剣 Shotr Stories
 [ 第八回 ]



それは、まさに一瞬の出来事だった。
戦車と騎馬兵が、土煙を上げて押し寄せる。
街は取り囲まれ、戦う力を持った者はひとりもいなかった。
逆らおうとした男たちは殺された。
平和の国メルの防人たちは、青銅の剣しか持っていなかった。
国境の町ワセトは、あっという間に陥落した。
太守の死骸に、長い黒髪をなびかせた王が足をかけた。
王は叫んだ。
「我は、シェメウの王ジェア。
 ヘセティ四世は、速やかに条約を履行せよ!
 王女メル・レー・トゥが来なくば、次の町を攻める!」

*      *      *

王女は音を立てないようにパピルスの扉を開けた。
自分の影が、やけに大きく地面に映っている。
外には、黒い夜が広がっていた。
エク・エンの手下たちが持っているのだろう、松明の光が点々と散らばっている。
……あれを避けていかなければならないのか。
王女は戸口から滑り出て、注意深く扉を閉めた。
振り返ると、戸の隙間から光が漏れて、いかにも中に人がいるように見える。
闇の中に体を低くして、そっと動き始めた。

こうしようと決めたのは、ワジェの一言からだった。
王女は、ずっとこの村に軟禁されていた。
あてがわれた家には、鍵もかけられておらず、村から出さえしなければ、散歩さえ自由だった。
村人たちが入れ替わり立ち替わり、世話を焼きに来てくれる。
中でも、ワジェは頻繁に現れた。
大人たちには王女の家へ行かないようにと止められていたようだが、そこはやんちゃ坊主のこと。
たくみに人の目を盗んでは、忍び込んでくる。
どこから持ってくるのか、いつもイチジクやらナツメやらハスの花やら、いろいろとお土産を届けてくれるのだった。
そして、ワジェがもたらしてくれたものは、お菓子や花ばかりではなかった。
大人たちが決して持ってくることのない『情報』だった。
ワジェは言った。
「ワセトの町が、シェメウに荒らされたんだって。
 ジェアのヤツ、お姫さまをよこさなければ、もっと戦争するって言ってるよ。
 でも、おいらたちはお姫さまをジェアなんかのとこへはやらないからね。
 エク・エンさまとおいらの父ちゃんたちで守ってあげるから」
遠い国境の町が攻められたことなど、幼い子にはピンとこないのだろう。
ワジェは無邪気に笑っていた。
王女は、全身の血が足先から抜けていってしまうかと思った。
ワジェの言葉が矢となって心臓を貫き、しばらく呼吸をするのを忘れてしまった。
私が、もたもたしているうちに。
罪もないワセトの人々が襲われた!
私が、行かなかったから……。

それで、心が決まったのだった。
最初は気持ちがはやって、直接ワセトへ向かおうかとさえ思った。
しかし、セクメトのような武器も、セケムのような機転も持っていないことを考えると、さすがに無謀だ。
とにかく都に戻るのがいい。
なんとか城門まで到達できれば、兵士たちを呼べる。
村から都までは、セケムと一緒に歩いたこともあるから、道に迷うことはないはずだ。
問題は、どうやって見張りをかわすかである。

王女は目を細めて、闇をにらんだ。
松明がともっている辺りはよく見えたが、これから進もうとするところは、まるで見えない。
まさか明かりを持ってくるわけにもいかないから、完全に手探りで進むことを余儀なくされている。
セケムと一緒だった夜は、月が大きかった。
だが、今夜は星明りしかない。
闇は容赦ない壁となって、目の前に立ちはだかっていた。
それでも、行くしかない。
王女は、明かりに背を向けて、暗い方へ暗い方へと進んだ。
辺りは静まり返って、ハピの河が流れる音だけが、かすかに響いている。
その音とも違う方向へ、王女は歩いた。
距離感がつかめないので、どれだけ進んでいるものやら見当もつかない。
歩いても歩いても足踏みをしているような気がして、もどかしい。
ふと、足の裏の感覚が変わっているのに気がついた。
湿り気のあるハピ河岸の土に、かさかさした砂がかぶっているのがわかる。
振り返ると、集落の灯が小さくなっていた。
どうにか、村から遠ざかることができたのか。
王女は胸をなでおろした。
天を仰ぐと、ケペル(黄金虫)の星座が正面に見えた。
どうやら、村の南側に出たようだ。
都は東の方角にある。
踵を直角に滑らせ、ケペルを右手につかむように向きを変えた。
あとは、まっすぐ進めばいい。
そう思うと、気持ちがはやった。
急いで都へ戻ろう。
少しでも早く、城門を叩こう。
もう一度父上に会って、叔父上にも会って……

メル・レー・トゥは、ついに走り出した。
ライオンに追われるガゼルのように。
空が飛べるなら、飛びたいと思った。
そして。
……本当に、飛んだ。

いや、実際には落ちたのだった。
やけに乾いた砂を踏んだと思ったとき、体が宙に浮いた。
しまったと思ったときには、もう遅かった。
どこに仕掛けられていたのか、青銅の鈴がけたたましく鳴る。
落とし穴だ。
王女は仰向けになって、穴の底に背中をぶつけた。
肺の中の空気が一気に固まったかと思うほど、鋭い痛みが走る。
うめき声さえでないまま、その場で硬直した。
青銅のガラガラいう音がいつまでも響いている。
蹄の音と鎧の音が近づいてきた。
堅く閉じたまぶたから透けて見えるほどに、明るい光が顔に寄せられる。
獣脂の焦げる匂いがして、炎の熱さが頬を焼いた。
「殿下」
低い男の声がする。
王女はぐったりと四肢の力を抜いた。

*      *      *

その男は、黒い布をすっぽりとかぶって、路地を進んだ。
懐の中に、陶器のかけらが入っていることを、セケムはちゃんと見ていた。
ノラ犬の鼻は、ついに姫様をさらった黒幕の居所をかぎつけようとしている。

都での調査は容易ではなかった。
笛のついた矢を王宮にブチこんだ男を追いかけ続け、ほとんど眠っていない。
男は王女の捕らえられている村には行かず、都の中をたえずウロつきまわっていた。
王軍の動きを見張り、時折、市場などで仲間と落ち合っては、連絡文を記したであろう陶片を渡していた。
その男が、初めて仲間から陶片を受け取るところを見たのだ。
情報の流れが逆になっている。
ヤツはきっと、この情報を別の誰かに伝えるはずだ。

案の定、男は行動を開始した。
セケムはそれを追いかけて、迷路の街を歩いている。
男は、ふと近くの家に入った。
やがて出てきたときには、黒い布を脱いで、こざっぱりとしたカツラをかぶっていた。
質素なロインクロス(腰布)に新しいサンダル、両腕にはパピルスの巻物を抱えている。
書記のようなかっこうだ。
どこへ行くつもりだろう?

男は路地から大通りに出た。
人ごみの中を堂々と歩いて行く。
これまでは、いかがわしい細い通りばかりをウロついていたのに。
セケムは何食わぬ顔をして、尾行を続けた。
男は真直ぐ真直ぐ歩いて行く。
メルの大路は東西を貫き、行く先は二つしかない。
ひとつは城門、もうひとつは王宮だ。
男は王宮へと真直ぐに進む。
そしてとうとう、門をくぐってしまった。

セケムは頭をひねった。
門衛たちは、男をとがめることなく、素直に通してしまっている。
……やるじゃないの。
セケムはあごをさすった。
けど、ここで見失うわけにはいかないんだよな。
小さく息をついて、きびすを返す。
城壁を回り、通用口の方へと向かった。


セケムは人足のフリをして王宮に入り込んだ。
書記に化けた男を急いで探す。
男は、堂々と王宮の庭を歩いていた。
行き交う役人たちの中にまぎれて、列柱の回廊を歩いて行く。
セケムは、ベンチや植え込みの陰に隠れながら、その後を追った。
男は迷わずに進む。
なぜか屋内には入らず、ずっと外の回廊を歩いていた。
謁見の間などがある部分からはどんどん離れ、王の家族が住まう辺りに入って行く。
優美な蓮池を横切ろうとしたところで、太った女官がやってきた。
女官は、男を呼び止める。
「これ、こんなところまで、誰の許可があって入りこんだのですか?」
キンキンと高い声がセケムの隠れている植え込みにまで届いた。
男は、ボソボソと言い訳している。
太った女官は大げさに両手をあげた。
「ああ、そう!
 それなら、文句はありません。
 お行きなさい」
明らかに怒っているのがわかった。
女官はどすどすと足音を立てながら、セケムのすぐ横を通る。
「こんなときにも、書物を注文しているなんて!
 デペイ様は何をお考えなのかしら!」
キンキンわめきながら、遠ざかっていった。

……デペイ?
セケムは女官の言葉を頭の中で反芻した。
姫様の叔父さんかい?

書記に化けた男は、更に進み、漆喰を塗った離れの扉を叩いた。
セケムは、足音を忍ばせて、白い壁に耳をつけた。
      

第八回・終わり



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