剣 Shotr Stories
 [ 第十二回 ]



二人と一頭は、混乱した村の中を駆け抜けた。
数人の兵士たちが襲ってきたが、セクメトの爪とセケムの無手勝流槍術の前にあっては、敵などなかった。
囲まれさえしなければいい。
王女はセクメトの尻尾を追って、必死に走った。
後詰めにはセケムがついている。
王宮を出て以来、これほど心強い気持ちがしたことはなかった。


やがて。
一同は村を出た。
いったん砂漠に出たが、セケムは王女をハピの方へといざなった。
王女が理由を問うと、
「隠れる場所があるからさ」
と答えた。
なるほど、河岸には、丈高いパピルス草が生い茂っている。
「砂漠で囲まれたら、逃げられない。
 ハピに沿って、隠れながら移動するんだ。
 日が昇る前に」
セケムは振り返らず、王女の手首をつかんでどんどん歩いて行く。
王女はついて行こうとしたものの、足がもつれて転んだ。
ひと月近く狭い場所に閉じこめられていた上、急に長い距離を走ったのだ。
疲れは頂点に達していた。
セクメトが、鼻を鳴らしながら王女の顔をなめた。
「ごめん」
セケムは王女の手を離し、膝を折った。
「ケガしたか?」
かすかな星明かりの中に、細長い顔が見える。
表情こそわからないが、心配してくれているのはよくわかる。
王女は、急いで立ち上がった。
「大丈夫。まだ歩ける」
「あ、そ」
セケムはまた王女の手首をつかみ、歩き出した。
今度は、少し歩調が緩い。
「ヤセがまんしても、しょうがないんだからね。
 それとも、おぶってあげようか?」
相変わらずのトボケた調子。
真面目なのか不真面目なのかわからない。
危機的な状況から逃れたわけではないのに。
王女は、なぜか安堵を覚えていた。
先の見えない中、どこまでもどこまでも、セケムに手を引かれて行くのが心地よいような気さえする。
「どこへ行くの?」
子供のようにきいてみた。
「さあ、どこへ行こうかね」
セケムはまたトボケた。
「御殿へは、もう帰れないだろ」
確かに。
父ヘセティがとらえられた今となっては、王宮は叔父のものだ。
あの、優しかったはずの叔父から、逃げなくてはならないのか。
「なあ、姫様」
セケムがのんびりと言った。
「このままハピを下って行けば、ムトの国に出る。
 名前を変えるだけで、誰にも姫様だとわからない」
細長い後ろ姿が、ふと止まった。
「連れてってやろうか、ムトの国へ」
ボサボサ頭はこちらを向かない。
やたらと横に張り出した肩先が、答えを待っている。
王女は言葉を探した。
……セケムは、安全な場所へ逃がしてくれるつもりだ。
でも、私は……

「ムトへは行かれない」
王女は小さな声で言った。
セケムの肩が少し持ち上がる。
そのまま立ちすくんでいると、王女は、だんだん後ろめたい気持ちになってきた。
本当は、ムトへ行ってしまいたい自分がいる。
国を捨てて、父を捨てて。
このまま、逃げれば……
「私は、王女だ!」
メル・レー・トゥは鋭く叫んだ。
自分に言い聞かせるためにも、強く声を出す必要があった。
手首に絡んだセケムの長い指が、びくりと引きつった。
その指の震えで、大きな声を出し過ぎたことに気づく。
王女はセケムの背中さえ見ることができず、うつむいた。
「……わがままばかり言って、すまない」
「別に、わがままってわけじゃないさ」
トボケ声が、頭の上で静かに響く。
王女は、真っ黒な足下を見つめながら、言葉を絞り出した。
「ワセトへ……連れていって……」
言葉の最後の方は、ほとんどかすれてしまった。
長い沈黙が続く。

やがて、セケムの指がゆるみ、ゆっくりと外れた。
「いいよ」
セケムは、抑揚のない声で短く返事した。
独り言をつぶやくように、
「姫様が行きたいなら、連れてってやるさ……どこへでも」
王女は、顔を上げた。
影ばかりの輪郭の中で、セケムの大きな口の端が持ち上がったように思った。
それは確かに笑顔だったが、本当は全然笑ってなどいない。
セクメトが、王女の心を見透かしたように、「くぅん」と鼻を鳴らした。

*      *      *
国境の町、ワセト。
シェメウとメルの境目にぽつりとあるこの町は、もともとは砦として作られたはずだ。
切り立った二つの岩山に挟まれて、谷にフタをするように城壁が巡らされている。
東の蛮族……シェメウを防ぐために作られた壁だ。
防人たちが住まううちに、だんだん大きくなっていったのだろうか。
まず兵舎があり、厩があり、軍勢を集める広場があって、その周りを取り囲むように、市場や民家がごちゃごちゃと並んでいる。
そのごちゃごちゃのせいで、砦としての機能は台無しになりつつある。
実際に生きているのは、広場と大路くらいだろうか。
カタツムリの殻がのっそり大きくなるごとく、広場を中心にじわじわ建物が増殖していったに違いない。
路地が入り組み、行き止まりだらけで、都市の動線は全く死んでいる。
いかにも、長年の平和に倦んだ国の砦らしい姿だ。

シェメウ王ジェアは、ぶんどった太守邸のテラスから、街を眺めていた。
なんとも、非合理的な町並みではないか。
電光石火の勢いで攻め落とせたのも、当然の道理だ。
ここを拠点にするとしたら、ずいぶん改良を加えなくてはならない。
ヘセティ四世は捕まえたが、出鼻をくじかれた心地さえする。
それに。
いざ、戦を起こしてみると、自国の兵力がかなり低いことがわかった。
軍律が行き届かない。
指揮官たちの能力が、思ったより低く、歩兵の動きがモタついていた。
貴族で構成された騎兵たちには、単独行動が目立つ。
平和に倦んでいたのは、メルだけではない。
軍事力を売り物とするシェメウもだ。
宦官たちは、国の財産をじわじわと腐らせてしまったのだ。
ジェアは、腰につけた飾り剣を握りしめた。
宦官の首を切り落とした時の感覚が、手のひらに蘇る。
シェメウ建て直しの道は険しい。
内政の粛正ばかりでなく、軍隊の再構築をしなければならないとは。

腹立ちのタネは、それだけではない。
メル王ヘセティ四世を捕まえたというのに、メルの大臣たちはなんの反応も示さない。
ヘセティ四世は徳高い王として、つとに有名だ。
その王を捕虜にしたのだから、相応の身代金が届くべきなのに、全くの、なしのつぶてときた。
メルの大臣たちは、王を殺されてもよいというのだろうか?
第一王女が未だに届かないことといい、バカにするにも程がある。

アテしていたものに裏切られ、怒りを抑えきれなくなったとき。
目前の庭で騒ぎが起きた。
従者たちの悲鳴と、荒々しい蹄の音がする。
やがて、植え込みを荒らし、優美な彫刻を蹴倒しながら、一頭の黒い馬が暴れ込んできた。
手綱もついていない裸馬だが、尻には軍馬の証である焼き印が押されている。
暴れ馬は、たてがみを振り乱し、調えられた庭を踏み散らかして、こちらへと向かって来た。
ジェアは、ひらりとテラスの手すりを飛び越える。
「陛下、いけません!」
あちこち擦り傷を作った従者たちが駆け込んで来た。
ジェアは、いらいらしながら馬の目をにらみつけた。
こんな獣まで、軍律に従わないとは。
むかっ腹が立つ。
黒馬は、ジェアを見て尚も猛り狂い、前足を持ち上げて威嚇した。
「静まれ!」
ジェアは、鋭い声を発した。
怒りが、ついに頂点に達する。
力任せに馬の前足をつかんだ。
従者たちの悲鳴が聞こえる。
うるさい!

馬の動きが、急に止まったように見えた。
ジェアは両手の指に思い切り力をこめて、馬の脚をにぎりしめた。
黒い暴れ馬は、雷に当たったように、棒立ちになる。
手を離すと、重たい馬体が、どうと横に倒れた。
ジェアは仁王立ちになって、自分のあご先から馬の顔を見下ろした。
黒い毛の中で、白い歯がくっきりとむきだしになっている。
馬は、泡を吹きながら、まだ猛っていた。
起きあがろうとして、四本の脚をばたばたさせている。

「陛下!」
従者たちが、やっと駆け寄ってきたが、ジェアは無視した。
生意気な馬のたてがみをつかんで引っ張る。
馬は力の方向性を得て、立ち上がった。
ジェアは、勢いに任せてその背中にまたがる。
「陛下あっ!」
従者たちが、また叫んだ。

黒い馬は、ジェアを振り落とそうとして、棒立ちになり、あるいは後足を蹴立てる。
ジェアは、かかとを思い切り馬の横腹に打ち付ける。
手綱のない馬を御するのは難しい。
たてがみをひっつかみ、内股を万力のように締め込んで、激しい揺れに耐えた。
……なぜ、言うことを聞かぬ。
なぜ、思い通りにならぬ。
俺に背くものは、許さない!

「陛下っ!」
従者たちの間から、三度目の声が上がった。
ジェアは、跳ねる馬と共に、庭の囲いを飛び越えた。
そのまま、太守邸の外へ。

広い通りをあっという間に横切り、狭い路地の中に暴れ込むと、人々がパニックを起こしながら逃げまどった。
だが、ジェアは馬を抑えることしか考えていなかった。
この暴れ馬が、思うに任せぬシェメウそのもののようで、怒りばかりがこみ上げてくる。
力が欲しい。
圧倒的な、力が欲しい。
シェメウを、メルを、クムト全土を支配する力が。

ジェアは、脚と左手で馬体にしがみつきながら、残った右手で馬の首を殴りつけた。
馬は激しくいなないて、なおも暴走する。
ワセトの街を駆け抜け、城門の兵士を蹴散らして、荒野へ出た。
兵士たちがジェアの姿を認めて、大騒ぎする。
だが、その声もあっという間に遠ざかった。

怒る王は、単騎、荒野を駆けた。


第十二回・終わり



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