剣 Shotr Stories
 [ 第十三回 ]



メル・レー・トゥはセケムの背中を眺めながら、かけるべき言葉を探していた。
岩だらけの荒野。
さらさらした砂の砂漠ではなく、岩の切り立つ峡谷を歩いている。
国境の町、ワセトに近づいている証拠だ。

セケムの背中は、いつものように少し丸まっていて、やたらと広い肩が左右にゆらゆら揺れていた。
ひどいガニ股で、膝を深く曲げて歩くものだから、頭の位置がリズムを取るように上下する。
大きな足が、独特の音を立てて、焼けた砂利を踏みしめた。

何を話したらいいものか。
セケムの飄々とした後ろ姿は、話しかけられるのを待っているように見える。
もしこれが、敵地へ赴く旅でなかったとしたら。
ただの散歩だとしたら。
他愛もないことを、たくさん話したかもしれない。
甘ったれの雌ライオンでさえ、ジャレるのを忘れてまっすぐに歩いている。
ワセトが近づけば近づくほど、空気は重くなった。

王女は、セケムの足音を聞きながら、この旅について思いを巡らせた。
ハピのほとりで、ワセトへ行くと決めてから。
セケムは、王女をずっと守ってくれた。
昼は王女の歩調に合わせ、夜は炎を絶やさず、太陽と砂とサソリと蛇と、疲れと渇きと飢えから守り抜いてくれた。
決して、楽な旅ではなかったけれど……
王女は右手でちょっと唇をおさえた。
口の中に、苦い味が蘇ってくる。


砂丘の続く平地から、少しは低い木々のある辺りへ到達した頃だ。
「そろそろオアシスがあるはず」
と、セケムは言った。
隊商たちがワセトとメルの都を往復する道筋には、いくつかの水場がある。
そのうちのひとつに、そろそろ行き当たるはずだ、と。
ふたりと一頭は、渇きをこらえながら歩き続けた。
ところが。
行き着いたオアシスは、すっかり干上がっていた。

王女は情けない声を出してへたりこんだ。
期待していた分、渇きが激しく感じられる。
セクメトは、獣らしい我慢強さで、腹を地面につけ、じっと耐えた。
渇きは同じだとわかっていながら、王女は、セクメトの方が自分よりも楽なのだと錯覚した。
「オアシスがあると、言ったではないか」
つい、八つ当たりを始める。
セケムは、ひび割れた唇から、ふう、と息を吐いた。
「水脈は生きてると思うけどな」
「掘るのか、ここを?」
「そいつァ疲れる」
「ならば、どうすればいい?」
王女はヒステリックな声を出してしまった。
自分の声で、余計に機嫌が悪くなる。
舌が上顎にくっついたまま、ミイラになりそうだ。
なんとか唾液を絞りだそうとして、
「うー……」
と怒った猫のようにうなった。

「あーあ、ベソかいちゃって」
「ベソなんか、かいてない」
「かいてますぅ」
セケムは、細長い指を両目に当てて、泣くマネをした。
大きな口を横に引っ張って、大ゲサに泣き顔を作る。
王女の表情をマネしているつもりらしい。
「あー、もったいない。
 目から水が逃げちゃう」
「うるさい!」
王女が、近くの小石をつかんで投げると、セケムはそれをひょいと避けて、両手を耳の横でひらひらさせた。
「待ってなよん」
と、フザケた節回しをつけて言い放ち、どこかへ行ってしまう。

王女とセクメトは、干上がったオアシスの前に取り残された。
目の前にある大きな窪みには、かつて水があったことを示す横縞が刻まれている。
王女は、半分砂に埋まった岩の壁に、だらしなくもたれかかった。
隊商たちが涼をとるために岩を組み上げたのだろう。
心地よい具合に影ができるようになっている。
虚ろな窪みを眺めていたら、なんとはなしに眠くなってきた。

人間の体というのは、体力を消耗したくないとき、眠りにつくようできているのか。
王女はうとうとして、どうでもいい夢を見た。
王宮の自分の部屋で、ぼんやりしている夢だ。
例によって、勉強をサボって、蓮池なんぞを眺めている。
侍女がレモン水を持ってきてくれるような気がして、ただそれを待っているのだ。
誰かが糸を紡ぐ音が聞こえる。
しゅるしゅる。
頭の高さから錘を垂らし、糸が均等な太さになるよう、指でしごく。
しゅる、しゅるしゅる……
何が気に入らないのか、足元にうずくまっていたセクメトがうなりだした。
糸紡ぎの音は大きくなる。
しゅる……しゅるしゅる……

「バカ!」
急に、セケムの怒鳴り声がした。
目を開けると、叔父の兵からぶんどった槍が、顔のすぐそばに刺さっていた。
王女は跳ね起きて、
「何をする!」
と、叫んだ。
セケムが鋭い表情で、王女のもたれていた壁をにらんでいる。
セクメトも、頭を低くし、尻を突き立てて臨戦態勢だ。
王女はゆっくりと壁の方を振り返る。
槍の穂先で、コブラがのたうっていた。

「きゃああああ!!」
王女は再び叫び声をあげた。
セケムは槍を強く引き、コブラの首を飛ばした。
毒蛇は首を失ってなお、うねうねとのたうつ。
セクメトが、長い獲物に飛びついて、猫族の踊りを始めた。
「気をつけなきゃ、だめだよ」
セケムが膝を折る。
細長い顔が、王女の目線と同じ位置まで降りてきた。
太い眉毛が砂まみれになっている。
「ほら」
突然、目の前に小さな黄色い玉が出てきた。
セケムの長い指に支えられたそれは、瓜だった。
表面がしなび、半分茶色く乾きかけていたが、瓜には違いない。
「どこで、これを……」
王女は瓜とセケムを交互に見た。
「水脈は、生きているのさ」
植物の根は、乾いた砂をあきらめずに掘り進む。
そうして出来た結実が、これか。
「まずくても、文句言うなよ」
セケムは、しなびた瓜をそっと王女の手に乗せてくれた。

その後は、さっと立ち上がって遠ざかる。
「そなたのは?」
王女は追いかけた。
「俺ァ、瓜が嫌いなんだ」
片方の眉を持ち上げて、セケムはいつものトボケ面をした。
セクメトは、蛇をかじっている。
王女が瓜を返そうとすると、セケムはセクメトの隣にしゃがんだ。
雌ライオンは仲間を見る目をセケムに向けると、コブラの尻尾を引きちぎって分けた。
血が滴る。
「姫様は、蛇が嫌いだろ?」
セケムは蛇の血をなめた。
王女は、熟し損なった瓜にそっと唇をつけた。


その苦みを思い出すと、恥ずかしさがこみあげてくる。
……私は、なんてわがままなんだろう。
それでもセケムは……
決して辛そうなそぶりは見せず、いつも飄々とトボケていた。
ボサボサ頭、長い顔、濃く太い眉、細い目、大きな口からのぞく尖った犬歯、がっちりしたあご。
全ての要素が、なんとも絶妙な具合にひきつったりゆるんだりして、あの独特なトボケ笑いを作り上げるのだ。
辛いことなんか、何もないとでも言いたげに。
どうしたら、セケムのように笑えるだろう?
困難を笑って耐え抜く強さを、どうしたら持てるのだろう?

「姫様」
セケムが、ふと振り返った。
セクメトも足を止める。
王女は、やたらと広い肩の上に乗った細長い顔を見上げた。
そこには、あの笑いがなかった。

セケムは、細い目を余計に細めて、何かに耐えていた。
ひょろ長い腕が、ゆっくりと行く手を指し示す。
「ワセトだ」
切り立つ岩壁に挟まれた、街の外壁が埃の中でかすんでいた。
目的地は、いつの間にか見えていたのだ。
セケムの背中ばかり見ていて、気付かなかった。
王女は、小さく悲鳴をあげた。

国境の町、ワセト。
シェメウに占領された街。
父上の囚われているところ。
単身乗り込んで、恐ろしいという噂の王に会って、父上の命乞いをして……
メル・レー・トゥは、今更ながら、我が身にのしかかる重圧を感じた。
にわかに、震えがくる。
自分の肩を自分でつかんだ。

セケムは、なにか言いたげな目でこちらを見ている。
ムトの国へ行こう、そう言いたいのだろう。
しかし、大きな口は堅く結ばれている。
王女が「うん」と言わないことを知っているからか。
でも……
今、セケムにそう言われたら、私は……

王女はまぶたを細め、セケムの目を見つめた。
……「ありがとう」と言おう。
ここからは、独りで行かれる。
名残を惜しんではいけない。
時が経つほどに、決心は鈍る。
このままでは。

メル・レー・トゥが唇を開きかけた時。
セケムの後ろに、砂埃が上がった。
荒々しい蹄の音がする。
若い男を乗せた黒い馬が、狂ったようにこちらへ向かってくるのだ。
セケムは、鋭い目つきになって、後ろを振り返った。
長い黒髪をなびかせた男が、馬を駆り立てている。
男は、手綱も使わず、馬のたてがみをつかんでいた。
腰に長いものが見える。
剣?

「馬賊か!」
セケムは短く言い捨てた。
王女の胴に、セケムの長い腕が巻きつく。
そのまま、ふわりと持ち上げられて、近くの岩陰へ。
枯れかけた灌木が、身の丈ほどの岩の周りに突っ立っている。
セケムはそれをかき分けて、隙間にそっと王女を隠した。

そうする間に、蹄の音が迫る。
黒い馬は目前へ駆けり来て、砂を蹴立て、止まった。
いななきと共に、身震いし、汗をまき散らす。
馬上から、低い声が降ってきた。

「メルの王女、メル・レー・トゥだな」

第十三回・終わり



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