剣 Shotr Stories
 [ 第十六回 ]



ジェアは、飾り剣の鎖を鳴らしながら、メル・レー・トゥの前を歩いた。
歩調がやたらと速い。
ジェアが怒っているせいなのか。
メル・レー・トゥが弱っているせいなのか。
二人の兵士が、足の遅いメル・レー・トゥの腕をつかんで、無理矢理ジェアの速さに合わせた。

太守邸のある広場の辺りを過ぎると、日干しレンガの建物が、ごちゃごちゃと入り組んで並んでいた。
全ての建物は、軍用に使われているらしい。
兵士たちが忙しく動き回っている。
だが、整備された軍営という雰囲気はなく、むしろ都の裏町に近い。
ところどころに厩があって、そのどれからも入りきれない軍馬がはみ出していた。
ジェアはそんな様子に目をくれては、苦々しそうに舌打ちした。

やがて、軍営が尽きて、粗末な家が点在する区画へ到着した。
おそらく、革なめしの職人たちが住んでいた場所だと思われる。
その名残を示すような獣臭さが、辺りには立ち込めていた。
この一帯は、シェメウ軍のどんな場所として使われているのだろうか。
想像したくもない。

ジェアが足を止めた。
辺りには、あまり建物がない。
だのに、たくさんの人の気配がする。
悪臭がだんだんひどくなってきた。
これは革なめしのにおいではない。

まばらに立っている兵士たちは、みんな鼻をつまんでいた。
時折、泣き声が聞こえる。
泣いている人は、見えないのに。

全ての臭いと声は、地面からわき上がっていた。
砂漠にかげろうが立つように。
足元から、嘆きと異臭が揺らめいている。
鼻をつまんでいた兵士が、王が来たのに気付いて、敬礼した。
ジェアが軽く顎をしゃくると、兵士が駆け寄ってくる。
「ヘセティは?」
「こちらでございます」
短いやりとりの後、ジェアは再び歩きだした。

両脇の兵士に引きずられながら、メル・レー・トゥもその後に続いた。
とたん、臭いと嘆きがどうしてたちこめているのかがわかった。
地面に掘られた、穴、穴、穴。
それらはセケムの身長よりずっと深そうだが、とにかく狭い。
大人が膝を屈して、なんとか座っていられるくらいの広さだ。
その中には、囚人たちが閉じこめられ、青銅の網が天井に填め込まれている。
ここは、シェメウの牢獄なのだ!

メル・レー・トゥは悲鳴をあげた。
暗い穴の底から、やせ細った人々の顔が見上げている。
ジェアは何事もないかのように、青銅の網を踏みつけながら歩いていった。
ふと立ち止まって、兵士を呼びつける。
近くの穴を指さして、
「中身が死んでいる。
 早く埋めろ。疫病のもとだ」

あまりの残酷さに、メル・レー・トゥは歩けなくなった。
悲鳴を上げ続け、兵士の腕の中で身をよじる。
ジェアが振り向いた。
青い目に表情はない。
太い腕が伸びてきた。
メル・レー・トゥは抱え上げられ、ジェアの速度で牢獄の中を進んだ。
もがいても、ジェアは強い。
逃げることはできない。

そして、ついにジェアは足を止めた。
他の穴からは、少し離れたところに掘られた穴。
とりわけ頑丈そうな網がかかっている。
ジェアはメル・レー・トゥをその網の上におろした。
暗い穴の底には。
「お父さまあっ!」

多分、残飯でも投げ込まれたのだろう。
干からびた食べ物がこびりついた網の向こうに、父の顔が見えた。
黄金のメネス(頭巾)をかぶり、眉もひげもきちんと調えた王の顔ではない。
ひげも髪も伸び放題、体中に砂埃と残飯をかぶって、汚れにまみれている。
王のたしなみとして鍛えた逞しい四肢が、見る影もなくやせ衰えている。
メル・レー・トゥは青銅の網に指をかけた。
精一杯の力をこめて引っ張ったが、もちろん外れるようなものではない。
「出して!
 助けて!」
叫びながら、泣きながら、ジェアを見た。
長い黒髪に縁取られた顔は、無表情のままだ。
整いすぎた唇が、必要最小限の動きをする。
「おまえ次第だ」
メル・レー・トゥは青銅の網をつかみ、揺り動かそうとしながら、叫んだ。
「できない!
 私は魔法なんか使えない!」
事実だ。
どうやったら魔法が使えるかなんて、朱鷺は教えてくれなかった。
お父さまを助けたくたって、どうにもできない。
「そんなに魔法が欲しいなら、メルの塔へ取りに行けばいい!
 私は、いや!
 なにもできない!」
メル・レー・トゥは青銅の網の上に伏せた。
「メル・レー・トゥ……」
父が力のない声を出す。
暖かかった腕が、穴の底から伸びてきた。
娘は、網の隙間に腕を突っ込み、精一杯伸ばした。
届かない。

ふいに、メル・レー・トゥは網から引き剥がされた。
帯をつかまれ、宙づりにされている。
地面におろされたかと思うと、ジェアの恐ろしい顔が間近に迫っていた。
「今、なんと言った?」
青い目が、らんらんと輝いている。
「お……お父さまを助けて……」
「違う!」
ジェアの手に頭を両側からつかまれる。
「魔法を取りに行くと言ったな!」
メル・レー・トゥはしゃくりあげた。
頭を揺さぶられる。
「メルの塔だと?」
「……う……」
「案内しろ」
ジェアは、メル・レー・トゥを放した。
素早い所作で立ち上がって、兵士の方を向く。

「ヘセティを出せ!
 死なれては困る!」

*      *      *

メルの王宮には、見慣れない黒い鎧たちが闊歩していた。
王弟デペイの親衛隊だ。
いつの間に、このような兵士たちを準備していたのか。
ウネベトは、恐ろしさに改めて身震いした。

ヘセティ四世がシェメウに囚われた後。
王宮には、新しい支配者が誕生した。
おとなしい学問の虫。
公の場を嫌い、書物に埋もれた世捨ての王弟が、豹変した。

国家の主を囚われて、百官が頭をつきあわせているところに、デペイは現われた。
彼自身はいつもの書記のような格好だったが、その後ろには数十人の鎧兵が控えていた。
驚く百官に、デペイはいつにも増して青い顔をしながら、
「ヘセティを助ける必要はない」
と言い放った。
将軍や大臣たちは、色をなして異論を唱えようとした。
だが、デペイの後ろに控える兵士たちが、その場の全員を黙らせた。
シェメウの兵士たちにも劣らない鉄の装備を調えた男たちは、メルの百官を黙らせるに余りある威力を備えていた。
デペイに従うか、殺されるか。
ほとんどの者たちが前者を選んだことは、言うまでもない。

ウネベトもまた、逆らわない方の道を選んだのだった。
だが、心の底から従ったわけでもなかった。
第一王女メル・レー・トゥの教育係を務めるほどの才女である。
従ったふりをして、実は、真実の主のためになることをしようとしていた。

太った女教師は、鉄鎧の兵士たちが闊歩する中庭を横切り、王妃と子供たちが幽閉されている建物へ向かった。
食べ物を運ぶという名目である。
侍女のように、頭に果物の入った籠を乗せて歩く。
王妃たちのいる建物の前には、鎧兵がひとり、槍を持って立っていた。
兵士は、ウネベトの姿を認めると、
「手身近にな」
と言って、扉を開けてくれた。

「ウネベト」
女教師が入るなり、王妃が小走りで近寄ってきた。
泣き続けていたのだろう。
瞼が腫れて、顔中がむくんでいる。
幼い王子と王女は、十五歳くらいの侍女の腕に抱かれていた。
ウネベトは王妃たちと侍女の昼食を、小さな卓の上におろした。
王妃は、ウネベトの丸々した手を取って、泣いた。
「王妃さま。そんなに泣いては、王子さま方が心配します」
ウネベトは手を握り返しながら言った。
王妃は泣きやまない。
「わたくしは……いいえ、子供たちは、どうなるのでしょう。
 デペイ殿は、わたくしたちを殺そうとしているの?」
「今のところ、そういうつもりはないようです」
「でも、いずれは……」
王妃は消え入りそうな声で言った。
「王子には、ヘセティの血が流れていますもの」
そのまま、床に座り込む。
ウネベトは、王妃の方に手を回した。
「そうはさせませんわ」
手のひらに力をこめて、ささやく。
「しばらく、ご辛抱くださいませ。
 今、ここを抜け出す手配をしております」
「ウネベト?」
「陛下には、一生かかっても返しきれない恩を受けた私です。
 王妃さまも、王子さまも、王女さまも、きっと守ってごらんにいれます。
 その時まで、体力を落とさぬよう、お待ちくださいませ」
ウネベトは立ち上がった。
外の兵士に聞こえるような大声をわざと出す。
「それでは、王妃さま、ちゃんと召し上がってくださいませね」
ぞんざいな言い方をして、大きな尻を振りながら兵士の横を通り過ぎた。

後ろで、扉が閉まる音がする。
ウネベトは、そしらぬ顔で、王妃のいる建物を後にした。

第十六回・終わり



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