剣 Shotr Stories
 [ 第六回 ]



セケムは、都を歩いていた。
姫様のいる村にセクメトを残して、ここへ戻ったのには理由がある。
昨晩、花嫁行列の生き残りが言っていた。
「鉄の鎧を着た男たちが、王女をさらった」と。
考えの出発点は、ここだ。
鉄の鎧。
それを用意するのは、ある意味では黄金を用意するより難しい。
王軍でさえ、支給されるのは青銅の鎧だ。
製鉄は最新の技術で、メルではあまり一般的ではない。
クムト広しといえ、兵士たちが全て鉄鎧を着ているのは、シェメウ以外にないだろう。
だが、彼らが王女を誘拐することは考えられない。
黙って待っていれば、王女は早晩シェメウへやってくるのだから。
では、誰がやったのか。
犯人の条件としては、まず『資産家』であることが確定できる。
それも、鉄鎧の兵団を用意できるほどだから、相当な資産があるに違いない。
大商人か、上級の神官か書記か、貴族。
黒幕は、ごくごく限られた上流階級の誰かだ。

「さて」
セケムは唇をなめた。
貴族たちの家が並ぶ地区に立つ。
どこのお大尽から調べ始めようか……?
とりあえず、ご用聞きのフリでもして、おしゃべりな召使いの女たちから、噂話を聞き込むか。

門前に大きなシュロの木がある家に目星をつけたとき。
路地に怪しげな影が閃いた。
男が素早く走り去って行く。
よく見えなかったが、細長い包みを持っていた。
セケムは犬のように鼻を動かす。
ノラ犬の勘が早鐘となって頭に鳴り響いた。
長い脚が、考えるよりも速く動き出す。

都の路地は狭い。
大路はハピの河かと思えるくらいだだっ広いくせに、一歩裏に入ると迷路になってしまう。
日干しレンガの四角い家々は、めちゃくちゃに入り組んで、すぐ行き止まりになる。
セケムはひょろ長い体にものを言わせて、細い隙間をすり抜け、あるいは軒に足をかけて屋根を越え、人影を追った。
迷路の街を走るにゃあ、ノラ犬の方に分があるってもんさ。

長い包みを抱えた男はいくつもの行き止まりに邪魔されながら迷走した。
セケムは、面倒なので、屋根の上を移動することにした。
メルの四角い家並みは積み木のようにくっついていて、屋根から屋根へと伝い歩ける場所がいくつもある。
そういう所を上手に使えば、かなりの速度で移動できるのだ。

男は入り組んだ路地の行き止まりでぴたりと止まった。
セケムは屋根に身を伏せる。
男は壁の方を向いて、包みをほどき始めた。
何をするつもりだ?

行き止まりの壁は、王宮を囲む城壁でもある。
ずっと昔、メルの都がまだ小さかった頃。
人々の家は、現在王宮の敷地となっている場所にあった。
この城壁こそ、昔の都の外壁なのだ。
あたりの家は、都が大きくなるにつれて、人々が入りきれなくなった頃、作られた。
日干しレンガを節約するため、ちゃっかり城壁を利用して、家の壁の一部にしている。
そもそもメルの路地がめちゃくちゃなのは、こういう作り方をしているからだ。

セケムは平たい屋根に這いつくばって、片目だけをそっと下に落とす。
男は、背丈ほどもある弓と、派手な玉飾りのついた矢を持っていた。
細長い包みの中身は、これだったのか。
男は弓に矢をつがえ、王宮の方を向いたまま、大きく体を反らす。
弓がしなった。
……おいおい、なんなんだよ!?
セケムは、あわてて頭をひっこめる。
次の瞬間、鼻先を矢がかすめて行った。
けたたましい笛の音がピューと尾を引いて、王宮の方へのびる。
鏃についた玉飾りが、七色に輝いていた。

セケムはぽかんと口を開けたまま、それを見送った。
驚いている場合じゃないと気づいて路地を見下ろすと、男の背中が別の路地へ消えて行くのが見えた。
ノラ犬は跳ね起き、本能の命ずるまま、後を追った。

*      *      *

王宮の広間には、将軍、神官、書記など、百官が集められていた。
ヘセティ四世は、玉座に身を沈めて、静まり返った場を見渡した。
目の前に置かれた猫足の小卓に、派手な玉飾りのついた笛つきの矢と、パピルス紙の切れ端が載っている。
その紙切れには、恐ろしい言葉が書いてあった。
『シェメウとの取り決めを破棄すれば、王女を返す』
短い文が、刃となって王の胸をえぐった。

メル・レー・トゥがさらわれた。
だが、誰の仕業なのか、皆目わからない。
兵士を総動員して調べているものの、有益な情報はない。
要求だけを突きつけられて、身動きがとれなくなっている状態だ。

もし、シェメウとの条約を破棄し、王女の輿入れを中止する声明を発表したら。
メル・レー・トゥは帰ってくるだろう。
敵は、王女をシェメウへ嫁がせることをやめさせたがっている。
人民の中に、奇跡を起こした聖女を他国に渡したくない気運が高まっていることは、王にもわかっていた。

しかし、そんなことをしたら、シェメウが黙ってはいまい。
ヘセティ一世の時代から、シェメウはメルを攻めずにいた。
軍事力に勝った国が、豊かなメルを攻めずにいたのは、ひとえにこの条約のためだ。
暴力的な人物として有名なジェア王が、機を逃すはずはない。
条約の破棄が明らかになった瞬間、全軍を率いて襲いかかってくるだろう。
そうなったとき、メルに守備の力はない。

会議は、結局なんの進展も見せなかった。
百官は押し黙り、妙案は浮かばない。
ヘセティ四世は、書記たちに財宝を数えるように命令した。
望みは薄いが、あるいは黄金で取引できるかもしれない。
そんな消極的な命令を最後に、王は会議を解散した。

独りで思案するため、私室に戻る。
召使いを下がらせ、扉を閉めると、黄金のメネスを投げ捨てた。
パピルスの巻物が積み上げられた書き物机を、思い切り叩く。
王として……父として、決断を迫られている。

「兄上」
低い呼びかけに、ヘセティはびくりとした。
歪めた唇を元の形に戻し、ふるえを抑えてゆっくりと振り返る。
戸口に、弟が立っていた。
質素なカツラとロインクロスをつけただけの姿は、書記と変わりない。
武術で鍛えたヘセティと比べ、やせて青白い顔をしている。
「人払いをしたつもりだが?」
ヘセティは王の顔と声でデペイを威圧しようとした。
「私には、誰も命令できません。
 兄である、あなた以外」
陰鬱な弟は、足音もたてず近寄って、机の側の椅子に座った。
「何の用か」
兄は自分の椅子に腰掛け、腕を組んだ。
「メル・レー・トゥを……どうするおつもりですか」
デペイは穏やかに言った。
しかし、その目は射るように鋭い。
兄には、弟が怒っているのがよくわかる。
「そなたに、妙案があるのか?」
ヘセティは答えずに、問いで返した。
「私は、兄上のお考えを訊いているのです」
デペイも負けていない。
「余は、戦を好まぬ」
「メル・レー・トゥが人質にとられても?」
「余は王だ。
 国を守らねばならない」
「では、メル・レー・トゥを見殺しにすると?」
「そうは言っておらぬ。
 救い出して、シェメウに送り届ける。
 それがなすべきことと思う」
ヘセティがそう言うと、デペイは口元に薄い笑みを浮かべた。
「ならば、造反者どもを早く追い立ててはいかがです?
 国中にふれを出し、密告者に賞を与え、疑わしきを全て罰すれば?」
「バカなことを」
今度はヘセティが笑った。
「それでは民心を乱す。
 国が荒れる」
「それなら、いっそ、王女をシェメウへやらぬと声明してはいかがです?
 メル・レー・トゥも無事に帰ってくるでしょうし、聖女をシェメウにやりたくないと思う民たちの心も、安らぐことができるでしょう」
「シェメウが攻め込んできたら、なんとする?」
「臆病者!」
デペイは椅子を蹴った。
青白い顔をなお青くして、肩を震わせ、華奢な脚を力一杯踏ん張って、こちらをにらみつけている。
剣こそ持っていないが、斬りかからんばかりの目だ。
ヘセティはちょっと椅子を引いた。
「……今の無礼は忘れよう」
「忘れていただかなくてけっこうです!
 兄上は、いつもそうだ!
 そうやって、ルジェトを殺した……」
「デペイ!」
兄はついに声を荒げた。
「王妃を呼び捨てにすることは、許さぬ!」
王と王弟は、兄と弟になってにらみ合う。

長い沈黙が続いた後、ヘセティが折れた。
「そなたの気持ちはよくわかった。
 メル・レー・トゥを案じてくれてうれしく思う。
 今日の言動は、それゆえのこととして、すべて許す。
 ……下がれ」
*      *      *

王弟デペイは、足音も立てずに兄の部屋を辞去した。
長い回廊を歩いて、自室へ向かう。
書物に囲まれた部屋につくと、小さくつぶやいた。
「あなたを許しはしない……」


第六回・終わり



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