銀の公爵 Shotr Stories
 [ 第二回 ]

「この、大馬鹿者がっ!!」
やたらとだだっ広い屋敷の中に罵声が響いた。
目の前では、隠居した父親が怒り狂っている。
公爵は、ちょっと肩をすくめただけで、それを聞き流した。
「伯爵家の姫君にちょっかいを出し、干し草に潜り込んで逃げたじゃと?」
「ああ…それは、ちょっと違います」
息子は、銀色の髪に手を突っ込んで、軽くかきまわした。
「自分から潜り込んだわけではなく、荷馬車の上に落ちたんです」
「同じことじゃ!
 今日一日で、どんなに噂が駆け巡ったか知っておるか?
 物笑いのタネになりおって、先祖に申しわけが立たん!」
父親はシワくちゃの手で息子のベルトをつかみ…なにしろ、首根っこをひっつかむには、息子の身長が高すぎるのだ…壁際に押しやった。
古びた石の壁に古びたタペストリーと、これまた古びた肖像画がかかっている。
タペストリーには、王から賜った『清廉にして尊き』のフレーズと、ユニコーンの紋章が縫い取られている。
「そもそも、当家が公爵の位を賜り、この輝かしき紋章とフレーズを掲げたのは…」
オヤジ殿の長い説教が始まった。
いつものことだから、息子の公爵は慣れたものだ。
その話は、何度も繰り返されている。
多分、母親の腹の中にいる時から聞かされ続けているのだ。
先祖の公爵は、才能にあふれ、誠実な性格で、歴史的大戦の中で、ただひとり王を守って戦い、この国を救ったと言われている。彼は、その美しい髪色から、『銀の公爵』と呼ばれ、末長く人々に愛された。まあ、よくある英雄物語だ。
しかし、不肖の子孫は、その伝説が全部本当だとは信じていない。
だいたい、たったひとりで王を守って戦った勇者というわりに、肖像画の人物はヤサ男すぎる。
また、彼が残したという品々が今も倉の中に大事にとってあるが、わけのわからないガラクタばかりだ。
汚い木の人形とか、不気味な魔神をかたどったランプとか。
そんなものを集めて喜んでいた人物なのだから、よほどの変わり者でもあるのだろう。
英雄話は、後世に美化されたものに違いないさ、と思う。
そりゃあ、ちょっとは、勇敢に戦った人物なんだろうが…。
公爵は、老父のお小言を聞き流しながら、ふと肖像画をみやった。
自分自身にそっくりな若い貴族が、こちらを見ている。
輝くばかりの美しい銀髪に、優しげなまなざし。
子孫の公爵が同じように『銀の公爵』と呼ばれるのは、この肖像画に生き写しだからなのだが。
「くだらぬことばかりしていないで、少しは手柄を立てろ!」
オヤジ殿の怒鳴り声が響いた。
肖像画が一緒に怒ったような気がして、若い公爵は首をすくめた。


さて、父親からこってりしぼられても、公爵は少しも懲りることはなかった。
障害があるほど、恋は燃える。
番犬ならぬ番猪のような兄に邪魔されたとしても、だからこそ、口説きがいがあるというもの。
魅惑的なシチュエーションで、姫君の心を盗んでやる。
それには、月の女神が寂しげに輝く夜がいい。
青白く照らされたバルコニーから、そっと忍び込むのだ。
…下世話な言葉で言えば、ただの夜這いなのだが。

公爵は、お気に入りのレースのブラウスと銀髪に似合う青いビロードの上着を身に付け、伯爵家の庭に立った。
ロープの先に重りをつけて、姫君の部屋のバルコニーにひっかけようとする。
と、誰かが こちらへ来るような気配がした。
公爵はロープをまとめ、近くの植え込みに身を隠した。
武装した男が二人、ゆっくりと通りすぎて行く。
手には、長い槍と獣をとらえる網のようなものを持っていた。
…さては、あの猪が、警備を置いたな。
公爵は人影が去るのを見届けて、再びバルコニーの下に立った。
間抜けめ、あの程度の警戒で、この俺を捕まえることなぞできるものか。
恋の狩猟に心躍らせる貴族は、さっさとロープを投げ、あっという間にバルコニーに忍び込んだ。
ここまでくれば、愛しい姫君まで、あと一歩。
手入れの行き届いた指先で、高価なガラスのはまった窓を軽く叩く。
二回、三回。
ややあって、そっと窓が開き、白い寝巻きをまとった姫君が顔を出す。
「きゃああああ…!」
絹を裂くような悲鳴。
想像していたのとあまりに違う展開に、公爵は驚いて、姫君の口をふさいだ。
「しーっ、私です」
「…こ、公爵様…どうしてこんなところに?」
「どうしても、あなたに会いたくて」
公爵はまぶたを半分閉じ、詩人が歌うようにささやいた。
「夜に紛れて、ここまで来てしまいました。
 目を閉じて眠ろうとしても、浮かぶのはあなたの美しい面影。
 目を開けて見回せば、愛しいあなたはいない。
 針のような月光が、私の心を突き刺し急かし、気がつけばここに…」
なんだか三文芝居の台詞のようだが、舌の回転は絶好調。
ここまで言えば、落ちたも同然だろう。
ところが。
姫君はずっと怯えたようなまなざしで、こちらを見つめている。
期待しているような場面には、一向にならない。
「お帰りになって。ここにいては危険です」
「あの警備のことですか?
 兄上がずいぶん物々しくやっていらっしゃるようだが。
 あなたを愛する私にとって、あれしきの連中など…」
おそるるに足らず、と言おうとしたところで、騒ぎが起こった。
廊下の方から、けたたましい足音が響いてくる。
「姫様!」
警備のひとりが、抜き身をひっさげたまま、駆け込んできた。
「お逃げください。やつらが来ました」
「やつら?」
公爵は自分の立場をすっかり忘れてきいた。
「貴様…!」
警備の男は、公爵の姿を認めて、剣を構えた。
「やめて!
 この方は、近衛隊長とは関係ありません」
姫君は公爵の前に立って両手を広げた。
同時に、廊下の方でまた騒々しい靴音が響いた。
「…誰か、援護してくれ!
 御主人様が危ない!」
「お兄様が!?」
姫君が叫んだ。
いったい、なにが起きているのか。
わけがわからないが、伯爵家に危機が訪れているのは間違いない。
公爵は凛とした声で警備の男に言った。
「姫君を警護して、安全な場所へ避難させろ。
 私は、伯爵殿を助けに行く!」


銀髪の公爵は、屋敷の中を走った。
何人もの警備の者が倒れている。
その男たちは、なぜかみんな矢を受けて傷ついていた。
屋内戦で弓矢を使うだと?
どこから射たのだろう…
耳を澄ますと、伯爵の声らしい猪のような雄たけびが聞こえてきた。
「地下か?」
公爵は音をたどって走り、地下室へ続く階段を駆け下りた。
黒い人影が、どさりと目の前に倒れた。
「う…貴様…なぜここに」
人影は猪伯爵だった。
左肩に矢を受け、苦しそうに顔をゆがめている。
「細かい話は後だ。貴殿を助けに来た」
公爵は猪伯爵を助け起こし、すらりとサーベルを抜きはらった。
顔を前に向けると、薄暗い地下室の中に女の姿が浮かんでいる。
長い髪を高く結い上げ、金色の弓を手挟んだ背の高い女。
ふわふわと浮遊する古代戦車の上に立ち、ゆらゆらと揺れている。
どういう仕掛けなのかはわからない。
天井から下げられたランプに照らされてか、全体のシルエットが赤い光に包まれている。
人間の女というより、古代の女神のように思えた。
「やれやれ、大変な美人じゃないか。
 なのにどうして、そんな武器を持つのかな」
公爵は軽口を叩いて、女神の背後に回り込んだ。
手負いの猪から、敵の注意をそらすためだ。
女神は車ごと向きを変え、音も立てずに矢をつがえて公爵に狙いを定めた。
至近距離から疾風のように打ち出される矢。
公爵は紙一枚の隙間でそれをかわし、女神に近づくと、横ざまにサーベルで切りつけた。
ふわり、と車が浮いて、女神はなんなくよける。
そのまま、ふわふわと羽のように漂い、また矢をつがえ…。
公爵は後退し、跳躍し、蜂が刺すようにサーベルを操って攻撃のチャンスを伺った。
しかし、不思議な戦車に乗っている女神の方が、断然有利だ。
あちこちに荷物が置いてある地下室は、地上を移動する公爵には不利で、たちまち追い詰められてしまった。
木箱に退路を絶たれ、どこにもよけることが出来なくなった公爵に、冷酷な女神が迫る。
これで終わりか?
頭上に輝くランプの明かりがやけにまぶしい。
公爵は悪あがきするように飛び上がって、ランプをぶら下げているロープをつかんだ。
「!」
その時、公爵の重みに耐えかねて、ロープが切れた。
ランプが宙を舞い、女神の方へ飛んで行く。
油が飛び散り、女神はそれを頭からモロにかぶってひるんだ。
引火。
「あーっ!」
長い悲鳴が炎に包まれた。
女神はまるで紙が燃えるように、あっという間に灰になった。
一瞬の出来事。
後には骨も残らない。
あの不思議な戦車の残骸さえも。
公爵は、女神が消えた辺りの空間を見つめて、呆然とした。




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