剣 Shotr Stories
 [ 第十七回 ]



メル・レー・トゥは再びメルの塔の前に立っていた。
セケムと来たときとは違う。
十人の兵士たちに取り囲まれ、両手は麻紐できつく結わえられていた。
少し離れたところに、痩せこけた父が同じように手首を戒められて座り込んでいる。
父の隣には、槍を持った兵士が立っていた。
墓穴のような牢獄でさんざん痛めつけられ、十日以上も砂漠を歩いた父には、もはや反抗する体力など残っていないというのに。

ジェアは冷酷で大胆な男だ。
メルの塔は、都からそう離れた場所にあるわけではない。
セケムと来たときには、ビール壺の中に半日もぐっていただけで、到着した。
メル軍がいかに弱小とはいえ、本営のある都のそばに、少数の兵士だけを連れて来てしまうのだから……大胆にも程がある。

メルの塔は、そんなことには全くおかまいなく、相変わらずの銀色に輝いていた。
砂上にそびえる三角形。
メル・レー・トゥが両手を広げて九十六人並べる底辺、四十八人分の高さ、円を七等分した角度。
きっちりと調った幾何的な立体は、灼熱の太陽を映して輝き続けている。
ジェアは長い黒髪を砂漠の風に放ちながら、銀の三角をにらんだ。
「入口はどこだ?」
当然の質問だ。
メルの塔の表面は、鏡のように磨き上げられている。
前に来たときの入口は、なぜかとっくに閉まっていた。

「わかりません」
メル・レー・トゥは父の方を気にしながら答えた。
「おまえは、この中に入ったのではなかったか?
 その時は、どうした」
「朱鷺が……」
言いかけて、メル・レー・トゥは怖くなり、口をつぐんだ。
こんな答えが通じるだろうか。
確かに、朱鷺の導きがあって、『息吹(トゥ)』の魔法を手に入れたのだ。
だが、素直に朱鷺が教えてくれましたと言って、ジェアが許してくれるはずはない。
黙っていると、短い質問が返ってきた。
「答えたくないのか」
その言葉を合図とするように、父の隣に立った兵士が槍を持ち直す。
「いいえ!」
メル・レー・トゥは急いで否定した。
「本当にわからないのです。
 信じていただけないかもしれませんが、朱鷺が……朱鷺が教えてくれたのです」
「朱鷺」
ジェアはこちらを振り返った。
「砂漠の真ん中に、水鳥が現われるか?」
「でも……!」
メル・レー・トゥは麻紐で結わえられた手を握りしめ、必死に訴えた。
ジェアの口元が微妙にゆるむ。
「魔法の朱鷺……あるいは神か」
挑戦するような顔つきで、メルの塔の方へ向き直った。
長い髪がたなびく。
「俺には、手に入れられないと?」
誰に語りかけるでもなく、つぶやきながら塔の前へと歩いて行く。
「おもしろいではないか」
腰につけた飾り剣の鎖が、一歩進む毎にしゃらしゃらと音をたてた。
壁にたどりついて、大きな手のひらを打ち付ける。
その反動で体の向きを変え、またメル・レー・トゥに問いかけた。
「で?
 入口はどの辺りにあったのだ」
「どうするつもり……?」
「質問に答えよ。
 どの辺りに入口があったか」
「……東の壁……」
「東の、どの辺りか」
「中央……」
「よし」
ジェアは額にかかった髪を無造作に払った。
「破壊しろ!」
鋭い、力のこもった声が砂漠の中に散る。
兵士たちは一斉に東側の壁に取りついた。


だが、花崗岩は堅い。
メルの塔がどうやって作られたかは知らないが。
普通、花崗岩を加工するには、長い時間がかかる。
岩盤に石を打ち付けて、混々と何度も叩き続け、やっと出来た溝に楔を何本も打ち込む。
それに水をかけ、膨張した木がヒビを作ったら、またそこへ楔を打ち込んで……
とにかく、気の遠くなるような作業なのだ。
シェメウの兵士がいくら鉄の道具を持っていたからと言って、花崗岩の分厚い壁を破ることなど、出来はしない。
ばかばかしい作業は夕刻まで続いたが、メルの塔の壁には、少しの傷がついたに過ぎなかった。
メル・レー・トゥは、父のそばに寄り添いながら、ただ兵士たちの作業を見続けていた。
こんなことで、塔は開くまい。
そもそも、悪しき者たちが近づけないよう、堅固に作られているはずだ。
しかし、いよいよ開かないことをジェアが認識した時には?

……私は、殺されるかもしれない。
メル・レー・トゥは漠然と思った。
殺されるのが怖いとも、嫌だとも感じなかった。
けれど、お父さまはどうなるのか。
このまま、砂漠の中を走って逃げようか?
まさか。
そんな体力は、私にもお父さまにも残っていない。

メルの塔に映っていた太陽が消えた。
セケムと来た時と同じ、緩やかな闇が降ってくる。
星がきらめき始めた。
ジェアが松明を持って近づいてくる。
風を受けて小さな火の粉を散らす明かりが、若い王の整いすぎた顔に映った。
青い目が光っている。
メル・レー・トゥは、妙に静かな心でそれを見つめていた。
やがて、荒々しい手に腕をつかまれた。

「やめよ……!」
ヘセティが絞り出すような声をあげた。
交差して戒められた手首で、ジェアの手を打つ。
メル・レー・トゥの頭をかばって、己の肩をジェアに当てた。
ふいを突かれたジェアは、メル・レー・トゥの腕を放して一歩下がった。
ヘセティは娘をかばいながら、やつれた顔を昂然と持ち上げた。
王の誇りを失わない、毅然とした態度。
痛めつけられてもなお、ヘセティは気高い。
王としてだけでなく、ひとりの父親としても清廉だ。
全く逃げ場のない状態にもかかわらず、恐れてはいない。
ジェアの整った唇に、残酷な笑みか浮かぶ。
「己の置かれた立場が、わかっているのか」
低く、怒りを含んだ声。
「余はメルの王。
 条約を守るなら、そなたの義父となる」
「ははははは……!」
ヘセティの宣言に、ジェアはあざけるような笑いで答えた。
「確かに。
 余はメル王を捕らえたつもりだった。
 だが、メルの対応がどうだったか知っておるか?
 おまえの身代金を支払おうという者は、おらぬようだぞ」
メル・レー・トゥはデペイ叔父のことを思い出して、身震いした。
お父さまは、叔父上の変節を知らない。
「おまえを生かしておく理由はただひとつ」
ジェアは松明をヘセティの顔に近づけた。
「トゥに言うことをきかせるためだ。
 ……もっとも、あまり役に立ってはいないがな!」
言葉を終えるか終えないかのうちに、ジェアは松明でヘセティの頭を払った。

父は、メル・レー・トゥから離され、砂上に倒れた。
一瞬のことなので、火傷はしていない。
しかし、強く殴打された頬には、松明のささくれが刺さって、細かな斜めの傷がついていた。
手が自由にならないため、傷を押さえることもできないまま、体を折り曲げる。
ジェアは、なおも松明を振り上げた。
「やめて!」
メル・レー・トゥは父の上に覆い被さった。
「どんなにされても、私は塔の開け方を知りません!
 それが気に入らないなら、私を打ちなさい!」
「よい心がけだ。
 ならば、望み通り……!」
怒ったジェアの一撃が、まさに振り下ろされようとした時。

カスタネットの音がした。

男のものとも女のものともつかない声がひびく。
……見よ。
ジェアも松明をおろして、声の方を振り返った。
メルの塔の上空に、水鳥が舞っていた。
「朱鷺!」
メル・レー・トゥとジェアは、同時に声をあげた。
だが、塔のそばで作業をしている兵士たちは、なにも気付いていないらしい。
ヘセティもまた、いぶかしげな顔をした。

朱鷺は、夕闇の中にありながら、白く輝いている。
くちばしと尾と脚と風切り羽が黒い。
ゆったりと旋回して、ひとりの兵士が叩いている石をつついた。
兵士は、程近くに朱鷺のくちばしがあるというのに、黙々と働いている。
朱鷺は兵士の頭上で羽を広げ、そのまま空に停止した。

「嘘ではなかったのだな」
ジェアの冷たい顔に、笑みが広がった。
長い黒髪が翻る。
若駒のように素早い動きで、ジェアはメルの塔へと走った。

朱鷺が舞い上がった。
だいぶん離れた位置にいるはずなのに、やけに大きく見える。
長いくちばしの付け根にある目が、非難の色を帯びているように思えた。
カスタネットの声が、もう一度。
黒い風切りが円を描き、銀の三角の上を旋回する。
朱鷺はこちらに一瞥くれると、そのまま、あきらめたようにハピの方角へ飛び去っていった。

メル・レー・トゥは、父に寄り添いながら、朱鷺の姿をじっと見つめていた。
やがて、水鳥は空の一角に消えた。
                        
第十七回・終わり



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