吐息 Shotr Stories
 [ 第十五回 ]


雪花石膏(アラバスター)の通路は、まだまだ続いていた。
王女は暗闇に目を凝らす。
この先、また奇妙な仕掛けが出てくるのだろうか?
王女は両手を握りしめ、わき上がってくる恐れを押さえつけた。
ハモン王の財宝を手に入れ、農民たちの所へ持って帰る。
そう決めたのだ。
もはや、父上にも叔父上にも、力を借りることはできない。
この手で、農民たちを救うのだ。
ここで退くわけにはいかない。
闇を睨みつけ、思い切りよく足を踏み出した。
「まあ、そう、あわてなさんなよ」
セケムに腕をつかまれる。
「がむしゃらに進んでも、まァた、落っこちるだけだぜ」
どこか間延びしているトボケた物言い。
緊張感がない。
王女はムッとして、腕を払った。
セケムは、もう一度、王女の腕をつかみ直す。
「姫様は、後」
無理やり後ろに押し戻されてしまった。
王女は仕方なく、ひょろ長い後ろ姿を眺めた。
やたらと高い背を丸め、あごを前に突き出した、妙な姿勢だ。
長い腕を伸ばしたり縮めたりして、油皿をゆっくり動かしている。
腰を落し、あるいは背伸びし、首を傾け、「ふう」と小さく息を吐き…
長い脚をガニ股気味に開いて進む様は、どこか、おかしみがある。
セクメトも、不思議そうに首をかしげた。
「…何をしている?」
王女は、思わず笑ってしまった。
セケムは、相変わらず妙ちくりんな仕草で油皿をかざしながら、
「糸を探してんだよ」
と、答えた。
「糸?」
「からくりが動き出すきっかけさ。
 …ああ、ほら、あった」
セケムは振り返った。
左側の壁を指さす。
「これに触らなけりゃ、いいんだ」
王女には、なんのことだかわからなかった。
セケムは油皿を膝の高さで止めた。
「よく見なよ」
何もない空間を照らしている。
王女は、おそるおそる顔を近づけてみた。
「いろんな角度から見ないと、わからないかも知れないぜ」
そう言われて、首を伸ばしたり傾けたりしてみる。
セクメトの鼻息が、頬にぶつかってきた。
この大きな猫は、わからないクセに、いつもマネっこするのだ。
鼻の下を伸ばして、においをかいでいる。両目が寄って、とても変な顔だ。
王女はセクメトの鼻面を押さえ、油皿の照らす辺りを見つめた。
「あ…」
銀色の糸が、目の前を水平に走っている。
左右の壁から壁へ。
雪花石膏の粒子に挟まるように留められた、ごく細くて見えにくい糸だ。
「なんの素材で出来ているのだろう…」
王女は目を細めた。
「なんだっていいさ」
セケムが、あっけらかんと言った。
「とにかく、これに触るとからくりが動き出すんだ」
「どうしてわかる?」
「さっき、穴に落ちる前、クモの糸が顔についたって、言ったろ?」
確かに。
「入口もわからないくらい、ぴったり閉められてたとこに、生き物が入り込むわけ、ないじゃないの。絶対、怪しいんだよ。
 だから、これが仕掛けなんだって気付いたのさ」
「なるほど…」
王女は感心する。
この男の知恵には、また驚かされた。
「それで、この糸がどこへつながって、どうなって、落とし穴が作動するのだ?」
「そこまで知るかよ」
セケムは笑った。
王女は眉をひそめる。
ちっとも、論理的じゃない。
せっかく感心したのに、あきれてしまう。
「わからないのに、よく自信が持てるものだ」
「必要のないことは、わからなくたっていいんだよ。
 腹が鳴った時には、余計なこと考えないだろ?
 …まー、姫様くらいになれば、いろいろお思いになるのかもしれないけど。
 『腹が鳴るのは、胃の腑に虫が住んでいるからであろうか。それとも空の胃の腑で息が躍るからであろうか』なァんてね?」
手の甲を口に当て、お姫様の演技をしている。
「ノラ犬は、そんなこと考えてたら、飢え死にしちまう。
 腹が鳴ったら、パンを探さなきゃ。それだけさ」
セケムは糸より少し高いところに腕をかざした。
「さあ、姉ちゃん。跳べ!」
セクメトは、芸でもするような調子で、その腕を飛び越えた。
「ようし、偉いぞ」
セケムは糸をまたぎ、お利口なライオンの首を撫でた。
セクメトはごろごろ言って喜んだ。
「さ、お姫様もどうぞ」
セケムは膝をついて、大げさにお辞儀した。


その後は、一度も落とし穴が開くことはなかった。
セケムの読みがズバリ当たって、罠を回避することが出来たというわけだ。
速度はゆっくりだったが、王女たちは確実に通路の終着点に到達した。

通路の終わりには、大きな白い石の扉があった。
一枚岩で出来ており、取っ手もなにもついていない。
どうやら、これは落とし扉だ。
中に収めるものを収めたら、二度と開ける必要はない扉。
天井から岩の板を落とし込んで、それっきりにしたものだ。
扉というより、蓋と言った方が正しいのかもしれない。
王女の目よりも頭ひとつ分ほど高い位置に、神聖文字が刻んである。
セケムが両手をこすり合わせた。
「おおーっ、それっぽくなってきたじゃないの。
 『英雄王ハモン、お宝と一緒に、ここに眠る』」
「どこにそんなことが書いてある?」
王女は肩をいからせた。
「姫様は読めるの?」
「書き取りばっかり、させられているからな」
「うわ、書けるの!?」
セケムが驚く。
馬鹿にされているようで、ちょっと腹が立つ。
王女は文字をたどった。
「ここには、こう書いてあるのだ。
 『見よ。ただ、見よ』…あれ?」
奇妙なことに気付く。
どこにも、ハモン王の名前が書いてない。
ここは、彼の墓のはずなのに。
「なんだよ、なんだよ。
 やっぱり、ちゃんと読めないんじゃない」
セケムは「やっぱり」を強調して、下唇を突き出した。
「違う!」
王女は腕を組んで、頬を膨らませた。
「意味が通らないのだ。
 どうして、こんなことが書いてあるのか、わからぬ」
王女は浮き彫りになった文字を指でなぞった。

…見よ。ただ見よ。考えてはならない。そのままを知解せよ。

哲学の箴言みたいだと思う。
王女が読んできかせると、セケムもあごをなでながら唸った。
「わけがわかんねえなあ。
 『開けたら殺す』とか『宝を盗ったら呪う』とか、そういうことが書いてあるんじゃないの?」
「書いてない」
「『見よ』って言われてもなあ。何を見ろっての?」
「見当がつかぬ」
王女とセケムは、扉を眺めた。
セクメトが「あたしも見る」とばかり、伸び上がった。
後足だけで立って、鼻をひくつかせながら、前足を扉にかける。
その時。

一枚岩の扉が、天井に向かって、音もなく吸い込まれた。
セクメトは支えを失って、ばたばたと宙を掻く。
王女とセケムは目を見開いてぱちくりした。
…開いてしまった。
ただ、見ていたら、開いてしまった。
「どうなってんの…?」
セケムが気の抜けた声を出した。
セクメトが興奮して辺りをぐるぐる回っている。
王女はセケムの手から油皿を取り、扉の向こうを照らしてみた。
四角い部屋があった。
漆喰を塗られた壁には、絵が描いてある。
部屋はがらんどうで、黄金のひとかけらもない。
「お宝は?」
セケムが部屋の中を見回した。
セクメトもやっと落ち着いて、あちこちのにおいをかぎ回る。
王女は壁画に近づいた。
分かれ道に立つ青年の姿が描かれている。
青年は右手に短い杖を持って天を指し示し、左手を下に向けて地を指し示していた。
この絵は、なんなのだろう?
王女は背伸びして、灯りを上まで持って行こうとした。
「ハモン王の肖像かな」
セケムが後ろから口を出してくる。
油皿を取って、高いところを照らしてくれた。
絵の青年の頭上に『始まり』と書いてあるのが見える。
「いや…王ではない」
王女はつぶやいた。
王の絵なら、冠だの王笏だの鞭だの箱形の付け鬚だの、あらゆる小道具が描かれているはずだ。
メル美術の様式は、人の姿をなんでも同じ形に描き、小道具や服装、仕草などで、誰の肖像かわかるようになっている。
しかし、この青年像は、メル様式に当てはまらない。
自由闊達な筆さばきで、外国の図柄のようにも思われる。
「ハモン王じゃなきゃ、誰が描かれてるって言うの?」
セケムが急かすように問う。
「わからぬ」
「しょうがねえなあ。
 ま、いいか。お宝じゃないなら、どの道、用はねえや」
セケムは油皿を壁画から遠ざけた。
セクメトの方に灯りを向ける。
「おい、姉ちゃん」
雌ライオンは、体を低くして、しきりとにおいをかいでいた。
セケムに呼びかけられると、振り向いて「うぉん」と返事をした。
すっかりなついている。
戻ってきて、青年の長い脚に体をこすりつけた。
ロインクロスの端をくわえて、引っ張る。
「なんだよ?」
セクメトは、壁画のない壁の方へセケムを引っ張っていった。

「おおおっ!?」
セケムは歓声を上げた。
「姫様、来いよ!」
王女はセケムとセクメトの方へ近寄った。
「扉があるぜ!」
セケムは油皿をゆっくり回した。
漆喰を塗っただけの壁に、木の扉がある。
今度はちゃんと取っ手もついていた。
「でかした、姉ちゃん!
 お宝はきっと、この向こうだぜ」
セクメトは誇らしげに胸を反らし、あごを上に向けた。
セケムの大きな手に喉をくすぐられて、猫のように転がる。
本来の主人をそっちのけにして、遊んで欲しいとせがんだ。

王女は、セケムとセクメトがじゃれているのを片耳で聞きながら、木の扉を見つめた。
何百年も前に作られたものなのに、これはずいぶん新しい。
伐採したての青臭ささえあるような気がする。
取っ手をつかんで、そっと引いてみた。

「あっ!」
王女は、息を飲んだ。
扉の向こうには、とんでもないものが見えた。
それは、絶対にありえない光景だった。


第十五回・終わり


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