掟 Shotr Stories
 [ 第七回 ]


村は炎の海と化していた。
家々が燃え上がり、赤い体のブリックスが、あちこちを暴れ回っていた。
夕やみの落ちた空に飛び交う、無数の火矢。
和尚はダ・カームを従え、炎の中を駆けた。
家々の屋根や壁が真っ赤になって、崩れてくる。
幸いにもというべきか、不思議にもというべきか、人の姿は見られない。
ただ建物や農具などが勢いよく燃えている。
村の人たちはどこだ?
みんな、無事なのか?
童子は…?

「和尚っ!
 来ちゃダメえっ!」
村長の家の前、みんながときおり集まって寄り合いをする少し広くなったところで。
和尚の耳に童子の声が響いた。
同時に、ブリックスの火矢が降り注ぐ。
ダ・カームが和尚をかばって前に出た。
矢ぶすまになる、土の巨人。
さすがのダ・カームも、全身火だるまになって燃え上がった。
バチッ、と弾けるような轟音を残して土くれに戻り、崩れ落ちる。
和尚は危うく逃れて、後ろに飛びすさった。
辺りを見回すと、燃え盛る家々の陰から、真っ赤なブリックスたちがずらりと現れた。

…囲まれたか。
静かに構えをとる和尚の耳に、聞き覚えのある声が響いた。
「久しぶりだな」
ブリックスたちの後ろから、黒い人影が現れる。
全身を包む黒装束。鎧兜。
あごを覆うこわいヒゲ。
少し老いたが、そのいでたちは忘れもしない。
『闇』の者。
和尚と錫を仕込んだ親方。
その腕には、あげまきの童子を抱えていた。
親方の後ろから、村人たちが引き立てられてくる。
角のついた兜をかぶった火のネイティアルたちが、村人たちの腕を後ろ手にねじ上げていた。
彼の国ではヘピタスと呼ばれる、矮人の老兵士である。
「和尚!」
「早く逃げなせえ!」
「わしらのことはいいんじゃ!」
村人たちは、口々に叫んだ。
「うるさい!」
黒兜の親方が怒鳴る。
その声に反応したように、何人かのヘピタスたちが村人を殴った。
ヘピタスは、小柄な老人の姿に似合わぬ強健な腕力の持ち主だ。
働き盛りの男たちも、なすすべなく打たれた。
「さて」
村人たちが静まったところで、親方が残酷な笑みを浮かべた。
「掟がどんなものかは、知っているな?」
和尚は黙って敵を見据えた。
「育ててやった恩義も忘れ、ほぼ二十年の歳月を逃げ回った罪。
 どうして償ってもらおうか」
親方の冷たい微笑み。
和尚は目を半眼にして、静かに息を調えた。
決して、恐れはしない。
親方は、気に入らない、というように僅かに口元をゆがめた。
鎧をきしませて、手のひらを翻す。
ブリックスたちが一斉に弩を構えた。
「撃て!」
一頭が、激しい勢いで矢を放った。
ひゅうと音を立てて火矢が走る。
「!」
息を飲む村人たち。
和尚は動かない。
火矢は、和尚の左太ももに突き立った。
「やめてえ!」
童子が泣きながら、親方の腕でじたばたした。
村の女たちも一斉に悲鳴を上げる。
和尚は静止したまま、眉ひとつ動かさない。
燃え立つ炎が、和尚の血で消えた。
「次は、どこにしようか?
 望みの所に当ててやるぞ」
二頭目のブリックスが弩を引き絞る。
キリキリと、弦の鳴る音。
悲鳴。
泣き声。
二の矢は脇腹に当たった。

和尚は、静かに構えたまま矢を受けた。
脇腹から、どくどく血が流れている。
燃え立つ炎が、じゅっと音を立てて消えた。
ああ、痛いのかもしれないな、と思う。
自分の体に起きていることが、他人事のように感じられた。
村中を染め上げる紅蓮の炎。
凶々しい弩を構えて並ぶブリックスたち。
人質の村人。
かつての親方。
その腕で泣きながらもがく童子。
「和尚、和尚」
と慕ってくれたことを思い出す。

ああ…。

「親方」
和尚は目の前の敵を、かつての呼び名で言った。
「その子を放してくれ」
哀願。
和尚は、絞り出すように、かすれた声を出した。
親方は面白そうに笑う。
童子の体を片手で持ち上げ、頭の上に差し上げた。
「これか?」
童子は、ひっ、と小さく声をあげた。
親方の太い指が、童子の首に食い込む。
「これが大事か?」
親方はあざけるように笑った。
和尚は、たまらず足を踏み出す。
ブリックスたちが、そろった動きで弩を引き絞った。
童子の首が締め上げられる。
幼い頬が、みるみる赤くなった。
「おおーっ!」
和尚は狼のように吠えた。
傷ついた脚をものともせず、跳躍する。
一斉に降り注ぐ火矢。

衝撃。

一瞬、和尚の前に銀色の影がよぎった。
それは流星のようにきらめいて、雨と降る火矢を叩き落とす。
異国の鎧騎士が、和尚を支えている。
気がつくと、和尚の両足は亀の甲羅の上にあった。
騎士とふたりで、疾走する亀の上に乗っているのだった。

「ハアッ!」
続いて、凜とした女戦士の気合いが響く。
両手剣をひらめかせ、長い髪の女が親方の頭上で舞っていた。
一撃。
親方の腕が、鎧ごと吹き飛んだ。
童子の体が木の葉のように宙を舞う。
女戦士は、やわらかな腕で童子を受け止めた。
天女の微笑み。
女戦士は、ブリックスの矢が届かぬように、高く高く舞い上がった。

親方は、斬られた腕をおさえて膝をつく。
「…錫か…」
錫箔の輪を頭につけた女が、焦げた屋根の上に立っていた。
女のまわりには、亀にのった水の騎士たち…ネプトジュノーが並んでいる。
親方のブリックスとヘピタスは、ネプトジュノーの大軍を見て、ひるんだ。
火のネイティアルにとっては天敵だ。
大亀に乗った騎士たちはブリックスとヘピタスを追い立てた。

和尚を守ったネプトジュノーは錫のそばへ寄った。
「助けに来たよ」
子供のように笑う錫。
和尚は、はっと我に返った。
そういえば、脚と腹が痛い。
二か所に刺さった燃えさしを引き抜く。
「…ふうう…」
呼吸を調えて、全身に気を巡らした。
和尚の体に雷のような闘気がみなぎる。

ネプトジュノーたちは、ヘピタスとブリックスをさんざんに追い散らした。
炎の精霊たちは、水の騎士の攻撃に少しも持ちこたえることができず、蒸気となって消え去った。
村人たちは自由になって、炎の消えた広場にかたまる。
そこへ、童子を抱いたキュリア・ベルがひらひらと舞い降りた。
童子は、無事に母親の腕に返される。

「おのれ!
 裏切るか、錫!」
親方が鬼神のように吠えた。
錫は頭につけた輪を外し、天高く放り投げる。
絹のような黒髪が、夜風に涼しくたなびいた。
「あたしは、錫じゃない」
女は強く言い放った。
和尚の顔を見て、ふっと微笑む。
玻璃の瞳から冷たさが消えていた。
「あたしは、『闇』などに従わない。
 従わされてたまるものか!」
焦げた屋根を蹴り、闇夜にしなやかな体が舞う。
黒髪の女は、かつての師に躍りかかった。
その姿を見て、和尚も立ち上がる。
弁髪をくるりと首に巡らせ、月光の中に跳躍した。
ふたつの影が交差する。

「哈!」「とうっ!」
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「哈!」「とうっ!」
低い気合いと高い気合いが同時に響き渡った。
和尚が頭頂を、女があごを。
必殺の拳と蹴りが、かつての師の頭部を砕いた。
兜など、もはや役には立たない。
『闇』の者は、どうと倒れた。

ふたりの子供たちを縛りつけていた因果は、果てた。



*      *      *


曲がりくねった川の隣には、まっすぐな溝が横たわっていた。
湾曲した流れをまっすぐ繋ぐために。
川と接した二ヶ所には、木材で補強がしてある。
工事は、もうすぐ完成しようとしていた。
和尚は、両肌脱ぎのいつもの姿で、クワを振り下ろす。
その側には、錫と呼ばれていた娘もいた。
和尚が砕いた土を、ザルで溝の外に掻き出して手伝っている。
鼻の頭を泥で汚しても一向気にせず、子供のように一生懸命だ。


あの後。
和尚と娘は、村から去るつもりだった。
村人たちを危険な目に合わせ、家々を失わせてしまった。
しかし、村人たちは、ふたりが出て行くことを認めなかった。
ふたりの過去がなんだろうと…闇の組織の暗殺者だろうと、奇妙な術を使う術師だろうと…そんなことは、おかまいなしだった。
なにもかも、すっかり燃えた焼け跡で。
村人たちは和尚に駆け寄り、無事を喜び合った。
女たちが早速、水を汲んできて、和尚の傷を洗い、手当てをしてくれた。
遠慮しようとしても、おせっかいなおかみさんたちは群がって、有無を言わさず押さえつける。
もはや、村を去る、などという雰囲気ではない。
戸惑って、それでもいとまを告げようとする和尚に、童子がしがみついた。
やわらかな頬を押しつけて、
「和尚がいてくれてよかった。
 おいら、和尚がいっとう好きだよ」
と言う。
それで、みんながどっと笑った。
童子の言葉は、村人たちみんなの言葉なのだった。
「あんれまあ、ずいぶん燃えちまったね」
「どうせボロ家だ、建て替えた方がよかったんだよ」
「なくして困るような、きれいなべべも持ってなかったしな」
口々に明るく笑い飛ばされて、和尚はどう反応していいのかわからなかった。
まごまごして、とりあえず合掌してみたりする。
「ああ、だんまり和尚の合掌が出た」
「いつもの青銅和尚だ」
誰かがおどけた仕草で和尚のマネをした。

娘は、目の前の人々が理解できなかった。
闇の掟に縛られ、ただ殺すか殺されるかしかなかった彼女には、信じられない光景だったのだ。
だが、和尚を囲んで笑う人々に、なんともいえない温かさを感じた。
遠い昔に忘れていた温もり。
まだ、錫と呼ばれていなかった頃の。


「和尚ーっ!
 お姉ちゃあん!」
あぜ道の方から、弾んだ声が聞こえた。
横の髪の毛をふたつの耳の上であげまきにした童子が、大きな包みを持って走ってくる。
和尚と娘はクワやザルを置いた。
「おなか、すいたろ?」
童子は溝の縁に腰かけ、いそいそと包みをほどいた。
中からたくさんのチマキがこぼれ出る。
和尚は、細い目をますます細めて、童子の隣に座った。
娘は、なんとなく恥ずかしくて、離れたところからふたりを見ている。
「お姉ちゃんもおいでよ」
童子が、小さな手を振ってさかんに招いた。
娘は戸惑う。
でも、和尚が静かにうなずいたので、ふたりの側に座ってみることにした。
「母ちゃんが作ったんだ。
 うまいよ」
童子はチマキの皮をむいて、娘の鼻先に突き出した。
竹のにおい、くるみの香り。
受け取って食べると、本当においしかった。
「ねえ、和尚」
童子がぴょんと立ち上がって、和尚の後ろに回った。
いたずらを思いついたように、小さな手で口をおさえて笑う。
和尚の耳に、こしょこしょとなにやら囁いた。
娘には、なんのことだかわからない。
やがて、和尚がにっこり笑ってうなずいた。
童子は、うれしそうに川の方へ走って行く。
子犬のように跳ねながら、すぐに戻ってきた。
両手を後ろに隠して。
「あのね」
童子は小首をかしげて、娘の顔をのぞき込んだ。
「お姉ちゃんに名前がないのは、変だと思うんだ。
 だから、おいら、考えたんだけど…」
ゆっくりと、両手を前に持ってくる。
小さな手のひらの上に、アヤメの花が乗っていた。
「かわいいだろ?
 とっても似合うと思うよ」


「掟」・終わり



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