銀の公爵 Shotr Stories
 [ 第五回 ]

公爵家の食堂には、あいかわらずたくさんの料理が並べられていた。
オヤジ殿が姫君を歓迎して、大喜びで用意したものだ。
不安で口をきくこともできない姫君に、オヤジ殿は明るく話しかけた。
「さあ、最初にワインはいかがかな。
 あなたのために、とっておきの一本をあけましょう。
 …ほうら、見なされ、この美しい赤を…
 もっとも、あなたの唇にはかないませんがな」
銀の公爵の父親らしい言葉だ。
確かに親子だと思うと、姫君は少しだけおかしくなって笑った。
「おお、すばらしい笑顔じゃ。
 その笑顔に乾杯」
いたずらっぽく片目をつむる。
「兄君のことなら、心配せずとも大丈夫じゃ。
 アレに任せておきなされ。
 あなたには、元気をだして、たくさん食べてもらわねば。
 そして、アレのために、もっと美しくなってくだされ…」
「お、大旦那さま…!」
オヤジ殿が絶好調で姫君を励ましているところに、真っ青な顔の小姓が駆け込んできた。
「こ、近衛隊が、こちらに…」
「なに!」
オヤジ殿は立ち上がった。
姫君は小さく悲鳴をあげ、両手で顔を覆った。
オヤジ殿は姫を励ますように、大きな声で
「サーベルをもて!
 老いたりといえ、近衛隊のひとりやふたり、斬り伏せてみせようぞ!」
「大旦那さまァ…
 ひとりやふたりじゃありませんよう…!」
「では、何人じゃ?」
小姓は黙って窓を指さした。
見れば、赤い制服をまとった男たちが、往来にまであふれている。
ドォンと、激しい音がして、屋敷が揺れた。
丸太をぶつけて、玄関の扉を壊そうとしているのだ。
「これはたまらん!」
オヤジ殿は、まなこを大きく見開いた。
姫君の手を取り、小姓に怒鳴る。
「おまえたちは早く逃げろ!」
「大旦那さまは、どうなさるんで?」
「わしと姫は心配ない。
 ご先祖様が守ってくれる!」


あたりは暖かな光に満ちていた。
やわらかな白い布が、どこまでもどこまでも広がっている。
楽士の姿は見えないのに、リュートの音と鈴を振るような歌声が響いていた。
目を開けていないのに、なぜかそんな情景が見える。
布がはためいて、人影がちらりと見えた。
…伯爵だ。
大柄で豪快な青年貴族が笑っている。
また別の布が翻って、今度はオヤジ殿の顔が見えた。
その隣には、姫君。
そして、最後の布が舞って、銀髪の美青年を描いた肖像画があらわれた……

「起きてよ。
 ねえ、気がついてったら」
夢うつつの公爵の耳に、無邪気な声が響いた。
いい気持ちで眠っているのに。
俺を起こすのは、誰だ?
「起きてってば」
あんまりうるさいので、公爵は薄く目を開けた。
ちくちくしたものが耳に当たる。
それは、猫のヒゲだった。

「よかった。やっと気がついた。
 ホントに死んじゃったかと思ったわよ」
公爵は跳ね起きて、あたりを見回した。
コケとカビと血糊のこびりついた石壁。
鉄格子。
油皿で焦げつく獣脂のにおい。
牢獄城の一室だ。
「ちょっと、無視しないでよ」
足元で声がする。
真っ黒な猫が尻尾を立てて見上げていた。
公爵は目をぱちくりする。
まだ夢を見ているらしい。
猫は公爵の頭を踏み台にして、鉄格子のはまった窓枠に飛び上がった。
金色の瞳が、更に激しく輝く。
その光線を受けて、鉄格子が飴のように溶けた。
「あはははは…」
公爵は思わず笑ってしまった。
信じられない。メルヘンだ。
「なによ、せっかく助けに来てあげたのに。
 シツレイしちゃうわね」
猫は窓から外へ飛び出した。
「もたもたしてないで、早く来なさい!」
外から声がする。
公爵が窓から外を見ると、巨大なコウモリがバタバタとはばたいていた。
背中に猫を乗せ、足の先には公爵のサーベルをつかんでいる。
窓の下を見ると、くらくらするような眺めが待っていた。
ここは塔の一室らしい。
「どうした?
 俺の背中に乗れよ。
 それとも、ビビッちまったかい?」
コウモリが乱暴な口をきく。
銀髪の公爵は窓から体を乗り出した。
そして、メルヘンついでに外に出て、コウモリの背中に飛び乗った。


「おかえり、ご苦労さま」
コウモリが飛んだ先には、紫のドレスをまとったコケティッシュな女が待っていた。
都の入口。
コウモリは猫と公爵を下ろすと、うれしそうに女に近寄った。
巨大な体がみるみる小さくなって、女の持っている杖の先に止まる。
「ねぇ、ごほうびは?」
猫が尻尾を立てて女に擦り寄った。
女は小さな菓子を猫とコウモリに食べさせた。
「あたしも欲しいねえ」
女がかぶっている帽子が、老婆の声でねだる。
「バアさんは何にもしてないだろうが」
コウモリの抗議。
「あたしゃあ、メルレット様をお守りしてたんだよ」
「ほほほ、そうね」
紫のドレスの女は、帽子にも菓子を与えた。
三角にとがった部分の付け根がばっくり開いて、まばらな歯が現れる。
帽子は、うまそうに音を立てて菓子を食べた。
「びっくりしたようね」
女はやっと公爵に声をかけた。
公爵は目の前で起きていることが信じられず、まだ目をしばたたいていた。
この状況でびっくりするなという方が無理だろう。
「あなたは塔の方に閉じ込められたから、すぐに助けてあげられたけど。
 伯爵は地下だから、ちょっと難しいわね」
女は悔しそうに細い腕を組んだ。
むき出しの肩が、月光に照らされて青白く光っている。
「あなたは誰だ?」
公爵はつぶやくように尋ねた。
普段、宮廷のご婦人方を相手にする時のような調子は出なかった。
「私は、紫のメルレット。
 銀の公爵、あなたを探しに来たのよ」
謎めいたほほえみ。
「私を知っているのか?」
「正確には、あなたのご先祖をね。
 銀の公爵は、それは優れたネイティアル・マスターだったわ」
「しかも、とびきりイイ男でねぇ、ふえっふぇっふぇっ…」
帽子が茶々を入れる。
メルレットは続けた。
「二十四のネイティアルを自在に操って、たったひとりで祖国を守ったの。
 そして、ユニコーンの紋章と『清廉にして尊き』のフレーズを王から賜ったのよ」
話は、オヤジ殿から毎日聞かされている英雄物語につながった。
あの話は本当だったのか。
後世に美化されたからではなく、時代が下って大事な部分が欠落してしまったから、嘘のように聞こえたのだ。
まさか、先祖の銀の公爵がネイティアル・マスターだったとは。
なるほど、それなら非力なヤサ男でも、たったひとりで国を守ることができたろう。
公爵はメルレットの話は筋が通っていると思った。
しかし、それが現実だとはまだ信じられないでいた。
猫やコウモリや帽子がしゃべったりするものだから、まだ夢を見ているような心持ちなのだ。
メルレットは、そんな公爵の心の中を見透かすように、瞳をのぞき込んだ。
「あなたにもネイティアルは扱えるはずよ。
 うまく使うなら、伯爵を助け出すことも可能でしょうね」
誘惑するようなほほえみ。
公爵には、このほほえみが、今までのどんな美女たちの笑顔よりも魅力的に見えた。
エメラルドグリーンの瞳と、バラの花びらのような唇が、雄弁に語っている。
…あなたなら、できる。
 大事なお友達を助け出せる。
 不様に負けた屈辱をはらすことも。
 さあ、近衛隊長とマグナ・レックに立ち向かうのよ…
メルレットは真っ白な指先を公爵に向けた。
公爵は、貴族らしい優雅さでその手にくちづけ、師匠に対する敬意を表した。
「ネイティアルの使い方を教えてください」




©Nihon Falcom Corporation.
All rights reserved.