掟 Shotr Stories
 [ 第五回 ]


童子は、村長の馬屋で起きた出来事をほとんど覚えていなかった。
亀に乗った不気味な騎士たちが、和尚に襲いかかったような気がしていたが…。
その話をすると、父ちゃんは、
「夢でもみたんだ」
と、言った。
「そんな途方もないホラばっかり吹くんじゃねえ。
 あんときゃ、熊が出たんだ。
 おめえがおかしなことを言うと、父ちゃんはまた、村の衆に謝って歩かなきゃなんねえ」
童子は納得できないような気もしたが、幼いこととて、深く考えることも、あの夜の出来事をきちんと思い出すことも出来なかった。
父ちゃんの言うことが正しいのだと思った。

しかし、青銅和尚は変わってしまった。
だんまり和尚は、あれ以来、余計に無口になった。
何を思ったか、川のそばに巨大な穴を掘り始める。
村には寄りつかない。
夜は森で眠り、起きると一日中、掘り続けた。
穴は次第に細長くなって、溝になった。
溝は、ただまっすぐと、ひたすらに伸びた。
意味不明の行動。
心配した村人たちが食べ物を運んでも、手をつけない。
あの、大喰らいの和尚が。
もはや微笑まず、合掌もせず。
ひたすら掘る。ただ、掘る。
善良な村人たちは、
「和尚は苦行をしていなさるんじゃ」
と言った。

苦行。
確かに、そういって間違いないかもしれない。
青銅和尚は、わざと人と交わるのを避け、自らに重労働を課していた。
そうすることが罪滅ぼしだと思ったからだ。
自分は『闇』に追われている。
村人が近寄れば、巻き添えを食わせることになる。
本来なら、この土地を離れるのが正しい選択だろう。
だが、その前に。
人々に恩返しがしたい。
何かを残してから去りたい…
そう念じて、黙々と溝を掘り続けていた。

「和尚ー…」
とりつかれたように大地にクワを突き立てる和尚の耳に、無邪気な声が届いた。
ふと振り向くと、あげまきの童子がもじもじと立っていた。
両手を後ろにまわして、片方の足でもう片方の足の甲をかいている。
小首を傾けて、上目使いに、こちらを見ていた。
和尚は、つい目を細めてしまいそうになって、そっぽを向いた。
黙ってクワを振り下ろす。
「ねえ、和尚…」
遠慮がちにつぶやくような声。
和尚は思わず、肩ごしに童子を盗み見た。
「おなか、すいたろ?」
童子は、おずおずと両手を差し出した。
小さな手のひらに、チマキがひとつ、乗っている。
童子は顔を横に向けていたが、ちらちらと和尚をうかがった。
互いに盗み見合う目と目がぶつかる。
童子の顔が、ぱっと明るくなった。
和尚は、急いで顔を背ける。
ここで、情けをかけてはいけない。
俺の側にいれば、またこの間のような目に遭う。
見てはいけない。

「和尚…」
童子は、泣きそうな声で、大きな背中に呼びかけた。
両肌脱ぎの背中は、たくましい筋肉を躍動させて、クワを打ち下ろしている。
まだ治りきらない傷には、包帯が巻いてあった。
その包帯も、汗と泥とで茶色くなっている。
痛みなど、感じていないようだ。
童子は背中を見つめた。
いつもなら、すぐに振り向いて、優しいまなざしを向けてくれるのに。
大きな手で童子を抱き上げてくれるのに。
「和尚…おいらが、きらいなの?」
童子は絞り出すような声を出した。
幼い子供にとって、和尚の拒絶は、そのようにとらえるしかなかった。
和尚は黙って溝を掘っている。
仕事の手を休めもせずに
「嫌いだよ」
とつぶやいた。

童子は、走り去っていった。
小さな足音が遠ざかっていったところで、和尚は手を止めた。
振り向いて童子が立っていたあたりを見ると、チマキがひとつ、そっと残してあった。


童子は、力いっぱい走った。
手足に力を込めていないと、涙が出てきてしまうからだ。
和尚が、嫌いだって言った。
おいらのことを嫌いだって言った。
大好きな和尚が。
どうして、急に、おいらのことを嫌いになっちゃったんだろう。
幼い子に、理由などわかるはずもなかった。

錫は、走って行く童子を見ていた。
まばらに木が並んでいる野原で。
腕を組み、玻璃の瞳でその様子を見つめていた。
親方様のペリットは、もう帰ってしまった。
錫は、ひとりで和尚と戦わなくてはならない。

…童子を使って、和尚をおびき出せ。
人質にして、追い詰めろ。
どんな手を使っても、裏切り者を倒せ…
錫は、風のように走って、童子の前にまわりこんだ。

「!」
童子は、突然現れた女にびっくりして立ち止まった。
見たこともないお姉ちゃんだ。
小さなげんこつで涙をぬぐい、お姉ちゃんを見つめる。
「和尚はどこ?」
お姉ちゃんは、冷たい声で言った。
童子は一歩後ろに下がった。
このお姉ちゃんは、和尚のことを知ってるの?
「和尚のところへ、案内おし」
命令するような言い方だ。
村には、こんな冷たい人はいない。
この人は、どこから来たんだろう。
童子は怖くなって、また後ずさりした。
「し、知らないやい」
「嘘」
「ほ、ほんとだよ。
 和尚は、おいらのことなんか、嫌いなんだ。
 だから、おいら、和尚なんか知らない」
「そう…」

錫は、玻璃の瞳を細めた。
…ならば、力づくで案内させてやる。
「えい!」
錫は、鋭い気合いをかけた。
長い髪が四方に放たれ、全身が青い光に包まれる。
大亀に乗ったネプトジュノーが現れた。

童子は、大きな目を見開いた。
父ちゃんが夢だと決めつけた、へんてこな異国の騎士が目の前にいる。
村長の馬屋に出た化け物だ。
熊なんかじゃない。
「和尚っ!」
童子は叫んだ。
「助けてえっ!」
一目散に走り出す。

「ははははは…」
錫は笑った。
逃げて行く幼子の後ろ姿が、愚かなものに思えた。
馬鹿馬鹿しい、小さな、くだらない生き物。
こんなものを和尚は大切にしているのか。
なぜだか、この子をなぶりたい気持ちになる。
理由もなく、この子が憎い。
このがんぜなさが、憎い。
玻璃の瞳が残酷な光を宿した。
その光が映ったように、ネプトジュノーの目が冷たく光る。
ネプトジュノーは、わざと、童子に当たるか当たらないかの間合いで矛を振り回した。

「うわーん、ああーん!」
童子は泣き出した。
ひきつけたような声を出しながら、迷走する。
頭や手足のギリギリを、矛がかすめる。
それはまだ当たらないが、今にも当たりそうだ。
ネプトジュノーは鬼ごっこをするように童子を追い回す。
童子は逃げ惑い、泣き叫び、頼みに思う人を呼んだ。
「和尚…!」


青銅和尚はクワを持つ手を、ふと止めた。
ただならぬ気配がする。
すぐそばに、危険が迫っている。
火のついたような泣き声が、呼んでいる!
「助けて、和尚!」
和尚は振り返って驚いた。
童子が、ネプトジュノーに追いかけられている。
ネプトジュノーの後ろには、冷たい笑い声をあげる女。
和尚は、クワを放り投げ、童子の方へ走った。

「ははは、そうはさせないよ!」
錫は、もう一体のネプトジュノーを召喚した。
大亀に乗った鎧騎士は、和尚を目がけて突進する。
和尚は新しいネプトジュノーと、童子をいっぺんに見た。
いかに青銅和尚とはいえ、同時に二体のネプトジュノーを相手にするのは不可能だ。
和尚は、とっさに判断した。
両手を合わせ、鋭い気合いをかける。
「ダ・カーム!」
和尚の口から、異国の言葉が飛び出した。
筋骨たくましい体が雷をまとう。
次の瞬間、巨大な土くれの力士が和尚の前に現れた。
力士は大地を轟かせて跳躍し、童子に迫るネプトジュノーに襲いかかった。
巨大な手のひらで、強烈な張り手を繰り出す。
ネプトジュノーは、あっという間に霧となって消えた。
ダ・カームは童子を拾い上げ、強い腕と胸とで守った。
それは、和尚自身が童子を守っているかのような姿だった。

「ははははは…!」
錫は、狂ったように笑った。
和尚を狙っていたネプトジュノーも、矛を控えて下がった。
「とうとう、本性を現したね。
 お前もやっぱり『闇』の者。
 凶々しい暗殺者なのさ!」
錫は笑えてしかたなかった。
なにが愉快なのかは、よくわからない。
ただ、おかしかった。
いつも穏やかな顔をしていた和尚が、こちらをにらんでいる。
童子の前だというのに。
身体中に闘気をまとって、怒りに燃えたまなざしを向けている。
「罪のない者を傷つけるな」
低い声。
錫は、馬鹿にしたように、あごを持ち上げた。
和尚が怒っている。
やっと、戦う気になったのね。
「こんな子供はどうでもいいのさ。
 あたしは、おまえを処刑できればいい。
 『闇』を裏切ったおまえをね」
言うなり、錫の体が光った。
大きな剣を構えた女戦士が登場する。
「ほほほ、キュリア・ベルだよ!
 ダ・カームごときで対抗できるかしら?」
女戦士・キュリア・ベルはダ・カームに斬りかかった。
土の力士のたくましい腕が、女戦士の一撃で空高く吹き飛ぶ。
ダ・カームは、残った腕に童子を抱えて右往左往した。
この土くれの力士は、キュリア・ベルに弱いのだった。
ネイティアルには、その姿に関係なく強弱の関係がある。
ダ・カームは土の精霊、キュリア・ベルは天の精霊だ。
天は地に強く、地は天に滅法弱い。
「ダルンダラ!」
和尚の口から、また異国の言葉が飛び出した。
巨大な魔人の首が現れる。
髪の毛の代わりに炎を燃え立たせたそれは、首だけで手足も体もない。
燃え立つ首は、ダ・カームをかばうようにキュリア・ベルの前に躍り出た。
炎を前にして、女戦士はひるみ、ダ・カームから離れる。
ダルンダラは火の精霊、天のキュリア・ベルには苦手な相手である。
ダ・カームはダルンダラの援護でキュリア・ベルから離れ、村の方へ向かって走り出した。
童子は、優しい土の力士に守られて、戦場から遠ざかった。

女戦士・キュリア・ベルはダ・カームに斬りかかった
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錫は余裕しゃくしゃくで童子を見逃した。
もはや、あんなものに興味はない。
青銅和尚と戦い、勝つ。
それがあたしの望み。
そして、親方様の。
「さあ、これからが勝負だよ」
錫は構えた。
和尚も、うなずく代わりに両手を胸の前で合わせた。
ふたりの体が同時に光った。


「掟」・第五回終わり



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