剣 Shotr Stories
 [ 第十一回 ]



ハピのほとりは、真っ黒な闇に包まれた。
静まり返った夜の中、川音がかすかに響いている。
時折、鳥が闇を引き裂くような声で啼いた。
セケムは、ワジェが教えてくれた村の様子を反芻していた。

……お姫さまがいるのは、村のいっとう西の家だよ。
エク・エンのおっちゃんがいるのは、その隣の家。
両方とも、大きな岩の板に乗っかってる。
周りには椰子もないし、パピルスもないから、隠れて近づくこともできないんだ。
しかも、黒い鎧のおっちゃんたちがウロウロしてるよ。
おいらんちや、みんなの家は、岩の板の下にある。
ビールの壺とかが散らかりっ放しの倉庫もあるし、牛や山羊が寝てる家畜小屋もあるよ。
そうそう、村の周りには、ぐるっと溝が掘ってあるんだ。
パピルスで蓋をして、その上から砂をかけて隠した、落とし穴だよ。
中には麻縄が張ってあって、青銅の鈴が仕掛けられてる。
お姫さまも、これに引っかかって、捕まっちゃったんだ……

セケムは唇をなめた。
とにかく、こちらの手駒は圧倒的に少ない。
ノラ犬一匹と、雌ライオン一頭。
正面からまともに戦うことは不可能だ。
だが、やり方によっては、望みがある。
ワジェの教えてくれたことは、セケムにひらめきをもたらした。
それが、今夜の奇襲作戦だ。

セケムは、腹に息をため、覚悟を決めてセクメトを見た。
相棒は頼もしい牙をむき、早くも臨戦態勢だ。
金色の瞳が、合図を待っている。
セケムは「シッ!」とライオンの言葉を発した。
背の高い青年と、百獣の女王は、ひとつの影となって走り出した。

まず立ちはだかるのは、青銅の鈴が仕掛けられた溝。
こんなものは、わけない。
地面をよく見きわめさえすれば、後は獣のジャンプ力があればいい。
セケムとセクメトは、最初の障害を軽々越えて、村に突っ込んだ。

前方に、鉄の鎧を着た歩哨がいる。
片手にたいまつ、片手に長い槍。
セケムは、相手が構えるより前に、セクメトの尻を叩いた。
百獣の女王はしなやかに跳躍し、鎧の胸に爪の一撃を加える。
鉄の板は爪を遮ったが、ライオンの力と重さは人間を倒すことなど造作もない。
兵士は、女王のパンチを食らって、仰向けざまにブッ倒れた。
すかさず、セケムが飛びつく。
ノラ犬は、長い腕で兵士の槍をもぎ取った。
返す勢いで、石突きを鎧の継ぎ目に突き立てる。
兵士は、カエルのような声をあげて、口から泡を吹いた。
「一丁あがり!」
まんまと鉄の武器をせしめて、女王とノラ犬は、また走り出す。

非常事態は、すぐに兵士たちに知れ渡ったようだ。
鎧を着込んだ黒い影が、パラパラと襲いかかってくる。
しかし、民家が乱立している場所では、大勢の敵に囲まれることはない。
メルの路地に慣れ親しんだセケムにとって、入り組んだところを駆け抜けるのはお手のもの。
猫族のセクメトも、立体移動は得意中の得意。
地面を平らに移動することしか知らない兵士たちを惑わし、蹴散らし、家々の間を走り回る。
そして、ワジェの言っていた散らかり放題の倉庫に飛び込んだ。
セクメトの援護を受けて、セケムは油と木ぎれをかき集める。
続いて、家畜小屋に入った。

*      *      *

「侵入者です!」
デペイとエク・エンが、本営としている家で、パピルスの地図を広げている時。
あわてふためいた兵士が駆け込んできた。
「場をわきまえよ。
 無礼だぞ」
エク・エンは静かに立ち上がって、兵士に言った。
「侵入者など、予定のうちだ。
 敵は、シェメウか?
 まさか王軍ではあるまい」
「そ、それが……」
兵士は開け放ったままの戸口を自分の背中越しに指さした。
もう見たくもない、といったおびえようだ。
エク・エンは怪訝な面もちで、戸口から半歩ほど踏み出した。
「う!」
鎧をがしゃりと鳴らして、たじろぐ。
民家群の方で、いくつものたいまつが揺らめいている。
低く太鼓を鳴らすような蹄の音が足元から響いてきた。
それはこちらに向かってくるように、だんだん大きくなる。
エク・エンは壁に立てかけてある槍をつかんだ。
「敵の軍勢は、どれくらいか!」
「ぐ、軍勢ではありません。
 避難してください!」
「何?」
そうこうしているうちに、蹄音が高くなり、炎の揺らめきが大きくなった。
闇に、敵の姿が浮かび上がる。
「あっ!?」
デペイとエク・エンは、揃ってカン高い声をあげた。

牛だ。
牛の群が突進してくる。
たいまつのように見えた炎は、一頭一頭の角に燃える木ぎれがくくりつけられたものだ。
牛たちは、炎の恐怖で猛り狂い、すさまじい勢いで走ってくる。
暴走する群の周りには、巨大な獣の影が走り回っていた。
影は、牧羊犬のように的確に群を誘導している。
民家に飛び火しないよう、気を配っているのだろうか。
炎をおそれもせず、牛の前を横切ったりする。
その一瞬、影の正体がわかった。
雌のライオンだ。
更に。
牛たちの真ん中には、得体の知れない化け物が走っている。
それは、山羊の頭を二つ持ち、手足のひょろ長い人型の影を頂いていた。
いや、決して化け物などではない。
背の高い男が、二頭の山羊に乗っているのだ。
男は、どういう器用さなのか、はねる山羊たちを巧みに操り、両足に履くようにして疾走している。
その手には手綱(?)だけではなく、あまつさえ槍らしき長物まで携えていた。

「逃げてください!」
エク・エンはそれだけ叫ぶのがやっとだった。
デペイを反対側の戸口へと押しやり、とにかく安全な場所へ避難させようとする。
「メル・レー・トゥは!」
デペイは、ほとんど悲鳴のような声をあげた。
「ただいま、お助けします!」
エク・エンは槍を握りしめて、外へ飛び出した。

*      *      *

王女は、寝台の上で悶々とした夜を過ごしていた。
眠れないでいる耳に、けたたましい叫びと獣たちの声、乱れた足音と鎧の音が響いた。
何事か、と戸口の方へ行ってみる。
鍵がかけられているから、どうせ外を見ることはできないのだが。
せめて立て付けの隙間からのぞいてみようと、顔を近づけたところで、扉が急に開いた。
「殿下!」
鉄の鎧を来た兵士が飛び込んでくる。
「なんの騒ぎだ?」
王女は訊ねる。
「敵の襲来です。
 もちろん、不安なことはございませんが、安全な場所に避難していただきたく……」
その言葉は、最後まで続かなかった。
大きな黒い影が、兵士の体を押し倒したのだ。
影は、四つ足を踏ん張って、激しく咆吼した。
百獣の女王たる、堂々とした勝ちどき。
「セクメト?」
王女は影に近寄った。
紛れもない、相棒の雌ライオンが鼻面をこすりつけてくる。
「俺様もいたりして」
頭の上で、トボケた声がした。
「セケム!」
やたらと背が高く、手も足もひょろ長い青年が、槍を持っている。
少し離れた場所に、兵士たちが数人、倒れていた。
その上を、頭に炎の冠をかぶった牛たちが、踏んづけて行く。
この騒ぎは、この男の仕業なのか……?

「遅くなってごめんな」
赤々と燃える炎を受けて、セケムの大きな口の端で犬歯が光った。
いつもの、飄々としたニヤケ顔だ。
「さあ、ズラかるぞ!」
王女の手首に、長い指がからみついた。
大きな手は、がっちりと力強く、王女を牢獄の外へと連れ出した。

第十一回・終わり



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