剣 Shotr Stories
 [ 第二回 ]

若い王は寝椅子の上で目を見開いたまま、身じろぎもしなかった。
浅黒い肌、腰まで伸ばした黒髪、がっちりと厚い胸板。
クムトに住まう人種には珍しい青い瞳が、冷たく鋭く光っている。

辺りには、人の心を甘く惑わす媚薬の香りが漂っていた。
一糸まとわぬ乙女たちがシムスメイヤ(竪琴)を奏で、その調べが幾重もの層となって空気を震わせる。
音に合わせて、飾り剣を持った乙女たちが、普段は見えない部位をわざと露出させながら踊っていた。
王は、心楽しまない。
全てが淫猥で、くだらないものに思えた。
媚薬の香りは、さかりのついた雌鹿のにおい。
シムスメイヤは雄を呼び叫ぶヒヒの声。
乙女たちは美しいが、踊りは下品だ。
この場のありさまは何だ?

後宮とは、先王たちが築き上げた痴夢の産物である。
黄金を箔し、色とりどりの宝石を飾った柱、壁、天井。
巨大な広間の真ん中には、八角形のプールがある。
麝香を混ぜた水が満々に張られ、ここにも裸の乙女たちが泳いでいる。
王のすぐ隣では、ひげが抜け落ちてつるんとした顔の宦官が、ニタニタ笑っていた。
……俺を蜜漬けにする気か。

砂漠の大国シェメウの若き王ジェアは、自分の腕を枕にして、ふてくされた顔で寝転がった。
そこへ、額と腕と足首に飾りをつけただけの女が、からみついてくる。
無遠慮な細腕に、体のどこといわず、なで回されて、ジェアは瞼を半分閉じる。
瞳を動かさないで、宦官をうかがった。
まだニタニタしている。
この卑しい顔は、ほんの数日前まで、父の隣にあったものだ。

ジェアがシェメウ王に即位するまでには、紆余曲折があった。
紆余曲折というと聞こえはいいが、それは陰謀と暗殺を意味する。
玉座は、実の父を刃にかけて手に入れたものなのだった。
もっとも、正当な理由がなかったわけではない。
先王は、後宮に入り浸るばかりで、政治は一切省みなかった。
国費を浪費するのは、立派な犯罪である。
それを成敗するという名目で、ジェアは立てられた。
皇太子でもなく、正妃の息子でもなく、王位からは最も遠い後宮の片隅で生まれた彼が、大義の中心に祭り上げられたのは、まさにその王位との縁遠さゆえだった。
権力と富を望む者たちにとって、扱いやすいから。
そう思われて、玉座を与えられたのだ。
そして、今、父と同じように後宮に押し込められ、快楽責めにされようとしている。

想いに沈み、悦びを見いだそうとしないジェアに、また別の女が体をすりよせてきた。
銀の杯に媚薬のにおいを漂わせたぶどう酒を満たし、ジェアの唇に近づける。
もうひとりの女がロインクロス(腰布)の帯を解こうとした。
ジェアは半眼にしていた瞳をカッと見開き、女たちを跳ね飛ばして立ち上がった。
絶え間なく奏でられていたシムスメイヤが止まる。
若い王は、踊っている乙女から舞踏用の飾り剣をもぎ取った。
体勢を崩した乙女は、プールに落ちる。
王は反動をつけて床を蹴り、舞うように向きを変えた。
渦巻く黒髪。
だん、と足を踏みならして、宦官の前へ跳躍する。
「陛下……」
ひげのない顔のニタニタ笑いが凍った。
次の瞬間、その頭は胴から離れて床に転がった。
少し遅れて噴きあがる血しぶき……

「きゃあああ!」
後宮の女たちが一斉に悲鳴を上げた。
ジェアは、空を斬って勢いよく血振りする。
まだ生暖かい血液が、頬に飛んだ。
「騒ぐな!」
短く叫ぶと、女たちは静まり返った。
ジェアは、あぐらをかいたまま固まっている宦官の胴体を蹴転がした。
「片づけろ」
それは、王として、最初の命令だった。

その出来事から二年。
以来、ジェアは、宦官の首を落とした飾り剣を、いつも帯にぶら下げている。
刀身を潰した剣で、どうして人間の首を断り落とすことができたのか、わからない。
物理的な理由はともかく、王の飾り剣は宮廷に巣くう佞臣たちにとって、恐怖の象徴となった。
ジェアは自らが下した命令通り、身の回りのゴミを片づけ始めた。
富を狙ってすり寄ってくる者も、造反しようとする者も、全て叩き斬った。
先王時代からの臣下が、半数以下に減った頃、新王の力は確立した。

国家の命令系統を正すと、若い王は新たな野望がわき上がってくるのを覚えた。
冬眠していた蛇が鎌首をもたげるように、大きな望みが体の中でうずき始める。
シェメウ一国では、物足りない。
ハピの恵みを受ける、クムトの大地全部が欲しい。

ジェアは、金箔の手すりをつけたテラスに立って、遙か西の方を眺めた。
夕焼けに染められた、オレンジ色の大地が広がっている。
若々しい力に満ちた手のひらをかざすと、世界を全てつかめるような気がした。
俺の武器はなんだ?
飾り剣を抜き払い、沈み行く太陽に向ける。
丸められた刃が鈍くきらめいた。
柄の下にシェメウの荒れた土地が見える。
この国には、農業も産業もない。
唯一の財産は、鍛え抜かれた軍隊だ。
普段、畑仕事をしない分、兵士たちは訓練に徹することができる。
国中の男が職業軍人のようなものだ。
シェメウはその兵力で近隣の国々を脅し、貢ぎ物を集めることで成り立っていた。
だが、それは同時に、軍隊が弱体化すれば国が滅びることを意味している。
だから軍隊の疲弊を避けるため、不可侵条約を結んで、実際には戦争をしない。
そんな、危ういバランスの上に成り立つ国なのだった。
まるで山賊のようではないか。
ジェアには、それが気にさわって仕方がない。
ちまちまと貢ぎ物が送られてくるのを待つのではなく、いつでも必要な財産を引き出せれば……シェメウは、もっと大きくなる。

「陛下」
大地を眺めながら、野心に燃えていたジェアの耳に、将校の声が届いた。
振り返ると、鎧を身につけていない文官のような格好の男が立っている。
情報将校だ。
各国に放ってある間者の総元締めである。
将校は、王が恐怖の剣を抜き払っているのを見て、一瞬、唇をこわばらせた。
ジェアは静かに剣をしまう。
将校は胸をなでおろしながら、小さく息をついた。
「何の用か?」
ジェアは抑揚のない声で訊ねた。
将校は小さな亜麻布の包みを差し出す。
ほどくと、花の香りがふわりと舞い上がった。
香油のしみた陶片が出てくる。
王は無造作にそれをつかんだ。
もうほとんど沈もうとしている夕日にかざすと、びっしりと細かい文字がひっかかれているのがわかる。
「例の話だな」
ジェアは文字を目で追った。
「メルの王女の奇跡は、本当のことなのか?」
「にわかには信じがたいことです。
 しかし、兵士たちの証言も、間諜の報告も、一致しております。
 論より証拠に、国庫には大量の麦が届きました」
「実は、メル王が、あらかじめ隠しておいた麦とは考えられないか?」
「各地の貯蔵庫がほとんどカラであったことは、それ以前の報告で明らかです。
 王女の監禁に貯蔵庫が使われたくらいですから……」
「そうだったな」
ジェアは陶片を床に落とし、踏みつけた。
テラコッタのかけらは、こなごなになる。
しみこんでいた香油が、また漂った。
「王女は、いくつになる?」
ジェアは将校に向き直った。
「は、三番目の月で十五……今はまだ十四です」
「充分、大人だな」
剣をちゃらりと鳴らして、歩き出す。
将校は後からついてきた。
ジェアはテラスを降り、早足で執務室に向かいながら、叫んだ。
「書記はおるか! メルに親書する!」

      *      *      *

王女は、叔父の図書館にいた。
四面を書物で満たした空間は、いつでも居心地がいい。
足下で、セクメトが腹這いになってあくびをしている。
テーブルをはさんだ向こう側には、微笑を浮かべたデペイ叔父の顔があった。
叔父は読みかけのパピルスを巻き直して、メル・レー・トゥの話につきあってくれている。
結局、ここへ相談に来てしまった。
物知りな叔父なら、魔法についても知識があるかもしれない。
そう思って、知恵を借りに来たのだ。
叔父は、暖かなまなざしで王女を包んでくれた。
「そんなに焦ることはないよ」
低い声が心地よい。
「君が魔法を使ったことは、すばらしいことだけど。
 これからも使わなくちゃならない、というわけじゃない。
 一回きりの魔法だって、もう充分、役に立ったのではないかな」
そんな風に言ってもらえると、楽になるような気がする。
「君は……」
叔父は目を細めた。
「優しいのさ」
王女は、そのまなざしにいつもと違う光が宿っているのを感じた。
姪として慈しんでくれている時の目ではない。
一人前の大人として扱われているような気がして、思わず背中を伸ばした。
叔父の瞳は、まっすぐに王女を見つめて、動かない。
「君の母上もそうだった。
 いつも、他人の心配ばかりしている人だった……」
なんとも言えない感慨を含んだ叔父の声。
メル・レー・トゥはどぎまぎした。
あまり見つめられ続けているので、視線が痛いような気になる。
わざとまばたきして、目線をずらし、足下のセクメトを見る。
のんきな雌ライオンは、王女の足を枕にして、うとうとしていた。
足をそっと引き抜いてみる。
ことん、と間抜けな音を立てて、ライオンの頭は床にずり落ちた。
セクメトは首をもたげ、王女をにらんだ。
金色の目が「何すんのよ」と言っている。
鼻にしわをよせ、口を半開きにした間抜けな顔だ。
王女は笑ってしまった。
いたずらっぽい表情を作って、叔父の方を見る。
叔父は、ちょっと眉を寄せて微笑んだ。
いつもの姪を見る瞳に戻っている。
王女は肩をすくめて、舌を出した。
更なるいたずらを仕掛けようと、セクメトの耳に手を伸ばす。
叔父がおどけて目を見開いた。
王女は調子に乗ってセクメトをくすぐった……

「メル・レー・トゥ様!」
何の前触れもなく、入り口の扉が開いた。
王女と叔父は、一斉に扉の方を見る。
太った教育係のウネベト女史が立っていた。
叔父が、あからさまに不愉快な顔をする。
「無礼ではないか?」
叱りつけられたものの、ウネベトはあやまることさえしなかった。
拳を握りしめ、全身を震わせている。
「姫様……」
絞り出すようにつぶやくと、そのまま泣き崩れてしまった。


第二回・終わり



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