の
杭」により壊滅した場所。
当時のような大量の塩こそ無かったものの、未だ草木
すら育たぬ不毛の地。今は教会の管理下に置かれ一般人
は入る事すら許されていない。青年も上層部にかけあい
許しを得てやってきたのだ。
ふと、廃都を歩む彼の瞳に、あり得ない光景が写し出
された。
逃げ惑う人々、降りしきる塩の塊。人が、物品が、建
物が、白に取り込まれ崩れ落ちる。
それは、幼き日に目にした崩壊の再現に他ならなかっ
た。
襲い来る塩に思わず青年は腕で顔を覆う。暫しして何
事も無い事に気づき腕を避けると、光景は嘘のよう立ち
消え、ただ廃墟が残るのみ。
「……いや、あれは……」
喉が震え、頬が引きつる。
「あれは、私の心に刻まれた記憶だという事か……」
塩に覆われた終末の世界。人では抗えない圧倒的な力。
あまりの凄まじさに恍惚すら覚える。
それが彼の迷いの姿だった。

 大聖堂に再びオルガンが響き渡る。
禍々しくそれでいてどこか愉悦を感じさせる旋律が。
一心不乱に鍵盤へと向かう青年に足音が近づく。
「私の心は決まりました」
振り向くことも、指を止める事もなく、青年は背後に
やってきた司教へと告げる。
「その曲は?」
紡がれ続ける音楽に司教は疑問を口にする。
「Etude of the Ruin……崩壊を表した習作です」
青年は淡々と答える。
「習作?」
「はい、私が体験した『災厄』は未だ表現し難い。全て
を識り、技巧を磨き、更なる高みへと登れた時こそ再現
できると思っています」
「それで、答えは?」
漸く青年の手が止まる。
「封聖省を希望します。塩の杭を研究する為に」
未だあの畏るべき災厄は彼の心に生々しく爪痕を残し
ていた。
だからこそ、彼はあえて己の人生を狂わせた塩の杭に
関わることを決意したのだ。
避ける事も可能だっただろう。だが彼の向上心はそれ
をよしとしなかった。
青年——ゲオルグ・ワイスマン。
彼の中で旋律は絶える事なく流れ続ける事となる。
まるで、心を冒す闇のように。


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