吐息 Shotr Stories
 [ 第十八回 ]


「シェメウだ!」
王女とセケムは同時に叫んだ。
シェメウの兵士たちが、村を襲っている。
王女は、胸を包む亜麻布に息吹(トゥ)の緑柱石を挟み、村の方へ駆け出した。
デペイ叔父の言ったことが、頭の中に蘇る。
シェメウへの献上品が滞れば、略奪の口実を与えることになる…。
父上は、シェメウの略奪を許したのか?
王女はセクメトと一緒に、兵士たちの前へ躍り出た。
「姫様、止せっ!」
セケムの叫び声が追いかけてきた。
だが、怖じ気づいてはいられないのだ。
武装した兵士たちが槍や鞭をかざし、馬に乗って、弱い人々を蹂躪している。
農民たちは、家畜のように追い回されて、悲鳴を上げていた。
泥を固めて作った粗末な家に隠れたものたちも、容赦なく引きずり出され、引っ立てられる。
これを黙って見ていることなど、できはしない!

セクメトが獣の脚力にものを言わせ、王女に先んじて飛び出した。
百獣の女王は、牙と爪とを閃かせ、兵士たちに荷担する馬たちを襲った。
軍馬たちは怯えて棒立ちになる。
何人かの乗り手が、馬から転がり落ちた。
王女は兵士が落とした槍を拾い上げ、真っ直ぐ構えた。
「静まれ! これ以上の乱暴は許さぬ!」
王女の声が弓弦をはじくように、辺りの空気を打ち据える。
逃げ惑う人の群れから、
「兄ちゃん!」
と、声が上がった。
市場で会った男の子だ。
男の子は、王女の側へ駆け寄ってきた。
他の村人たちも、誘われるようにひとかたまりになった。
こうなると、兵士たちも迂闊に手を出すことは出来ない。
セクメトが牙から馬の血をしたたらせながら、ゆっくりと王女の前に侍った。
黄金の瞳がらんらんと輝いて、兵士たちと馬をねめつける。
王女は槍の柄を地面に突き立てた。

セケムは、河岸から、そっと王女の後ろに回り込んだ。
兵士たちと人々の目が、王女と隊長に集中している隙に、近くの家の陰に隠れる。
いざという時、王女を助けられる距離だ。

「何者だ、小僧」
兵士たちの中から、隊長らしき男が王女の方へ馬首をめぐらせた。
セクメトが唸っているにもかかわらず、馬は蹄を規則正しく響かせて、近づいてくる。
鞍上から、ひげ面の男が王女を見下ろした。
男はシェメウ人らしく、長い髪の毛を兜の隙間から背中まで垂らしている。
槍をきらめかせて王女を威嚇した。
王女は、まっすぐに男を睨み返す。
「私はメルの王女、メル・レー・トゥ」
強い声で名乗りをあげる。
兵士たちも村人たちも、どよめいた。
隊長だけが、不敵に笑った。
「たわけたことを。
 そんな小汚い王女がどこにいる?」
「たわけはそなたの方だ!
 ジェア王に伝えよ。
 メルを蹂躙することは、私が許さぬ」
「わっはっはっは…」
隊長は馬上でそっくり返った。
「では、姫君に申し上げる。
 この者たちは、奴隷としてシェメウがもらい受けた。
 ヘセティ四世の決定だ」
隊長は槍を持った腕を振り上げた。
「縄を打て!
 奴隷共をつないで、引っ立てろ!」
大声で下知する。
兵士たちは村人たちを取り囲み、じりじり輪を狭めていった。
セクメトが猛り狂って、兵士の壁に突進する。
馬に乗った兵士が、槍を放った。
鋭い穂先が、ライオンの胸をかすめ、前足と前足の間に突き刺さる。
セクメトは一瞬ひるんで後ずさりした。
その上に、ひとりの兵士が天幕を投げる。
視界を隠されたセクメトは、もがいて地面に転がった。
三人ばかりの兵士が、天幕に槍を突き立てた。
ライオンは、動かなくなった。

「セクメト!」
メル・レー・トゥはセクメトの方へと走った。
とどめを刺したことに満足した兵士たちが、次の仕事をするために王女の横をかすめて行く。
王女は天幕を剥いだ。
前足と脇腹と肩先から血を流したセクメトが、痙攣している。
ことに肩先からの出血がひどく、あごも首も真っ赤に染まっていた。
「…セクメト…」
王女はライオンの頭を抱いた。
セクメトは、震えながら鼻先を王女の頬につけた。
ざらざらの舌を精いっぱい伸ばして、そっと舐める。
王女はセクメトを抱きしめた。
「…姫様!」
後ろで、セケムの声がした。
大きな手に、手首をつかまれる。
「離れるんだ、ここにいちゃ、危ない」
セケムが言うそばから、馬に乗った兵士たちがすぐ脇を通り抜けてゆく。
「放して!」
王女は暴れた。
セクメトから視線を外すと、村人たちが追い立てられる様子が見えた。
働き盛りの男女が次々と縄を打たれ、数珠つなぎにされている。
逃げようとした者は、槍の柄で小突かれた。
老人や子供は、怒鳴られたり叩かれたりされて、追い払われる。
「父ちゃんを連れてくな!」
男の子が、兵士にしがみつくのが見えた。
市場で会った男の子だ。
兵士は男の子を引きはがし、薄い胸を蹴った。
男の子はそれでも食らいついた。
「ええい、うるさい蝿め!」
近くにいた兵士が、槍の穂先を男の子に向ける。
「いけない!」
王女はセケムの手を払った。
ありったけの速さで、男の子の方へ走った。
槍が男の子に迫る。
王女は穂先と男の子の間に滑り込んだ。

「姫様ァッ!」
セケムの絶叫が聞こえた。
王女は男の子を抱いて、地面に転がった。
槍の穂先が喉元まで迫った時。

王女は脊椎に雷が走り抜けるのを感じた。
胸から、緑色の閃光が飛び散る。
息吹(トゥ)の緑柱石が、輝いた。
辺り一面がまばゆい光に包まれて、色も音も、なにもかもが消し飛んだ。

時が止まった?
そう錯覚し始めた頃、どこからともなく子供たちの歌が聞こえてきた。
光が四方に拡がって、少しずつ視界がひらけてくる。
すぐそばで、槍を構えた兵士がぽかんと口を開けているのが見えた。
兵士は、石の像になったがごとく、動かない。
王女の背中に、鼓動のような音が響いてきた。
大地が脈動している。
ひび割れた地面が、柔らかく波打った。
やがて、緑色の芽が、あちらからもこちらからも吹き出した。
芽は見る間に伸びて、蔓草となり、兵士たちに絡みついて、武器を奪った。

王女は男の子を支えて起き上がった。
ハピの河の方から、おびただしい数の子供たちが歌いながら踊りながら現れた。
どの子も裸で、頭の片側に編み下げを垂らしている。
壁画の中の子供たちだ。
村人たちも兵士たちも、金縛りにあったように、みじろぎもせず、目の前に拡がる光景を眺めている。

三人の子供たちが、セクメトのそばに座った。
小さな手で、傷を撫でる。
赤く染まった毛皮が、汚れを洗い流されるように、黄金の輝きを取り戻した。
セクメトはむっくり起き上がって、傷のあった辺りを舐めた。
息吹(トゥ)の子供たちはうれしそうにセクメトの周りを跳ね回って、踊った。
その足元から、麦の芽が顔を出す。

子供たちが弾むたび、跳ねるたび、大地から命が吹き出した。
王女は、メルの塔で見た壁画と同じ光景を眺めた。
みるみる大きくなった麦が、金色の穂を実らせる。
辺りはいつの間にか、麦で埋まっていた。

セケムとセクメトが、麦の中を泳いで、こちらへ来る。
「どうなっちゃってんの…?」
「朱鷺がくれた魔法だ…きっと」
すっかり傷の癒えたセクメトが、王女の脚にからみついた。

息吹(トゥ)の子供たちは、歌いながら、重く頭を垂れた麦を刈り取り始めた。
さくさくと軽やかな音が、心地よい拍子を刻む。
それが歌と相まって、楽しげに響いた。
王女の側に、麦の束がみるみる積み上げられて行く。
息吹(トゥ)の子供たちは、小さな刀で穂を切った。
村の倉庫から、麦を入れる壷を運んでくる。
風の中に麦を放ち、重い粒だけをより分けて、麦の詰まった壷をいくつも作り上げた。

やがて、収穫が終わった。
子供たちは歌いながら空へ昇り、そのまま霧のように消え去った。
後には、山ほどの麦が残されている。
兵士も村人も、誰もが唇さえ動かせないまま、その場にへたりこんでいた。

メル・レー・トゥは壷のひとつに手を入れ、麦をつかみ出した。
シェメウの隊長に、ゆっくりと歩み寄る。
そっと隊長の手を取り、その上に麦の粒を落とした。
一粒、一粒、また一粒。
命の粒が、メル・レー・トゥの指先からこぼれ落ちた…

      *      *      *

私は、ゆっくりと目を開けた。
朱鷺が優美な首をこちらに向けている。
黒目がちの目が、笑ったように見えた。
私は、子供の姿を象った壷の中をのぞいた。
緑色の板が入っている。
取り出してみると、それは、緑柱石(エメラルド)で出来ていた。
表面に、リュートが彫り込んである。
「これが『息吹』の魔法…?」
朱鷺はうなずくように首を揺らす。
「生命の子供たちを呼び出す板だ。
 それは、もともと、そなたに与えたもの」
私は『息吹』の緑柱石を手のひらに乗せ、もう片方の手で包んでみた。
暖かな生命の鼓動が、伝わってくるようだ。

朱鷺は、ふわりと舞い上がって、また別の壷の前に止まった。
今度はワニの頭がついた黒い壷だ。
「そなたが得るべき技は、まだある。
 心して見よ」
私は、朱鷺に促されるまま、ワニの壺に手を触れた。
新たなビジョンが、心の中に拡がった。
大理石の寝椅子にもたれた、王の姿が見える。
その王は、長い黒髪を胸と背中に垂らし、残酷な目をして笑っていた…


「メルの王女が魔法を使ったと?
 …それは、面白い…
 早速、間諜たちに調べさせよ!」


息吹・終わり


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