剣 Shotr Stories
 [ 第一回 ]

砂漠の国、メルの都。
太陽の鑿が、四角い家並みを彫り上げる。
街の東西を一直線に分断して、大通りが城門から王宮までを貫く。
すべての小路はこの通りに合流し、人々が往来すると、都は脈打つ巨大な生き物に見えた。

青年は細長い指を額にかざして、人々の流れを眺めていた。
荷物を載せたロバをひく男、頭に籠や壺を乗せた婦人、麻袋を担いだ子供、一輪の花を大事そうに掲げた老婆、手首と足首の鈴を鳴らして、踊り歩く芸人。
様々な人々が、王宮に向かって流れて行く。
行列は祭りのようだ。
だが今日は、メルに祀られた多くの神々のうち、いずれの縁日でもない。

青年はうんざりしながら大通りを眺めた。
人混みは嫌いだ。
それでも、ここを横切らなくてはならない。
ため息をひとつついて、ひょろ長い両腕を持ち上げ、ハピの河を泳ぐような格好で、人の波をかきわける。
小柄でずんぐりしたメル人には珍しい長身の青年は、首ひとつ飛び出た高さから対岸を見渡した。
とたん、向こう脛に鈍い痛みが走る。
足をさすろうとかがむと、タンバリンを持った矮人(こびと)が転がっていた。
「王女様のお恵みを!」
矮人は鞠のように弾みながら起きあがり、そのままくるりとトンボを切った。
青年は、思わず後ろに下がる。
今度は尻に何かがぶつかった。
「あらあら、まあまあ、ごめんなさいねえ!」
大きな籠を頭に乗せた中年の婦人が、声をかけてきた。
小さな女の子が、べそをかいて座り込んでいる。
どうやら、この子にぶつかってしまったらしい。
女の子の足下には、小麦粉を練って焼いた丸い菓子が散らばっていた。
婦人は女の子を立たせ、小さな膝についた砂を払うと、手際よく泣きやませた。
頭に籠を乗せたまま、手早く菓子を拾い集める。
青年は手伝おうとしてしゃがんだが、拾えたのはたったひとつだけだった。
「あの……」
しどろもどろしながら、菓子を返そうとする。
婦人はにっこり笑った。
「それは、あなたに」
「けど」
「このお菓子は王女様へのご供物なんですよ。
 拾ったものは、王女様からのお恵みです」
それだけいうと、婦人は子供の手をひいて、人混みの中に消えていった。


大通りを渡りきった青年は、市場へと向かった。
ここもまた、たいそうな人出で、ハピの河岸のパピルスがみんな人に化けて集まったのではないかと思えるほどだった。
日干しレンガの軒先に天幕を張って、無数の露天が並んでいる。
人と家畜と商品が行き交い、入り乱れ、めまぐるしく動き回る。
青年は細い路地に入った。
軒から軒へ天幕が渡されて、そこはそのまま床屋の店舗になっている。
甘い花の香りが青年の鼻孔をくすぐった。
頭を剃るときに使う香油のにおいだ。
ずらりと並べられた小さな椅子に、順番待ちの客たちが腰掛けておしゃべりしている。

「しかし、ホントなのかい?
 ハピの河から、子供が大勢出てきたって」
「そりゃあ、おとぎ話みたいなハナシさ。
 でも、俺は麦を食ったんだよ」
「ほう! 王女様が生やしたっていう?」
「うまかったかい?」
「食べたら特別いいことがあったとか?」
「いやあ、うまいことはうまいが、普通の麦と変わらなかったなあ……」

青年は、頭や顔に垂れ下がってくる幕布を無造作に持ち上げた。
どうもこの店は、彼の身長に合わせた造りにはなっていない。
奥まで見通すために、長い腕をいっぱいに伸ばした。

「いよう、セケム!」
店の奥から、太い声がかかった。
客の頭をあたっていた店主が、剃刀を置いて近寄ってくる。
「おい、オヤジさん……」
仕事を途中にされた客が文句を言いかける。
オヤジはちょっと振り返って、近くにいた小僧に手で合図した。
小僧はうなずいて、オヤジが放り出した剃刀をつかむ。
すました顔で、剃り残した客の頭をなでつけた。
「お、おい、おい、大丈夫なのかよ、このガキ……」
客は泣きそうな声をあげる。
「練習しなきゃうまくなれねえよ。つきあってやってくれ」
オヤジは振り向きもせずに怒鳴りかえした。
セケムの尻を思い切り叩く。
「……待ってたんだぜ、倅や」
オヤジは片手でセケムの腰を押さえたまま、近くの木戸を開いた。
セケムは、日干しレンガの家に押し込まれる。
香油の壷やあかすりの棒、大小長短さまざまなカツラに埋もれて、粗末な椅子と寝台がひとつずつあった。
オヤジは、寝台の方にどっかりと腰を下ろす。

「全く、おめえは一番デキのいい倅だぜ」
そういうオヤジの顔は、町の床屋の店主ではなくなっていた。
壁の高いところに開けられた小さな窓から、日光が細く差し込む。
光の鑿は、オヤジの平らな鼻と、その両側に光る抜け目のない瞳を刻みだした。
厚い唇が、上機嫌に持ち上がる。
「どれ、話を聞こうか」
セケムは立ったまま、無言で、陶器のかけらを差し出した。
「……なんだ、これだけか?」
オヤジは怪訝な顔をした。
セケムは低い声で
「余計なおしゃべりはしない方がいい」
「なにをビビッてやがる」
オヤジはそっくり返った。
「この店は安全だ。
 第一、町の床屋がそんな……」
「秘密にしておきたいことがあるなら、まず自分の口をつぐめ。
 そう教えてくれたのは、オヤジさんだぜ」
セケムは腕を組んだ。
オヤジはなおさら反り返って、面白そうに両手を打ち鳴らした。
「違ェねえ、違ェねえやな。
 なるほど、おめえは優等生だ。
 けどなあ、せっかく久しぶりに会ったんだ。
 もうちっと、愛想よくはならねえもんかい?
 育ての親だぜ、俺は」
セケムは黙ったまま、オヤジを見つめた。
オヤジはわざとらしくため息を吐く。
陶器のかけらを眺め、そこに書かれた文字を読んだ。
小刻みに何回か頭を揺らして、満足そうに「ふむふむ」と言う。
雑然と置かれた香油壷のひとつに、陶片を沈めた。
セケムはまだ突っ立っている。
「倅や」
オヤジは立ち上がり、セケムの肩に手を置いた。
荒っぽく揺さぶる。
「よくやったな。
 この調子で、もっとがんばれ。
 いずれ覚えがめでたけりゃ……俺もおめえも、お大尽になれるってもんよ。
 どれ、ちょっと店へ出ろ。
 この小汚い伸び放題の頭ァ、ちっとは見られるようにしてやる。
 王女様の前に出たって、恥ずかしくないくらい、いい男に磨いてやるぜ」

      *      *      *

「どうして……うまくゆかないのだろうな……?」
王女メル・レー・トゥは、一握りの麦を書き物机の上に落とした。
トルコ石を象眼したパピルス模様の天板に、ことりと頭を乗せる。
鼻先に散らばっている麦を、見つめてみた。
だが、いくら見つめても麦はただの麦でしかなかった。

「あれは、夢だったのかな?」
14歳の王女はつぶやく。
机に前足をかけて、同じように麦を見つめていた雌ライオンが、むふん、と鼻を鳴らした。
麦粒が小さく舞い、天板につけた王女の耳に、ぱらぱらと音がはじけた。
王女はライオンの頭をなでる。
「ねえ、セクメト。
 おまえも見たよね……?」

ハピのほとりの農村で。
シェメウ兵に襲われた男の子を助けようとしたとき。
朱鷺からもらった『息吹(トゥ)』の緑柱石が輝いた。
どこからともなくリュートの調べが流れ、ハピの河から大勢の子供たちが現われた。
荒れ果てた大地から麦が芽吹き、見る間にそれは成熟して、重たく頭を垂れた。
ハピから生まれた子供たちは、歌いながら踊りながら収穫し、シェメウ兵の前に、たちまち麦の山を築き上げた。

……今となっては、あれが現実の出来事だったのかどうか。
信じられない。
王宮も、王女の部屋も、座っている椅子も、セクメトの眠そうな顔も。
いつもの通り、いつものままだ。
しかし、朱鷺にもらった『息吹(トゥ)』の緑柱石はここにある。
あまりにも大きくて、傷ひとつない奇跡の緑柱石。
手のひらに載せれば、ずしりと重い。
純度の高いきらめきは、まぎれもなく現実のものだ。

メル・レー・トゥは目を閉じた。
ここ数日に起きた出来事が、めまぐるしくよみがえる。
王宮を抜け出し、ひょんなことから農民たちの苦しみを知った。
凶作のため、シェメウからの重税のため、追いつめられた人々を助けたいと思った。
その願いが天に通じたのか。
一羽の朱鷺が現れて、王女をメルの塔に導き、この緑柱石をくれた。
緑柱石は魔法の力を発揮して、『息吹(トゥ)』の子供たちを召喚し、不毛の大地に実りをもたらしたのだ。
それはまぎれもない事実だったのに。
では、なぜ『息吹(トゥ)』の魔法を、再び使うことができないのか?

ハピのほとりで魔法を使った後。
王宮に戻った王女は、父王ヘセティ四世の前で同じことをやってみせようとした。
ところが、『息吹(トゥ)』の緑柱石は、ただの巨大な緑柱石でしかなく、魔法の光を発することはなかった。
農民たちのためにも、王家のためにも、もっともっとたくさん麦を出したかった。
なのに。
「どうして、うまくゆかないのだろう?」
王女は、またつぶやいた。
武芸や学問と違って、魔法には、教師もいなければ教科書もない。
教師がいるとすれば、あの朱鷺だが、再び姿を見せることはなかった。

ふと、セケムのことが浮かぶ。
肩幅ばかりがやけに広くて、手も足もひょろ長く、ぼさぼさ頭で、あごにまばらな無精ひげを生やした青年。 目端が利いて、手際が鮮やかで、必要なものを何でも調達してきた。
誰に教えられたわけでもないのに、メルの仕掛けをあっという間に見抜き、王女とセクメトを先導してくれた。
セケムがいなければ、『息吹(トゥ)』の緑柱石を手に入れることはできなかっただろう。
あのひょろりとした青年は、自分のことを「ノラ犬」だと言っていた。
父や叔父を頼める王女と比べ、どんなときでも、己れ以外に頼れるものがない。
だから、なんでも独りでできる。
独りで立てる。
独りで、責任を負える……

王女は、青年が大きな口の端に犬歯をのぞかせて、にいっと笑ったところを思い出した。
おせじにも美男とは言えないが、いつも何かを見透かすような澄んだ目をしていた。
メルの塔で挫折しそうになったときは、その目で射抜かれるかと思ったものだ。
いつの間にやらどこかへ行ってしまって……もう会うこともないかもしれないが……
もし、また会うようなことがあったときには、胸を張っていたい。

王女は昂然と頭を上げた。
椅子に座り直し、背筋を正して、机の上の麦を見つめる。
両手でしっかりと『息吹(トゥ)』の緑柱石を握りしめた。
朱鷺の魔法をマスターするのだ。
農民たちのため、国のため、王家のため。
きっと、やり抜いてみせる。


第一回・終わり



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