掟 Shotr Stories
 [ 第六回 ]


青銅和尚と錫の戦いは、一方的なものだった。
怒りに燃えた和尚の力は、まだ若い錫のかなうところではなく、勝負はすぐに明らかなものとなった。
錫は出せるだけのネイティアルを出し、死力を尽くして戦ったが、及ばなかった。
攻められ、追い詰められて、川のほとりで立ち往生させられてしまった。
両脇では、ダ・カームやダルンダラがにらみをきかせている。
土の力士も魔神の首も、和尚と同じ厳しい目でこちらを見据えていた。
力を使い果たした錫は、もうどうすることもできない。
それでも、玻璃の瞳に憎悪を燃やして和尚をにらんだ。
どうせ殺される。
でも、その前に一撃でも報いてやる。
親方様のために。
錫は最後の気をこめた。

その時。
和尚が猿のように跳んで、錫の肩に手をかけた。
錫はそのまま仰向けに倒れる。
和尚の体が覆いかぶさるように降ってきた。
派手な水しぶきを上げて、和尚と錫は、もろともに背後の川に倒れ込む。
和尚の肩口をかすって、火のついた矢がすっ飛んでいった。
火矢?
「ブリックス!」
錫は木陰から現れたネイティアルを見て驚いた。
上半身は女、下半身は獅子。
真っ赤な弩に火矢をつがえて、こちらを狙っている。
あれは、和尚が出したものではない。
もちろん錫のでもない。
あれは…。

上半身は女、下半身は獅子。真っ赤な弩に火矢をつがえて、こちらを狙っている。
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「潜れ!」
和尚は鋭く言った。
錫を水の中へ置き去りにして、魚のように岸へ跳ね上がる。
ダ・カームとダルンダラが、和尚を守るようにブリックスの前に突進した。
続けざまに放たれる火矢。
ダ・カームは大きな手のひらで火矢をつかんでは落とした。
ダルンダラはもともと燃えているので、火矢などものともしない。
和尚はダ・カームの肩を踏み台にして跳躍し、ブリックスの頭上に降りた。
「哈!」
強烈な踵の一撃。
揺らめいた女怪の体を、ダ・カームの張り手がとらえる。
ブリックスは耐えきれず、霧となって消えた。

「やりおったな」
呼吸を調えようとした和尚の頭上で、野太い声がした。
虫の羽をはばたかせた小さな妖精がうなっている。
ペリット…。
和尚は一瞬ひるんだ。
聞き覚えのある声だった。
忘れようとも忘れられない声。
和尚はとっさに腕を伸ばし、ペリットに向けて拳を突き出した。
「ふははは…」
ペリットは姿に似合わぬ声であざけるように笑った。
和尚の拳をひらりと避けて、木の枝に逃げる。
そのまま、新緑の葉を揺らしながら、空へと飛び去った。

錫は、川に浸かったまま、和尚がブリックスを倒す様を眺めていた。
呆然として、動く気にもならず、ただ水に浮かんでいた。
…火矢は、あたしに向けて放たれた。
ブリックスが、あたしを殺しに来た。
親方様のブリックスが…。
こんなことは、わかっているはずだった。
『闇』の掟だ。
失敗した者は始末されるのだ。
あたしは、和尚を倒せなかった。
でも…

和尚は水面に浮いている錫を拾い上げた。
ダルンダラを近くに呼び寄せ、びしょぬれの娘を乾かしてやる。
炎の髪の毛を燃え立たせる巨大な魔人の首は、よい焚き火となった。
いつの間にか、あたりには夕闇が迫っている。
錫は火の側でがちがちと震えた。
濡れているせいもある。
だが、心底から錫を震えさせるのは恐怖だった。
親方様に見捨てられた恐怖。

「掟とは、そういうものだ」
錫の心を見透かすように、和尚が言った。
首をすくめて震えていた錫は、はっと顔をあげて和尚を見た。
和尚の細い目が、まっすぐこちらを向いていた。
「あの男は、まだ子供に術を仕込んでいるのか?」
「あの男…って?」
親方様を知ってるの?
驚く錫。
「あれは、俺の師でもある」
和尚は抑揚のない声で、ぼつりと言った。
「俺は、ヤツの家から逃げた」
家。
錫の脳裏に、山奥の家が浮かんだ。
親方様に救われた子供たちが集められていた家。
闇の術と技の学舎。
「なんで?
 なんで逃げたのさ?」
錫はきいた。
しかし、和尚はその質問には直接答えなかった。
かわりに、
「おまえは、どうしてあの家に入った?」
と尋ねた。
「火事さ。
 ちっちゃかったから、よく覚えてないけど。
 火事だった。
 あたしは、火の海の中から、親方様に助けられたんだ」
錫が言うと、和尚はうなずいて目を閉じた。
「その火をつけたのは、多分あの男だ」
「嘘!」
錫は即座に否定した。
両耳を塞いで、和尚の言葉を拒否する。
「あの男は、術師としての才能がある子供を見つけると、その村にブリックスを差し向ける。
 他の方法を用いる場合もあるが、たいていそうだ。
 そして、子供の心を操る」
洗脳、である。
子供を恐怖に陥れ、それを助けて、自分を絶対の存在として信じ込ませるのだ。
錫は、堅く耳をおさえた。
しかし、和尚の低い声はよく通り、手の骨を通しても耳に届いた。
幼い頃の思い出が、脳裏に浮かんだ。
炎が燃えている。
ととさまと、かかさまが…
「怖いか?」
和尚が言った。
「俺も怖かった。
 だから、逃げた」

和尚は、少ない言葉でとつとつと語り始めた。
それは少年の頃。
和尚もまた錫と同じく、あの山奥の家で術を仕込まれた。
ダ・カームとダルンダラを操れる少年は、親方のお気に入りだった。
だが。
少年は恐ろしい秘密を知ってしまった。
親方が村に火を放ち、そこから子供を拾ってくることを。
少年は、恐れ、混乱したまま家から脱走した。
「俺は、ある寺へ逃げ込んだ
 そこまでは、追っ手も来なかった」
和尚は、まるで他人事のように語った。

「寺か…だから、そんな頭にしたの?」
錫は、いつの間にか、耳から手を離していた。
和尚の首に巻き付いた弁髪を指す。
和尚はうなずいた。
「償いたかった。
 俺は、すでに多くの人々をこの手に掛けていた。
 何も知らずに」
大きな両手に目線を落とす。
ダルンダラの炎が、和尚の悲しみを映したように、ぼおっと燃え立った。
精悍な荒法師の横顔が照らし出される。
錫には、おびえた少年の顔が重なって見えた。
「十八年、祈った」
少年の幻が大人の声で言った。
「そして、追っ手が来た」
錫は息をのんだ。
和尚に起きた出来事が、我が身のことのように思えた。
その先は、なにも言わなくてもわかる。
『闇』の追っ手は非情だ。
和尚を殺すためなら、どんなことでもする。
それは、おそらく…
「寺が焼かれた」
和尚は短く言った。
「生き残ったのは、あんただけ?」
錫は訊いた。
和尚は小さくうなずいた。
「因果だ。
 『闇』の技を持っていたがために、生き延びてしまった」
「それで、この村に来たの?」
「死にかけていたところを、村の人たちに助けてもらった」
和尚は錫の方を向いた。
「頼みがある」
細い目を見開いて、錫を凝視する。
思い詰めたまなざしに、錫はどきりとした。
子供のように爪を噛む。
「工事が終わるのを待ってくれ」
「工事?」
和尚は、一心不乱に掘り続けた溝を指した。
「この川は、水かさを増して暴れる。
 曲がりくねったところをまっすぐにつなげば、氾濫を防げる」
錫は、あっと息を飲んだ。
和尚は、治水工事をしていたのだ。
恩を受けた村人たちのために。
和尚は立ち上がった。
「ネイティアルは、もう封じたつもりだった。
 だが、ダ・カームを使う。
 川が治まるまで待ってくれ。
 俺を殺せば、お前も親方に顔が立つだろう」
和尚の意思に従うように、ダ・カームが溝の中に入った。
大きな手で、土を掻き始める。
和尚もまた、ダ・カームに並ぼうとした。
その時。

「和尚っ!」
錫が悲鳴のような叫び声を上げた。
大きな目を見開いて、村の方角を凝視している。
和尚も、その方を振り返った。
紺色の空の一角が赤く燃えている。
黒い煙が炎の中で踊っていた。
和尚は、持ちかけたクワを放り投げた。
錫のためにダルンダラを残し、ダ・カームと共に走り出す。

玻璃の瞳は、遠ざかって行く和尚の背中を見つめていた。
                    


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