封印 Shotr Stories
 [ 第一回 ]
昔。
黒き衣の乙女があった。
乙女は心の力もて、荒ぶる炎の魔神を封じた。
その封印は、三百年の後に解かれることが定められた。
黒き衣の乙女は、生涯を祈りに捧げ、尼僧院を建立した。
炎の魔神は許しの時を待っている。


小説挿し絵

振り返ると、尼僧院は遥かにかすんでいた。
ヒースばかりが生い茂る野原に、たったひとりたたずむ。
まるで、取り残されたようだ。
少女は黒い僧衣の胸元に手を当てた。
小さな銅で出来たペンダント。
彼女の荷物と言えば、これしかない。
ハンマーのような形をした不思議な細工だ。
これを手渡してくれた院長先生の顔を思い出す。

どうして尼僧院を出ることになったのか。
それは一夜の夢から始まった。
無言行の月に入ってから間もなくのことだ。
尼僧院では、冬至の前の一ヶ月を無言のままに過ごす。神に祈りを捧げ、一切の言葉を封じる。ため息ひとつ、ついてはいけない。
なのに、彼女はそれができなかった。
どうしたわけか今年だけ。
物心付いた時にはすでに尼僧院で暮らしていたのだから、もう十回以上も無言行の月を過ごしているというのに。
恐ろしい夢を見て、つい叫んでしまうのだ。
その夢には、不思議な巨人が現れた。
四本の腕を持ち、青白い炎のような髪を逆立てている。
巨人は少女を見据え、
…われを解放せよ…
と、言う。
そのうち、黒い衣の人影が現われて、巨人の首を切り落とす。
断末魔。
どくどくと流れる血。どくどくと、どくどくと。
巨人の首は血溜りに浮かび、少女の方を向く。
うつろな両目が少女を見据え、唇がゆっくりと動く。
…われを解放せよ…
まだ十四歳になったばかりの少女には、恐ろしくてたまらなかった。
それで叫びをあげてしまうのだった。
だが、声を出してしまったことを言い訳したくとも出来る状態ではない。
無言行をしている間、尼僧たちは指先や手首の動きなどで意思表示をするのだが、この『指言葉』では複雑な内容を伝えることは不可能だった。
少女は巨人のイメージを忘れようとしたが、それはますます鮮明になって夢に現れ続けた。
毎晩、毎晩。
そしてとうとう昼日中にまで。

それは掃除の時間のことだった。
少女は長い長い廊下を担当していた。
起毛した麻のスリッパを履いて足で床を擦りながら少しずつ少しずつ歩くのだ。
廊下にはいくつもの扉がずらりと並んでいる。
それぞれの部屋には、尼僧院の長い歴史をあらわす品の数々が収められている。
中には封じられた部屋もあり、この尼僧院を興した聖女の遺骸や遺品が納められているという。
少女が足を引き摺りながら聖女の部屋の前に達した時。
あの巨人が現れた!
薄暗い廊下に、何の前触れもなく、忽然と。
…われを解放せよ…
巨人は少女を見下ろした。
「きゃあああ!」
少女は両目を覆った。
このままでは…このままだと、また首が…
「助けて、誰か来てぇ!」
少女は叫びながら逃げようとしたが、ぶかぶかのスリッパが邪魔をして走れない。
二、三歩踏み出してよろめき、倒れた。
巨人の首が目の前に転がり落ちてくる。
少女は気を失った。

目を開けると、院長と数人の尼僧たちが少女を覗き込んでいた。
粗末な寝台の上で。
少女はゆっくりと体を起こした。
「なにがあったのですか?」
院長が優しく尋ねた。
無言行の月ではあるが、院長だけは例外である。近在の人々と連絡を取ったりするのに不都合だからだ。尼僧院は尼僧院だけで自足しているわけではない。菜園で作ったものを売ったり、喜捨を受けたりするには、窓口が必要なのだ。
だが、少女は話すことを許されていない。
指言葉では答えることも出来ず、ただうつむいた。
院長は微笑んで、他の尼僧たちに下がるよう手まねした。
部屋の中には少女と院長の二人だけが残った。
「今だけは、禁忌を破ることを許しましょう。
 まじめなあなたが、行を続けられないなどと、よほどの理由があるのでしょう」
少女は恐ろしい夢のことを語った。
そして夢の巨人が、とうとう昼間にも現れたことを。
院長は、初めは優しく微笑んでいたが、封じられた部屋の前での出来事を聞くと、眉を寄せた。
少女はびくりとすくむ。
こんなに険しい顔は見たことがない。
院長は長いことこわばった表情で少女を見つめていたが、ふと眉を開いて
「あなたのお母様のことを話さなくてはならないようですね」
と、言った。
院長は少女を自分の執務室にいざなった。
少女を椅子に座らせると、戸棚の奥から小さな箱を取り出す。
箱を開くと、中には銅で出来たペンダントが入っていた。それは見たこともない細工物で、ハンマーのような形をしている。
「十四年前、あなたのお母様は、このペンダントとあなたを残して亡くなりました。
 あなたをかくまってほしいと頼んで」
「かくまう?」
「お母様は追われていたのです。闇の者たちに」
院長は目を閉じた。
「尼僧院の外では、様々な争いごとが起きています。
 国と国との戦争もありますが、別のひそやかな争いもあります。
 『闇』と呼ばれる邪悪な主を仰ぐ者たちが、この世界を乗っ取ろうと企んでいるのです。
 彼らは軍隊と違って、剣も砲台も使いません。彼らが使う武器は、ネイティアル」
「ネイティアル?」
聞き慣れない言葉に、少女は鸚鵡返しした。
「自然の精霊たちとも言うべきものでしょうか。
 それらは様々な魔法や力を持っており、善でも悪でもありません。
 呼び出した者の言いなりに、兵隊のように動きます。
 闇の者たちはそれら精霊…ネイティアルたちを呼び出し、地上を支配しようとしています」
「お母さんは、それを阻止しようとしたんですか?」
「そうです。あなたのお母様はネイティアル・マスターでした。
 闇の者たちと密かな戦いを続けていたのです。
 しかし…」
院長は言葉を切ってうつむいた。
「闇側のネイティアル・マスターは、強力な術師だったのです。
 お母様は瀕死の重傷を負って、この尼僧院にたどり着き、あなたを託しました」
少女は院長を見つめた。
…どうして、何も教えてくれなかったのですか?
「私は、あなたには何も知らせないつもりでした。
 この尼僧院で穏やかにひっそりと外の争いとは関わりなく暮らしてほしかったのです。
 けれど、あなたは目覚めてしまった。あなたには、ネイティアルを操る力があるようです」
「あの巨人は…あたしが見たのは、ネイティアルなんですか?」
「おそらく。ネイティアルは様々な姿をしているといいますから」
「あんな、恐ろしい姿なのに」
「ネイティアルは善でも悪でもないのですよ。使う者の心次第だと聞いています」
院長は、先程のハンマー型ペンダントを少女に手渡した。
「これはあなたに返しましょう。
 お母様の形見…ネイティアルを呼び出すために必要なものです」
少女は手のひらで光るペンダントを見つめた。
温かさを感じる。
五本の指でそっと包み込む。
「あたし…」
少女はペンダントを握りしめた。
「あのネイティアルを探しに行きます」
「お母様の遺志を継ぐのですね」
院長は静かに言った。
「闇の者たちと戦うのですか?」
「それは、まだわかりません。その人たちには会ったこともないし。
 でも、あのネイティアルには、会ってみたいんです。
 あの巨人は、あたしに助けを求めているような気がするんです」

第一回・終わり

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