剣 Shotr Stories
 [ 第七回 ]



王女は、結局なにもわからないまま、泥壁の家で一日を過ごした。
食事を運ぶおかみさんが来たり、子供たちが珍しそうにのぞきに来たり。
それ以外は、なにも起こらずに終わってしまった。
じりじりした焦りにさいなまれ、それでも自分が食べたり眠ったりするのかと思うと、腹が立ってきた。
だが、事態が動き出す時に備えて、体力を温存するのも大事なことだ。
メル・レー・トゥは寝台に座り、サンダルのひもを解こうとした。

「殿下」
右足首の結び目をほどいた時、低い声がした。
落ち着き払った響きは、昨夜の声と変わらない。
ついに、待っていた人物が来た。
王女は急いでサンダルを結びなおし、立ち上がって背を伸ばした。
「入れ」
短く言うと、パピルスの扉が開いた。
鉄の鎧に鉄の兜、長いマントをつけた男が立っている。
その横では、部下が油皿を持っていた。
オレンジ色の炎が揺れて、武装した男たちを恐ろしげに照らしている。
「エク・エンか」
王女は恐れもせずに卓につき、開いている椅子を勧めた。
エク・エンは部下から油皿を受け取ると、ひとりで家の中に入ってきた。
部下は外に出て、扉を閉める。
そのまま、歩哨に立っているような気配がした。

エク・エンは兜をとり、地面に膝をついた。
決して椅子には座らない。
王女は、なるべく怒りを抑えながら、言った。
「今度こそ、私をここに連れてきた理由を教えてもらおう。
 そなたらの目的は、何か?」
「殿下をお救いするためでございます」
昨日と同じことを答える。
王女は、一日中考えていたことを言った。
「私をここへ連れてくることは、真実、私を救ったことにはならない。
 私が行かねば、シェメウはメルを攻める。
 メルが攻められれば、いつか私も殺される」
「そのようなことは、決してありません」
エク・エンは顔を上げた。
「殿下は、シェメウの兵力が、それほど恐るべきものとお考えですか?」
妙なことを言う、とメル・レー・トゥは思った。
エク・エンは続ける。
「シェメウは、剣を振りかざして、山賊のようにメルから貢ぎ物を奪っております。
 しかし、一度でも、メルに攻め込んできたことがありましょうか?」
ない。
だが、それは当たり前だ。
メルは条約を守って、第一王女を差し出してきたのだから。
「もし本当に破壊的な兵力を持っているのなら、不可侵条約など、守るでしょうか。
 問答無用に攻め立てて、王宮を占拠した方が、早いのではありますまいか?」
「そなたは、シェメウの兵力を見せかけだけのものと申すのか?」
「少なくとも、ヘセティ一世の御代よりは、弱体化しているものと思われます」
「なぜ?」
「あまり知られていないことではございますが。
 現在のジェア王以前の三代は、傀儡(かいらい)の王でございました」
「傀儡……」
「つまり、かざりものでございます。
 シェメウには欲深な臣下どもが巣食い、王家を操って富と権力を奪い合っておりました。
 ジェア王の即位後、彼らは根こそぎ駆逐されましたが、衰退した国力は未だ回復しておりません」
こんな話は初めて聞いた。
「では、私が行かずとも、シェメウは攻めてこないというのか?」
「攻めてはくるでしょう。
 ジェア王はまだ若く、好戦的な性格です。
 しかし、迎え撃てない敵ではありません」
「結局、戦争にはなるというのか?」
「ですが、勝てます」
王女は黙った。
エク・エンは熱っぽいまなざしをこちらに向けている。
なにかを信じている者にありがちな、まっすぐな瞳だ。
メル・レー・トゥは、思わず視線をはずした。
なにかが、間違っている。
ふと父の言葉が頭をよぎった。
……王たるの務めは、民たちを守ること。
 戦は民を傷つける。
 争いを避け、自らを傷つけても、民を守るのが王……
そうして、メル・レー・トゥにも、よき王女たれと命じて、シェメウへ送り出したのだ。
「戦は避けなければならない」
王女は言った。
「時に、戦わねばならぬこともあります!」
エク・エンは言い返した。
「殿下のためなら、我々は死をも恐れません!
 メル・レー・トゥ様こそ、我らの女王!」
地面に頭を打ちつけんばかりに、平伏する。
王女は唖然とした。
「私は、女王などではない……」
「女王でございます!
 我らは、ヘセティ四世を廃し、メル・レー・トゥさまを王といただきたく存じます!」

*      *      *

書記はパピルスの束を見ながら、目録を読み上げた。
「オン国より、お祝いの品として、黄金の厨子、プント国より、北方産の馬を二十頭、馬具も二十組……」
読み上げは延々と続く。
ジェア王は、財宝の山を前にして、不機嫌だった。
書記の言葉を遮って、
「で、最大の贈り物は?」

王宮の宝物庫で。
ジェアは瞼を半分閉じ、自分の鼻越しに貢ぎ物の山を見渡した。
どの国もきちんと祝いの品々を送ってきている。
シェメウの力を十二分に認めている証拠だ。
だが、メルはどうだ?
最大の貢ぎ物は、まだ届かない。
それがなければ、ここに並ぶ品々も意味がない。

「何日、遅れている?」
ジェアは、財宝の周りをゆっくりと回りながら訊ねた。
「ははっ、かれこれ、七日……」
「道草を食っているにしては長すぎるな」
豪華な卓の上に置かれた青い杯を手に取る。
「おお、それは式の時に使うものでございます。
 神の前で、夫婦となられる時に、交わす杯……」
書記が解説した。
ジェアは、杯を手の中で回した。
全部、瑠璃で出来ている。
ふつう、瑠璃の杯と言えば、粘土や金属で作られた本体に、石の小片を象眼して作られるものだが、この杯には、金属も粘土も使われていない。
堅い瑠璃石の塊を、丁寧に鑿(のみ)で掘り抜いたものだ。
石をこれだけの形に加工するには、相当な技術がいることだろう。
磨き上げられた深く青い石肌に、金の粒子が混ざって、きらめいている。
銀河の最も美しい部分を切り取って作ったかのようだ。
重く、ひんやりした手触りが心地よい。

「陛下」
瑠璃の美しさに、少し気分が和みかけたところで、低い声がした。
振り向くと、情報将校が立っている。
ジェアは軽くうなずいて、書記の方を見た。
わずかに顎をしゃくって、「出て行け」と命じる。
書記はパピルスを丸め、そそくさと退出した。
ジェアは、貢ぎ物の椅子に座り、瑠璃の杯をもてあそんだ。
情報将校は、そっとこちらに歩み寄り、膝をつく。
「メルの王女が誘拐されました」
「なに!」
ジェアは杯を回す指を止め、鋭く問い返す。
「誰に?」
「わかりません。
 生きているのは確かなようですが……」
「とらえられている場所は?」
「それも、わかりません」
「報告の発信元は?」
「『床屋』でございます」
「では、『羊』か、『アヒル』か」
「『犬』です」
ジェアは杯を握りしめた。
『床屋』や動物の名前は暗号で、メルに放った間諜を指す。
『床屋』はシェメウ人で、メルの都で情報をまとめる役をしている。
『羊』や『アヒル』や『犬』は『床屋』が飼っている手下の間諜だ。
彼らの多くは現地人で、都のあらゆる場所から情報を集めてくる。
「『犬』か……」
ジェアは杯を握る指に力をこめる。
これまで、『犬』は、メルの王女に関する限り最も詳しい情報を送ってきた。
王女がハピの河畔に麦を実らせた話も、一番最初に『犬』がくわえてきたのだ。
『犬』なら、事件の犯人や王女の監禁先も、すぐつきとめるだろう。
それがわかったら、一気に攻め込むか。
いや……。

「開戦だ!」
ジェアは立ち上がった。
将校が目を見開く。
「ど、どこを攻めるのですか?」
「ワセトがよかろう」
「メルの、国境の町ですか?」
「都を攻めれば、財産が減る。
 メルの全ては余のものだ」
「しかし、戦は……」
「口実はある。
 なにしろ、ヘセティは条約を破棄したのだ。
 一方的にな」
メルとの不可侵条約は、第一王女の輿入れが条件なのだから。

戦をしようと決めると、ジェアは抑えがたい何かがこみ上げてくるのを感じた。
宦官の首を飾り剣で切り落とした時のことを思い出す。
鬱屈した想いが爆発しようとしている。
そうだ、俺は戦いたかったのだ!
この手で……

大笑いしそうになるのをこらえて、指に力をこめると、瑠璃の杯が砕けた。
鈍い音を立てて、青い破片が飛び散る。
そのひとかけを額に受けて、情報将校が尻餅をついた。
「陛下……」
声がふるえている。
化け物でも見ているような目つきだ。
ジェアは笑った。
「どうやら、ヒビでも入っていたようだな」
事実、そんなに力を入れた覚えはない。
瑠璃を彫った職人の腕が未熟だったのだろう。
それでも、将校の表情はひきつったままだ。
ジェアは苦笑した。
臣下たちの間に、また新たな恐怖伝説が生まれてしまうかもしれない。
陛下は、分厚い石の杯を片手で握りつぶした、と。

まあ、それもよかろう。
ジェアは手のひらに残ったかけらを投げ捨てた。
飾り剣を鳴らして、足早に宝物庫を出る。
少し遅れて、将校があたふたとついてくる気配を感じた。


第七回・終わり



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