銀の公爵 Shotr Stories
 [ 第四回 ]

公爵は一番速い馬に飛び乗って、王宮へ向かった。
役人や兵士、宮廷に遊ぶ貴族など、手当たり次第に捕まえて、猪伯爵のことを尋ね回った。
逮捕にかかわった兵士を見つけて、伯爵の行方を尋ねる。
「牢獄城です」
と、兵士は気の毒そうに答えた。
牢獄城とは、王都がこの場所に移る前、砦として使われていた古い城だ。
都の中心部から早馬で一時間ばかり走ったところにある。
国家を脅かす重大犯罪人や、極悪非道な死刑囚ばかりを収容した恐ろしい牢獄である。
そこに入れられたら、まず助からない。
自由になれるのは、死刑台で首を落とされ、幽霊になった後だ。

せめて、猪伯爵が手に入れた手紙があれば。
それを証拠に伯爵の無実を証明することができたかもしれないのに。
公爵は王宮の中庭に立ちつくした。
猪伯爵の顔、姫君の顔、老父の顔が順繰りに浮かんだ。
もはや、伯爵を救う方法はひとつしかない。
銀の公爵は天を見上げた。
そして、決心した。


公爵は、愛用のサーベルを握りしめ、牢獄城の前に立った。
堅固な城塞は、昼間だというのにおどろな空気に包まれている。
黒々とよどんだ水をたたえた堀が横たわり、跳ね橋は上がっていて、訪れる者を拒んでいた。
「さて、どうしたものか」
単身乗り込んできたはいいが、中に入る方法がわからない。
堀を渡ったとしても、高い城壁を越えることができるのか。
羽でも生えていなければ、ムリだ。
考えあぐねていると、背後で馬車の音がした。
慌てて近くの木立に隠れる。
馬車音は次第に大きくなり、そのうちに様子が明らかになった。
荷馬車だ。
百姓風の男が手綱を操っている。
荷台ではいくつもの樽や、野菜の詰まった箱が揺れていた。
「補給物資か」
牢獄城の中で消費される食料を運んできたのだろう。
公爵は少しの間、様子をうかがっていたが、そのうちにふと思いついて、足元に転がっている小石を拾った。
荷馬車が近づき、馬が目の前を通りすぎようとした時。
公爵は、馬の鼻面めがけて、小石を投げつけた。
「ブヒヒヒ……!」
びっくりして棒立ちになる馬。
百姓男は必死になって手綱をつかんだ。
「どう、どう!」
なんとか馬をなだめようとする。
もちろん、荷車の方に振り返る余裕などない…
公爵は木立から飛び出して、揺れる荷台に飛びついた。
野菜の箱をずらし、体が入るだけの隙間を作る。
腕や足などあちこちをぶつけながら、むりやり体を押し込んだ。
やがて、馬がおとなしくなる。
百姓男は手綱を握り直し、牢獄城へ向けて馬を走らせた。



「気分はどうかね、伯爵」
紫色の上着に黄色い飾り布をつけた中年男が、残酷な声で尋ねた。
牢獄城最奥の特別室の中。
コケとカビに覆われた石壁から、拷問の鞭の音や、獄吏の怒声が伝わってくる。
ほとんど正気を失った囚人たちが、金属を引っ掻くような声で泣き叫んでいた。
獣脂を満たした油皿の炎が、伯爵の二人の敵を照らしている。
近衛隊長と、ネイティアル・マスター、マグナ・レック。
やたらと飾りのついた衣装をまとった中年男と、砂漠風のゆったりした衣装に白いアゴヒゲを垂らした怪奇な老人のシルエットが、ゆらゆら揺れる。
猪伯爵は鉄格子の内側で低くうなった。
手首と足首に鉄の枷をつけられて、身動きが取れない。
服をはぎ取られた上半身のあちこちから血が噴き出している。
鞭でつけられた無数の傷がずきずきと痛んだ。
「他人の手紙を盗むなど、よくない男だ。
 少しは改心したかね?」
近衛隊長は言った。
「今からでも、遅くはないんだよ。
 手紙のありかを吐くがいい」
「ふん」
猪伯爵は、剛毅に鼻を鳴らして拒絶した。
この程度のことで弱気になるような男ではない。
「ほほほ、これは威勢のいい猪ですな」
マグナ・レックが乾いた笑い声を立てた。
「隊長閣下。
 この猪は拷問などで口を割るようなヤワな男ではないようです。
 自分が痛めつけられる分には、なにも堪えないでしょう」
「と、いうと?」
「この男が大切にしているものを傷つけるのがよいでしょうなあ。
 家族、とか」
「おお、それならば」
近衛隊長は手を打ち、伯爵の方に向き直った。
「貴殿には、かわいい妹御がいたな…」
猪伯爵はどきりとした。
妹思いの兄に、この脅しは効く。
しかし、妹は銀の公爵に預けてあるのだ。
公爵は腕が立つし、妹を愛している。
必ず、守ってくれる…
「やれるものなら、やってみろ!」
猪伯爵は強気で叫んだ。
「おやおや」
と、マグナ・レックが馬鹿にするような声を出した。
「まだ強がりをいうとは。
 思い知らせてやらねばならないようですなあ」
猛禽類のような高い声で、カラカラと笑う。
近衛隊長も一緒になって笑った。
その声は石壁に反響して、長くこだました。


さて、首尾よく牢獄城に潜り込んだ公爵は、すでに牢内に侵入していた。
見回りの兵士を倒して鎧と装束を奪い、堂々と建物の中を歩き回る。
囚人たちの悲鳴や血のにおいに顔をしかめながら、伯爵を探す。
ぐるぐると続く螺旋階段を降りていると、聞き覚えのある笑い声がした。
紫色の上着に黄色い飾り布をつけた、下品なセンスの中年男を思い出す。
近衛隊長だ。
公爵が隠れようとすると、下の方から早速、その姿が近づいてくる。
下品な笑い声をたてながら上機嫌で階段を昇る近衛隊長と、その後ろに従う砂漠風の服を着た老人。
公爵は階段を引き返そうかと思った。
だが、下手にびくびくした態度をとると、かえって怪しまれるに違いない。
えい、ままよ。
きちんと兵士のなりをしているんだ。
何気なくすれ違えば、気付かれるはずはない…。
公爵は大胆不敵に、そのまま階段を降りた。
近衛隊長が近づいたところで足を止め、敬礼する。
「ご苦労」
近衛隊長は、ぞんざいに右手を上げて行きすぎようとした。
よしよし、さっさと行け。
公爵はせかしたくなる気持ちを抑えて、敬礼を続けた。
左手の先が緊張で震え、愛用のサーベルが、ちゃらりと音を立てた。
「しばし」
砂漠の服を着た老人が足を止めた。
近衛隊長も立ち止まって振り向く。
「おまえ」
老人が、公爵に向かって声をかけた。
公爵はびくりとする。
気付かれたか?
しかし、俺は、この老人を知らない。
もちろん、老人も俺のことを知らないはずだ。
内心は動揺したが、態度には表さず、黙って敬礼し続けた。
「…そのサーベルは、どこで手に入れた?」
「…」
妙な質問に公爵は戸惑った。
近衛隊長にわからぬよう、作り声で、
「近所の…鍛冶屋に鍛えてもらいました」
と、答える。
「近所の鍛冶屋じゃと?」
老人は毛の長い眉をぴくりと動かした。
「そのへんの鍛冶屋が、ユニコーンの紋章を入れるじゃと?」
公爵は、しまった、と思った。
このサーベルは、先祖代々のもの。
柄には我が家の紋章と、『清廉にして尊き』のフレーズまで入っている。
「銀の公爵の紋章じゃ!」
老人は、長い衣を翻して、身構えた。
「どうしたんだ、マグナ・レック!」
近衛隊長が叫ぶ。
こうなっては仕方がない。
公爵はユニコーンのついたサーベルを抜き払った。
近衛隊長に向けて、先制の一撃を繰り出す。
その時。
老人…マグナ・レックの体が光った。
「出でよ、パ・ランセル!」
しゃがれた叫びと共に、奇妙な木の人形が現れた。
それは激しい勢いで回転し、両手についた分銅を公爵目がけて振り回した。
公爵は、なんとか一撃を避けたが、重い鎧が邪魔をして、思うように動けない。
しかも狭い螺旋階段だ。
マグナ・レックの体が二回三回と光り、その度に人形が現れて公爵を襲った。
公爵は腹と背中を同時に攻撃されて、悶絶する。
苦しむ暇もなく、次の攻撃が頭部に当たった。
公爵は声も出せずに仰向けにひっくり返った。
「死んだのか?」
近衛隊長がゆっくりと歩み寄る。
マグナ・レックは首を横に振った。
「まさか、銀の公爵が出てくるとは、思いませんでした」
気絶している公爵を凝視して、恐ろしそうにつぶやく。
その大げさな反応に、近衛隊長は
「いったいどうしたのだ」
と笑った。
「こんな男のなにが怖い。
 宮廷では有名人だが、それはただの女たらしとしてだ」
「このユニコーンの紋章の意味をご存じないから、そうおっしゃるのです。
 こやつの先祖が、なにゆえこの紋章を掲げるようになったのか…」
「お前らしくないな。
 そんなに恐れるのなら、この場でとどめを刺してしまおう」
近衛隊長はサーベルの柄に手をかけた。
「いや…、お待ちください」
マグナ・レックは、シワだらけの手で近衛隊長を制した。
「生かしておきましょう。
 まだ利用する価値がございます。
 私は、この男の家に伝わっているはずの、あるものが欲しい…」




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