剣 Shotr Stories
 [ 第四回 ]

「……俺も、ヤキがまわったのかな……」
夕暮れの砂漠を歩きながら、セケムはつぶやいた。
こんな時間に都から出るなんて、どうかしている。
野宿の装備は調えてきたが、砂漠で夜を過ごすのは辛い。
第一、暗くなったら地面が見えなくなる……

セケムは王女の行列がつけた足跡を追って、メルを出たのだった。
理由はわからないが、どうしても後を追いたくなった。
「もう仕事は終わったんだけどな……。
 シェメウにつくまでは、見守った方がいいと思うんだよ。
 うん……きっと、それが正しい。
 完全に見届けるまでが、俺の仕事だ」
自分を相手に言い訳する。
とてもバカバカしい。
しまいには面倒くさくなって、考えるのをやめた。

とぼとぼ歩いているうちに、太陽はみるみる沈んで行く。
とっぷりと暮れた砂漠に、星がきらめきだした。
間の悪いことに、今夜は新月だ。
案の定、行列の足跡は見えなくなる。
「だから、やめときゃよかったんだよなあ……」
頭を振り振り、彼方を眺める。
ほとんどなにも見えない。
そろそろ限界だ。
この辺で野宿した方がいい。
「バカね、俺さま」
自分で頭を叩き、おどけてみた。
余計にむなしくなった。
背中に担いだ袋をおろす。

遠くで、獣が吠える声がした。
「ジャッカルか?」
だとしたら、注意が必要だ。
囲まれたら、夕飯にされてしまう。
セケムは感覚をとぎすました。
急いで火をおこさなくてはならない。
やはり、夜の砂漠に出るのはうかつだった。
袋から油皿を取り出して、火をつける。
辺りを見回したが、岩と砂ばかりで、灌木もない。
とにかく、盛大に火を焚くのが一番なんだが……持っているだけの燃料で足りるか?
袋をひっくり返す。
夜のために用意した木ぎれがバラバラと落ちた。
獣の声が、だんだん近づいてくる。
「おい、おい、おい!」
セケムは焦って木ぎれを並べた。
東の方に、ふたつの黄色い目が光る。
「おいでなすったか!」
油壺を叩き割って、ありったけの木ぎれにしみこませる。
油皿の火を移した。

「これでどうだ!」
セケムは燃え上がった火のそばで手を打った。
だが、黄色い目は遠ざからない。
どころか、どんどん近づいてくる。
火をおそれないのか?
セケムは短刀をつかんだ。
幸い、敵は一頭だ。
なんとか戦えるかもしれない。
身構えた時、獣は変わった声をあげた。
ジャッカルの声ではない。
デカい猫が甘ったれているような「ごろにゃ〜ん」という響きだ。

「セクメトの姉ちゃん!?」
炎に照らされて明らかになった獣を見て、セケムは目を丸くした。
首に高価そうなビーズ飾りをつけた雌ライオンが、闇の中から走ってくる。
大きな前足が、胸板にぶつかってきた。
セケムは砂の上に押し倒される。
ザラザラの舌に、顔と言わず喉と言わずなめまわされた。
「よ、よせ、姉ちゃん……」
「ごろにゃ〜ん」
「なんでこんなとこにいるんだよ!」
 姫様はどうしたんだ!」
セケムがきくと、セクメトは急にしゅんとした。
言葉がわかるかのように、悲しそうな顔をする。
「おい……?」
セクメトは、元来た道に頭を向けて誘った。
セケムは火のついた木ぎれをつかんで、後に続く。

真相はすぐ明らかになった。
砂上に、王女が乗っていた輿の残骸と、いくつもの死体が転がっている。
その中に、たったひとり、うめき声をあげる衛兵がいた。
鎖骨あたりに深々と槍が突き刺さっているが、まだ息があるようだ。
セケムは、急いで衛兵を抱き起こした。
「姫様が……鉄鎧を着た賊に……」
衛兵は、その先を続けることが出来ずに、こと切れた。
セケムは細い目を見開き、砕けそうなほど奥歯を噛みしめた。

*      *      *

どのくらいの間、馬の首にしがみついていたのだろうか。
縄でくくりつけられているものの、獣の背中は揺れる。
振り落とされないように力を入れていたのと、縄がきつすぎたのとで、手首が痛い。
王女は、じっと目を閉じて、なるがままに任せた。
長い時が流れたと感じた頃、馬が止まった。
荒く息をしながら、身震いする。
馬体はじっとりと濡れて、生ぬるく火照っていた。
「ご無礼をいたしました」
王女の耳に、静かな男の声が響いた。
そっと目を開けてみる。
鉄鎧を着込んだ男たちが、王女の前にひざまずいていた。
先頭のひとりが一礼し、手首の縄をほどいてくれた。
王女の軽い体は男に抱きかかえられて、地面に降ろされた。
不自然な姿勢でずっと馬にしがみついていたため、よろけてしまう。
手首がひりひりした。
「申し訳ございません。
 お救いするには、この方法しかなかったのです」
男は礼儀正しい。
とても、花嫁を略奪した馬賊とは思えない。
「そなたたちは、何者か?」
王女は強い声で問うた。
「私はエク・エンと申します。
 そして、ここに控えている者たちは、みんな、殿下のお味方です」
「意味がわからぬ」
王女は手首を押さえながら、あごを持ち上げた。
「そなたらは、私の供の者たちを殺した」
……そして、セクメトを殺したかもしれない。
「私を物品のように略奪した賊どもが、なぜ味方だなどと言う?」
「殿下を略奪しようとしたのは、ジェア王でございます」
エク・エンは怖じもせずに言い切った。
「……シェメウとの取り決めは、ずっと前からのことだ」
「そんな取り決めに、なにゆえ、従うことがありましょうや!?」
王女はびくりとする。
エク・エンの声とまなざしは強い。
それに唱和するかのように、他の男たちも激しい視線を王女に向けた。
「シェメウになす術もなく従って、殿下を差し出す者たちこそ、真の逆賊でございます」
「だが……」
「ご自身の意志もなく、愛してもいない男に嫁ぐことはありません」
……確かに、私はジェアという人物を知って嫁ぐわけではない。
しかも、彼は残酷な性質だと聞く。 この先に幸せがないことは、重々わかっていて、それだからめそめそ泣いたりもした。
しかし、私ひとりが嫁けば、メルはシェメウの侵略を受けずに済む。
そう思ったからこそ、故国を発ったのだ。
勝手なことをすれば、メルを滅ぼす。
「メル・レー・トゥ殿下」
エク・エンは、激情を押し殺すような低い声で呼びかけた。
「どうぞ、我々を見捨てないでください」
立ち上がって、部下の者たちに手で合図する。
部下のひとりが、すぐに立ち上がって、暗闇の中に走り去っていった。
「殿下には、メルでなさねばならぬ重大なお仕事がございます。
 我々は、殿下を必要としているのです」
エク・エンがそこまで言うと、夜の闇にいくつものたいまつがともった。
部下が走り去っていった方角だ。
芝居が始まる前のような喝采が巻き起こる。
男の声、女の声、子供たちの声。
たくさんの足音が近づいてくる。

「お姫さま!」
「メル・レー・トゥさま!」
「おかえりなさい!」
鉄鎧の男たちが、ぱっと左右に分かれる。
みすぼらしい服を着た老若男女が王女を取り囲んだ。
すばしこい男の子が、大人たちの股をくぐって躍り出てくる。
「そなたは……!」
王女は目を見開いた。
男の子は大きな目をきらきらさせながら、椰子の実で作った器を差し出す。
「おいらのこと、覚えててくれた?」
男の子は人なつっこく首を傾げる。
市場で最初に出会った少年だ。
セクメトをなでていた時と同じ笑顔。
その頬は、いくぶん丸くなったようだ。
そもそも、この子に会ったことが、メルの塔へ行くきっかけだった。
王女は男の子から器を受け取った。
透き通った水がたゆたっている。
口に含むと、ただの水なのに甘い味がした。
男の子の心づくしがそう感じさせたのか。
器に唇をつけると、人々の顔が一斉に笑った。
ここは、王女が『息吹(トゥ)』の魔法で救った村だった。

「皆の者。
 殿下は大変疲れておられる。
 寝所へご案内いたせ」
エク・エンが言うと、村人たちは我先に群がってきた。
男たちが王女の裾につかまって挨拶しようとしたが、結局、女たちが一番強かった。
おかみさんたちは王女を取り囲み、手首に血がにじんでいるのを見つけると、手早く布を巻いてくれた。
王女は抱きかかえられるように、村へ連れて行かれた。
                   

第四回・終わり



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