銀の公爵 Shotr Stories
 [ 第七回 ]

近衛隊長は、すこぶる機嫌が悪かった。
猪伯爵が手紙の在り処をなかなか吐かない上に、銀の公爵にまで逃げられてしまった。
いや、それよりも不安なのは、宮廷の中に不利な噂が立ちこめ始めたことだ。
マグナ・レックに応援を頼む前から、近衛隊長に謀反の気配があると感づき始めている者たちはいた。
だが今までは、なにを噂されても、ただの中傷と片づけられるレベルで収まっていた。
ところが伯爵を牢獄城へブチ込んだあたりから、宮廷人たちの間では、もっぱら国王暗殺計画のことが話題にされるようになっていった。
中には無視できないようなことを言い出す輩も出てくる。
猪伯爵が誠実な男として評判だったことから、これは近衛隊長の陰謀だと、うがちすぎた推測を立てる者たちが現れたのだ。
あくまでも推測で語られていることだが、実際は真実なのだから、近衛隊長は気が休まらない。
こんなことで、クーデター計画はうまくいくのか。
もしも失敗して、国王暗殺計画が露呈すれば、失脚どころか死も免れない。
頼みの綱はマグナ・レックだけだ。
邪な老賢者は、しばらく黙って近衛隊長を見つめていたが、やがて、
「…よい考えがあります」
と笑った。
「宮廷人たちが噂話を好むのは、より強い刺激を求めてのことです。
 国王暗殺計画など、彼らが最も喜ぶ派手な話題といっていいでしょう。
 よくない噂を立てないようにさせることなど、到底できません。
 ならば、もっと派手な話題を提供してやればよいのです。
 そう、例えば…」
マグナ・レックは、もったいぶって声をひそめ、近衛隊長の耳に口を近づけた。
ゆっくりと噛んで含めるように作戦を授ける。
近衛隊長の表情が、みるみる明るくなった。
「…と、こうすれば、閣下の不安は絶たれるでしょう。
 しかも、あのいまいましい銀の公爵をおびき出すこともできます」



「おいおい。
 どーして、ヘピタス程度が出せねェんだよ?」
ついに我慢できなくなって、コウモリが叫んだ。
銀の公爵は、ハンマー型ペンダントを握ったまま、ムッとした。
貴族ともあろうものが、なにが悲しくて、コウモリなんぞに罵倒されなくてはならんのだ。
叩き落としてやろうと思ったが、メルレット師匠が見ている手前、そういうわけにもいかない。
ただ黙々と、ヘピタス召喚を試みるほかなかった。

公爵の才能は、最初のうち、メルレットを驚かせて余りあるものだったが、後になるにつれて思わぬ欠点が露呈した。
ネイティアルとの相性が、よかったり悪かったり、その差が激しすぎるのだ。
「心の力は充分なのにね」
メルレットが呆れたような困ったような苦笑をもらした。
あたりには、公爵が召喚したネイティアルたちが漂っている。
それらはみんな、艶やかなほほえみを浮かべていた。
純白の翼をはばたかせる美少女、両手剣を軽々と担ぐ女戦士、愛らしい妖精、微妙な色の衣を幾重にも重ね着した東洋の美姫、果ては胸もあらわな人魚やスフィンクスまで…
「あきれたスケコマシだぜ。
 ネイティアルまで女しか出さねェなんてよ」
コウモリが下品に罵った。
そう…公爵が召喚できるのは、女性型のネイティアルばかりなのだった。
例外なのは、最初に出したパ・ランセルだけだ。
「美しくないものは、イメージしにくい」
言い訳にもならないことをつぶやいてみる。
「これじゃあ、戦略が立てられないねぇ」
メルレットの頭の上で、帽子が言った。
「天のネイティアルは、ほとんど全部出せるクセに、後はからっきしなんだから」
 敵が火のネイティアルを出してきたら、どうするんだえ?」
ネイティアルの属性には、強弱の関係がある。
四つの属性のネイティアルを均等に操らなければ、不利だ。
それは、公爵だとて充分理解している。
メルレットが、なぐさめるように言った。
「しかたないわ。
 属性は、自然の元素そのものですもの。
 四つの元素それぞれと均等に相性がいい人間なんていないわ。
 魔法学的証明によれば、人の性質は、その人の精神を構成する元素の偏りによって決まると言われているの。
 例えば、怒りっぽい人は火の元素に偏りを示し、生真面目な人は地の元素に近い、という具合にね。
 あなたのように育ちのいい人は、知性と品格を表す天の元素に偏ってしまうのでしょう」
「なにが知性と品格だよ。
 コイツのは、ただの女好きだぜ。
 その証拠に、マームとブリックスは出せるんだから。
 マームは水だし、ブリックスは火だぜ?」
コウモリが汚い言葉で混ぜっかえす。
マームは人魚、ブリックスはスフィンクスのような半人半獣の精霊である。
いずれも下半身は動物だが、上半身は人間の女性だ。
「…そうね、それがせめてもの救いね。
 地のパ・ランセルを合わせれば、とりあえず、各属性一種類ずつは召喚できることになるから」


メルレットがそう言って腕を組んだところで、外から猫が帰ってきた。
「大変よ、大変よ、メルレット!」
あたりをぐるぐる跳ね回って、やたらと興奮している。
「どうしたの?」
メルレットが幼い子をなだめるような調子で尋ねる。
猫は自分の尻尾を追いかけ回して、暴れながら叫んだ。
「伯爵が…
 伯爵が、殺されちゃう!」
「なに!」
公爵は、ヘピタスのハンマーを取り落とした。
メルレットも厳しい表情になる。
猫は尻尾をおさえながら、
「ギロチンなの。
 国王暗殺を企てた重罪人として、民衆の前で首を切り落とされるのよ。
 都中に、おふれが回ってるわ。
 あしたのお昼、十二時きっかりに……」
「くそーっ、どうすりゃいいんだよ!」
猫が最後まで言い終わらないうちに、コウモリが悪態をついた。
「このスケコマシは、まともにネイティアル召喚ができねェんだぞっ!」
「悪かったな」
公爵は、とうとう言い返した。
下品なコウモリと怒鳴り合いをしそうになったところで、メルレットが制した。
「もめていても始まらないわ。
 まだ、全てが終わったわけじゃない。
 …むしろこれは、チャンスよ」
「チャンス?」
メルレットの意外な言葉に、ひとりと二匹とひとつの帽子は、声をそろえて鸚鵡返しした。
「そう。牢獄城の地下深くへ救出に行くのは大変だと思っていたのよ。
 向こうから出てきてくれるんだから、手間が省けたようなものだわ」
「なにか作戦が?」
「まあね。ギャンブルといったほうがいいかもしれないけど…」

メルレットは妖しく笑って、公爵を見た。
辺りに散らばっている道具の中から、古びた羊皮紙を拾い上げる。
人間の手の骨を留め具にした、不気味な巻き物だ。
それをゆっくりと公爵の手に握らせて、メルレットは囁いた。
「天のネイティアルは美女揃い。
 でも、あなたが召喚したのはそのうちの五つまで。
 もうひとり、難攻不落の美女がいるのよ……」



つづく


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