剣 Shotr Stories
 [ 第十四回 ]



その男は、馬賊と言うにはあまりにも整った身なりをしていた。
馬上の風にあおられて、幾分乱れてはいるものの、黒々とした長い髪が胸と背中に垂れている。
むき出しの胸には、鍛えられた筋肉がからみつき、どんな黄金よりも価値のある体術の訓練を積んでいる様が見て取れた。
反らし気味の背中は、決して屈したことがないかのよう。
腰には、黄金の剣を履いている。
その剣は実用というにはあまりに飾りが多い。
色とりどりにちりばめられた宝石は、どれも質が高いようだ。
目鼻立ちは整いすぎて、黒い大理石から作ったかのごとく、冷たい。
深く彫り込まれた眼窩には、サファイアのように冴えた、青い光。
直視すれば射すくめられるようで、男が常ならぬ人物であることを、まざまざと表わしている。
乗馬も、全くの裸だが、馬賊たちが手に入れられるような駄馬ではない。
尻に軍用の烙印が押されている。
それは、糸巻きを象った文字だ。
シェメウの。

王女は、槍を持って立つセケムの背中越しに、男を見ていた。
セクメトが四つ足を踏ん張って、うなっている。
長い髪の男は、ひらりと馬から下りた。
黒馬は荒く息をしながら、その場で軽く足踏みする。
やがて、蹄を地面につけて、止まった。
見えない手綱を、見えない杭に結びつけられたかのようだ。
セクメトが尻尾をまっすぐに天へ向け、ゆっくりと前足を踏み出しながら、威嚇する。
男の目が、ちらりとライオンを一瞥した。
セクメトは、それを合図に大地を蹴る。
百獣の女王の咆吼がとどろいた。

が。
次の瞬間、王女は目を疑った。
長い髪の男は、まっすぐに立てた背骨を揺らしもしない。
腿辺りにおろしていた手を、最短距離で持ち上げると、天幕でも払う気軽さで、手刀を切った。
それは、セクメトの鼻に、モロ、ぶち当たった。
百獣の女王は、無様になぎ倒され、ごつごつした岩にたたきつけられる。
いっかなバランス感覚に長じた猫族でも、鼻を強打されたら受け身をとることなどできない。
セクメトは、肩と背中をしたたかぶつけて、うめいた。
男の方は、全く涼しい顔をしている。
ただ、長い髪だけが、腕の動きの名残をとどめて、投網のように広がった。
セクメトは頭を振り、もう一度、牙をむく。
うなりかけたところで、男はまた、ライオンを一瞥した。
青い瞳が、激しい光を放つ。
猛獣の攻撃を受けながら、まるで動じていない。

セクメトは低くうなっていたが、やがて頭を地面につけた。
金色の目をしばたたき、四肢を縮こめる。
両耳は完全に後ろを向いてしまった。
百獣の女王は怯え、むずがる子供の泣き声のような音をのどから絞り出した。

男は、整いすぎた唇に薄く笑みを浮かべ、ゆっくりとこちらへ足を踏み出す。
セクメトの様子を呆然と見ていたセケムが、我に返って、槍を握り直した。
やたらと広い肩をいからせ、王女をかばって立つ。
「誰だ、てめェは」
ノラ犬は、ヤクザな言葉で訊いた。
いつものふざけた声ではない。
犬ならぬ狼が群を守る時の、低い響きだ。

「メル・レー・トゥよ」
長い髪の男は、セケムを無視して王女を呼んだ。
セケムは槍を構える。
「勘違いしてもらっちゃ困る。
 この娘は、俺の妹だ」
ハッタリ。
「そんな立派な女じゃねェんだよ」
セケムが吐き捨てると、男は、汚いものでも見るように、整った眉をひそめた。
「ライオンを連れた娘が、他にいるか?」
確かに、そうだ。
セクメトを連れている限り、王女だと看板を背負っているようなもの。
王女はひるんだが、セケムは引かない。
「いるんだよ、時々は!」
タンカを切って、むちゃくちゃに槍を振り回した。

男は面倒そうに半身を翻した。
同時に腕が弧を描く。
無手勝流のセケムに比べ、男の動きには全くムダがない。
槍は一瞬にして男の腕に絡められ、セケムの手からすっぽ抜けた。
男は、槍を脇に挟み込み、ぴったりと静止する。
セケムは、手を伸ばして武器を取り返そうとした。
男は必要な幅だけ避けて、槍を回す。
ヒュッと風が鳴った。
体勢を崩したセケムは、たたらを踏んでよろける。
男は、必要な筋肉だけを使って、槍の柄をセケムの背中に当てた。
鈍い音がする。
肩胛骨と肩胛骨の間を打たれて、セケムはうつぶせに倒れた。
ひょろ長い手足が痙攣する。
急所を突かれては、息が出来ない。
男は槍を持ち替え、穂先を下に向けた。
セケムがうめきながら起きあがろうとする。
その喉元に、穂先は迫った。
「槍の使い方も知らぬくせに、たてつこうとは、愚かな虫よ」
男は槍をかすかに持ち上げる。
突くための備えだ。

「セケム!」
王女は岩陰から飛び出した。
王族のたしなみ程度とはいえ、武術を覚えた王女には、男の次の動きが見えていた。
脅しではない。
なぜか、この男は、ためらいもなく人を殺す。
王女は男の前に身を投げ出し、セケムの喉を守って、両手を広げた。

「セケム……?」
男は槍を控え、少しだけ眉を動かした。
「もしや、『犬』か?」
わけのわからぬことを言う。
男は独りで得心し、かすかに顎を引いてうなずいた。
「『犬』よ。
 おまえの働きは、評価している」
男は槍を遠くへ放った。
王女には、理由がわからない。

突然、セケムが悲鳴のような音を出して、息を飲んだ。
細い目をいっぱいに見開いている。
尖った犬歯が小刻みに震え、奥歯が音を立ててぶつかり合った。
かすれ声が絞り出される。
「ジ……ジェア王……」
「そうだ、余こそ、おまえの主人」
「……どうしてこんなところに……」
「散歩をしていた」
「まさか……」
「見よ。この目のことは、聞き及んでいよう?」
「……あ……青い目……」

セケムは頭をがっくりと落とした。
「あァ……」
泣き出さんばかりの声をあげ、そのまま体中の力を抜いてしまう。
ひょろ長い腕と脚を大地に預け、死んだように横たわった。
王女は、なにがなんだかわからないまま、セケムと男の顔を見比べる。

「妻よ」
男は、短く声をかけ、背中を伸ばしたまま、メル・レー・トゥを見下ろした。
「おまえが来るのを待っていた」
太い腕が伸びてくる。
メル・レー・トゥは、小刻みに首を横に振る。
セケムにしがみつくが、頼みの青年は弛緩したまま動かない。
セクメトも、耳を畳んで首を縮こめている。
容赦のない手が、メル・レー・トゥの腕をつかんだ。

「いや!」
メル・レー・トゥは鋭く叫んだ。
つかまれた腕を引いて、逃れようとする。
だが、男の手は閂のように堅い。
「そなたは誰だ!」
「ジェア、おまえの夫だ」
「嘘を申せ!
 一国の王が、こんなところに独りでいるはずがない!」
「俺は、普通の王ではないのでな。
 犬から、なにも聞かなかったのか?」
「犬……?」

王女はセケムを見た。
セケムは横たわったまま、王女を凝視していたが、やがて首を向こうへ逸らした。
「事情を話していなかったのか」
ジェアはあきれたようにため息をついた。
「それとも、ここへ来るまでの間に、つまらぬ情をわかせたか?」
セケムは動かない。
とまどう王女にかまわず、ジェアは続ける。
「妻よ。
 この男は、余の下僕だ。
 余の命令でおまえを守り、ここへ連れてきた。
 感謝するがいい」

メル・レー・トゥは、再びセケムを見た。
青年は、顔を背けたまま、動かない。
「セケム……!」
呼んでも、答えはない。
それは、ジェアの言うことが真実だということか?
セケムがここへ連れて来てくれたのは、私の望みを聞いてくれたからではなく……
命令だったからなのか?
それも、シェメウ王の。

過去の出来事が、メル・レー・トゥの脳裏に、怒濤となって押し寄せた。
市場で出会った時のこと。
空っぽの穀物倉に躍り込んできた、細長い影。
人足のフリをして、王宮まで入り込んで……
炎天下の砂漠でビールの壺を引き、メルの仕掛けを解き、鉄鎧の兵士たちを知恵と勇気で蹴散らし、長い砂漠の道を……それから、それから……
みんな、命令だったのか!

メル・レー・トゥは息をすることすら忘れて、そのまま固まった。
心という器に、大量の水を一気に流し込まれたような気がする。
何かを感じるための余裕は、もはやない。
事実という水は、入りきれずに器からこぼれてしまった。
目を開けてはいるが、何も見えない。
ジェアの力に、なすがまま、引き寄せられる。

メル・レー・トゥは馬に乗せられた。
ジェアは片腕で王女の胴を押さえ、もう片方の手で裸馬のたてがみをつかむ。
そのときになって、セクメトがよろよろと起き出した。
耳を寝かせ、悲しそうな声で鳴きながら、馬の足元をうろうろする。
鋭い爪や牙を持っていることを忘れてしまったかのように、おびえながら。
「セクメト……」
メル・レー・トゥがつぶやくと、いっそう悲しい声で鳴いた。
ジェアは、そんな獣の様子など、気にもとめない。
片手と踵で馬を操り、馬首をワセトへ向けた。
肩越しにセケムをみやり、
「犬よ!
 今日の無礼は許す!
 ワセトへ来れば褒美をとらそう!」

馬の脇腹に踵の一打が入った。
馬体が揺れて、メル・レー・トゥは急に風を感じた。
セケムは動かない。
ひょろ長い体が、遠ざかって行く。

セクメトがセケムとメル・レー・トゥを見比べながら、胸を引き裂かれるような声を上げた。
行きつ戻りつ、どちらへ進んでよいのか決めかねて、ぐるぐるまわる。

馬はワセトを指して疾走した。
セケムもセクメトも、やがて見えなくなる。
メル・レー・トゥの耳には、セクメトの悲しい声が、幻となっていつまでも残った。

第十四回・終わり



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