≪前頁 ・ 第7回展示室へ戻る ・ 次頁≫

■あやし

【タイトル】 三種の神器・邂逅編
【作者】 あやし

 そういえば特務支援課には車が無い。
よってクロスベル市内の移動は徒歩がメインとなる。
「捜査官たるもの情報は足で稼ぐものだ」と一席ぶって
帰っていくダドリー氏の足は一課の特注車両だった。
嫌味ではなく単なる天然さんなのでそっとしてあげてほ
しい。

 まぁ市内の巡回は徒歩の方が都合が良いし、市外の移
動はバスがある。業務上、大型機材などを運搬する機会
も滅多にない。だから車の必要性うんぬんが話題になる
こと自体がなかった。それがなぜ今、そういう話題に
なったのか。
「どうしてうちにはくるまがないの?」
特務支援課のアイドル、キーアの純粋な疑問はとても眩
しかった。そういえばキーアはバスに乗った時も随分は
しゃいでいた。その気持ちはロイドも分かる気がする。
車とかバスとか列車とかに乗って移動すること自体が楽
しい子供時代。
きっとキーアの質問には先がある。つまりうちに車が
あればいつでも乗れる。そういう質問なのだ。答えは簡
単だ。必要ないし、車の維持費は存外かかる。ロイドの
安月給では果てしないローンとのお付き合いが必要だ。
答えは決まっている。しかしロイドは躊躇する。眩し
い、キーアの素朴な質問が眩しい。答えて、キーアはど
んな顔をするだろうか。そう思うと答えを告げる声が出
てこない。だれか答える人は……と辺りを見回した時、
ロイドは自分が世界の最前線にいることに気がついた。
振り向けば、課長は奥の課長室へと戦略的後退中だっ
た。風の剣聖アリオス・マクレインは風の様に消えてい
る。今思えばダドリー氏はなぜ急に帰ったのか。切れ者
捜査官のスキルが無駄に発動したのか。ソファではラン
ディが雑誌を読み始めている。そしてエリィとティオは
ロイドの後ろに立っていて、ロイドの目の前には上目遣
いのキーアがいる。
「……」
無言。キーアは答えを待っている。ロイドは緊張のあま
り喉を鳴らす。握りしめた拳が汗ばむ。これは、いった
い、何の精神攻撃、か。
「く……車は」
振り絞るような声。無い、というだけだ。何も難しいこ
とはない。あと二文字。言ったからといって命をとられ
る訳じゃない。魔王に二択を迫られている訳じゃないの
だ。何を恐れることがある。
あ、そうそう。キーアの瞳の色って綺麗だよね。
「ぅ……あるっ!」
ロイドは心の折れる音を聞いた。

 数日後。
キーアははしゃいでいた。ロイドは慣れないハンドルを
操作しながら必死にバランスをとる。後ろの座席でキー
アがはしゃぐので、タイヤが右に左にとアンバランスに
蛇行する。
「……自転車ね」
その光景を見て、エリィは少し呆れた様な、ほっとした
様な呟きをもらす。確かに車は車だけどね。ちょっと詐
欺っぽい感じはするが、自転車はクロスベルでは珍しい
のでキーアも珍しがってはしゃいでいる。ま、結果オー
ライということで。
この後、なぜかクロスベル警察内で自転車購入者が増
大したとかしないとか。


≪前頁 ・ 第7回展示室へ戻る ・ 次頁≫