銀の公爵 Shotr Stories
 [ 第一回 ]

部屋の中には暖かな光が射し込んでいた。
趣味のいいレースのカーテンが窓辺で揺れる。
女性の部屋に似つかわしい、優美で繊細な品々があたりに満ちている。
若く美しい銀髪の貴族は、窓を背にして、伯爵家の姫君を見つめた。
彼女の柔らかな髪をなで、そっと囁く。
「こうしていると、心がとけてしまいそうだ」
太陽の光を浴びてか、それとも甘い言葉に恥じらってか、姫君の頬が赤く染まった。
青年貴族はその頬を指でなぞる。
「私はあなたの下僕、あなたに魅入られ、あなたの目の奴隷になった…」
「誰にでも、そう言うんですわ」
姫君は青年から視線をそらし、うつむいてみせた。
「あなたにそう言われた後で悲しい想いをした人の話を、聞いたことがあります。
みんな、最後はだまされるんですわ…」
とは言いながら、姫君は再び顔を上げて恋人の瞳を見つめた。
「では、なぜ、私をこの部屋に招いてくれたのですか?
 私を疑っているのに?」
完全にペースに乗った若い貴族は、姫君の背中に手を回した。
長い指がラインをたどる。
コルセットで力任せに締め付けられた胴体が小さくふるえた。
「お約束してくださいまし!」
姫君は切なげな声をあげた。
「なんなりと」
青年はもう一方の手を姫君のあごにかけた。
唇と唇には、もう紙一枚の隙間もない。
「いつまでもかわいがって…そして、どうか兄と争わ…、」

「なにをしているかあッ!」
ムードをぶち壊して、怒鳴り声が響いた。
優美な彫刻の施された扉が蹴破られる。
蝶つがいが音を立てて外れ、戸板がじゅうたんの上に倒れた。
「お兄様…」
姫君は両手を口に当てて絶句した。
「離れろ!
 さもなくば、殺してやる!」
無粋な邪魔者…姫君の兄は、抜き身の剣をひっさげて、若い貴族に迫った。
銀髪の貴族は少しも慌てず、そっと姫君をカーテンの陰に隠す。
穏やかな物腰に微笑さえ浮かべて、姫君の兄を見た。
「これは。伯爵様には、ごきげんうるわしゅう」
レースの袖口を胸に当て貴族らしくていねいに頭を下げる。
「貴様などと交わす礼儀はない!
 …抜けい!」
姫君の兄はサーベルを若い貴族の前で振り回した。
「やめて、お兄様!」
姫君の悲鳴。
「目を覚ませ!
 お前はたぶらかされているのだ。
 この不実な男は、二月前には男爵家の娘を田舎へこもらせ、つい一週間前には子爵家の次女を尼寺へ追いやった」
「おやおや、事実と違うことをおっしゃられては困ります」
銀髪の貴族は髪をかきあげ、いかにも心外というように眉をひそめた。
「男爵家の娘は父親の領地の安泰のため彼の地へ嫁ぎ、子爵家の次女はもとから信心厚き性質ゆえ、神のもとへ行くことを決めたのです。
 それらのことが私のせいだと申すのは、故なき嫉妬に狂う愚か者ばかり」
「黙れ!
 誰が貴様などに嫉妬するか。
 銀の公爵だかなんだか知らんが、先祖の武勲にしがみつき、今や宮廷での働きも薄くして、日々の生活にも困っておるくせに。
 そのきらびやかな服は、女から巻き上げたか、はたまた倉から引っ張り出したか。
 いやいや、倉の中になぞ、もはやなにもあるまい。
 うず高く積もるはただ古いホコリばかりと、知る者は知っておるわ!」
この口上を聞いて、銀髪の公爵は奥歯をかみしめた。
ゆったりと構えていた肩をいからせ、腰から下げた愛用のサーベルを抜き払う。
「もう一度、言ってみろ」
先程までの雅びな物腰はどこへやら、公爵は低くうなった。
貴族とはいえ、ケンカの時に体裁などかまってはいられない。
優雅に手袋を投げ、「それでは決闘いたしましょう」などとやっているのは、舞台劇の中だけだ。
現実の決闘とは、名誉をかけた大ゲンカ!
「やめてください、お兄様! 公爵様!」
芝居がかった悲鳴をあげているのは、ただ姫君ばかり。
公爵と伯爵は同時に駆け寄って、剣を交えた。
キン、という金属の擦れる音。
十字に交差した二本のサーベルが、火花を散らして離れる。
「そうこなくっちゃあ…」
姫君の兄は、にやりと笑って、剣先で丸を描いた。小馬鹿にしたような挑発。
この兄は、身体も大きく、剣技には自信があるのだった。
それを知っているから、姫君はまた悲鳴をあげる。
兄に比べ、細身な公爵は、切り刻まれてしまうに違いない。
しかし、公爵は素早かった。
顔をめがけて繰り出された重く鋭い攻撃をなんなくかわし、身体のしなりを剣に伝えて、相手の武器をからめ取る。
伯爵は、危うくサーベルを取られそうになった。
握力に任せて持ち直し、公爵をにらむ。
「やりおったな。容赦はせんぞ!」



そこからは本格的なケンカとなった。
二人の貴族は優美な女の部屋を離れ、階段、広間、果てはシャンデリアの上と、屋敷の中をところ狭しと暴れまわった。
伯爵は、調度品…つまりは自分の屋敷の財産がぶっ壊れるのもなんのその、力任せにサーベルを振り回す。
一方、美しい公爵は汗ひとつかかないで、剣の下をかいくぐる。
走る、跳ねる、とんぼをうつ。
めまぐるしく動いては、蜂のように突きを繰り出して、相手を翻弄した。
伯爵の上着は瞬く間に切り刻まれて、上等なビロード布が老婆の髪のようにみっともなく垂れ下がった。
「頭の悪い猪め!
 フェンシングを教えてやろうか?」
公爵は調子に乗って高笑いした。
「なにを!」
すっかり頭に血がのぼった伯爵は、巨体にものを言わせて突進する。
それを踊るようなステップで、かわす公爵。
もはや、姫君をめぐって決闘になったことなど忘れている。
猪剣士との戦いが、面白くてしようがないのだ。
剣を交わすのは、杯を交わすのに似ている。
相手がまずければ味が悪くなり、優れた相手であればあるほど、ここちよい陶酔が訪れる。
公爵は、「もっと飲め」とからむように、鋭い突きを繰り出した。
猪伯爵は真っ正面から受け止める。そして、力任せに押し返した。
「あっ」
公爵は小さく声をあげた。
ここは、二階の狭いギャラリー。公爵の左手側は、たくさんの部屋が並ぶ壁面、右手側は手すりで、その向こうは吹き抜けだ。
左右へよけることはできず、後ろに飛びすさる。
なにかが背中に当たった。
「あれえ!」
ヤケにやわらかい感触は、太ったおばさんの脂肪だった。
洗濯物を山ほど抱えた前方不注意なメイドだ。
おばさんメイドはあたふたといざって、公爵の後ろに座り込んだ。
これでは、後方の退路を断たれたも同然。
目の前には、小山のような猪…いや、伯爵が立ちはだかっている。
荒々しい勢いで、突っ込んでくる猪伯爵。
狭い床には、もはや逃げ道はない。
壁に張りつくように剣をかわし、片手で探ると、扉の取っ手に触れた。
逃げるなら、ここしかない。
公爵は扉を開け、未知の部屋の中へ躍り込んだ。
「きゃーっ!」
またしても、女の悲鳴。
リネン類を調えていたメイドたちが逃げ回る。
布団部屋だったのか。
虫干しされているシーツやらベッドカバーやらが、部屋中、天幕のようにぶらさげられている。
まるで芝居の幕に隠れるようにして、公爵はシーツの向こうへ飛び込んだ。
「下がっておれ!」
メイドたちを怒鳴りつけながら、猪伯爵が追ってくる。
横一線に閃く剣。シーツの天幕が見事に裂ける。
よける公爵は、あとずさりして、次のシーツの向こうへ…。
「!?」
瞬間、公爵は、背中に堅いものを感じた。木の棒で、横ざまに背中を殴られたような…。
上体がぐらりと揺らぎ、木の棒を軸にして、後ろに回転する。
仰向けに倒れるのか…いや、そこに倒れるべき床はなかった。
布団部屋の窓が開いていたのだ!
「公爵ッ!」
猪伯爵の太い声が聞こえる。
目には、伯爵家の2階の窓枠が映った。
背中の下は、石畳の往来。このまま落ちて、こっぱみじんか?
通行人の悲鳴、馬車の音、そして、衝撃。
…ずぼっ。
公爵は、意外な感触を全身に受けた。
石畳にしては、あまりに柔らかい。
太陽のにおいがする。ちくちくしたものが、顔や手に当たる。
「干し草?」
少し遅れて、後頭部に車輪の響きが伝わってきた。
そうか、荷馬車の上に落ちたんだ…。
頭を起こすと、伯爵家が遠ざかって行くのが見える。
二階の窓から猪伯爵がわめいていた。
「逃げるな! 勝負しろ!」
その声もまた、次第に小さくなって、聞こえなくなった。



「…あれが、銀の公爵ね」
伯爵家がある大通りの教会の屋根の上で。
紫のドレスに身を包んだ女が、猫に話しかけた。
「正しくは、銀の公爵の子孫、よ。
 同じあだ名で呼ばれてるけど」
猫は、無邪気な声で答えた。
「なんだか、期待してたのとは程遠いようだぜ?」
女の持っている杖の先で、コウモリがため息をついた。
「なあに、若いもんは、ちょっとのきっかけで劇的に変わるもんだぁさ」
今度は帽子が、老婆の声でしゃべりだす。
「だと、いいんだけど…」
女は小さくつぶやき、白い指先をぱちんと鳴らした。
教会の屋根の上には、誰もいなくなった。



©Nihon Falcom Corporation.
All rights reserved.