剣 Shotr Stories
 [ 第十八回 ]



朱鷺が示した石にジェアの手が触れると、メルの塔はあっけなく開いた。
終わらない作業を続けていた兵士たちが、驚きの声をあげる。
不思議な力を持った王……飾り剣で宦官の首を落とした王が、また魔力を使ったのか。
兵士たちの顔には、恐怖が浮かんでいる。

メル・レー・トゥは父から離されて、開いた入口の前に立たされた。
セケムと来た時と変わらぬ、アラバスターの回廊が続いている。
三角の壁を四角くくりぬいた空間は、緩やかに下方向へ傾斜して、どこまでもどこまでも続いていた。
奥の方は、まるで見えない。
「先に行け」
ジェアに背中を押される。
バランスを崩して、前のめりに倒れた。
両手を縛られているので、受け身をとることができない。
アラバスターのざらつきが、肩と頬の皮膚をこすった。
ジェアの手に帯を捕まれる。

猫の子のようにつまみ上げられて、自分が倒れていた場所に目を落とすと、白いアラバスターに赤いしみがついていた。
頬がひりひりする。
「案内しろ」
ジェアはメル・レー・トゥを下ろし、再び回廊の奥へ向けた。

暗い筒。
この先には、落とし穴の仕掛けがある。
真っ直ぐ進めば、たちまち仕掛けにかかって落とし穴が開き、穴の底に並ぶ刃によって串刺しにされてしまう。
セケムが見抜いたように、細い糸を避けながら慎重に進まなくてはならない。

だが、あるいは。
これは、朱鷺が与えてくれたチャンスかもしれない。
うまく罠を作動させることができれば、ジェアを穴に落とすことができる。
兵士たちも一緒に落としてしまえば、お父さまとふたり、メルの都まで……
ここまで考えて、メル・レー・トゥは頭を振った。
刃の林で串刺しになった人の姿が脳裏に浮かぶ。
恐ろしい。
ジェアはいいとしても、兵士たちはただ命令に従っているだけだ。
いや、ジェアだとて……

「どうした」
躊躇していると、肩をつかまれた。
メル・レー・トゥは下を向く。
「この先には……罠があります」
やはり、明かしてしまった。
人を殺すことはできない。

「避ける方法は?」
ジェアがたたみかける。
「明かりを貸してください」
メル・レー・トゥは交差して縛められた両手を前に出した。
ジェアが合図すると、メル・レー・トゥの両手に自由と松明が与えられた。
松明は、闇に満ちた回廊を白く照らし出した。

どういう仕掛けになっているのか、前回来た時の跡は全くなくなっていた。
最初にセケムが引っ掛かったはずの糸は、元通りに張り巡らされ、次の獲物を待ち受けていた。
メル・レー・トゥは糸を示し、触れないようにと注意を促した。
ジェアと部下たちがついてくる。
足音と息づかいと鎧のきしみが、アラバスターの壁にこだました。
暗がりの中にいくつかの炎が揺らめく。
糸を見切り、慎重にくぐり抜ける、もったりとした作業。

「あ!」
後ろの方で、誰かが声を上げた。
振り向くと、最後尾の兵士が肩先をおさえている。
「何事か!」
ジェアの鋭い声。
「糸を……切ってしまいました」

一同は騒然となった。
アラバスターの回廊に連なる十人近い兵士たちは、鎧を鳴らして怯えた声を上げた。
もうすぐ、罠が発動する……!
「トゥ、回避の方法は?」
ジェアはメル・レー・トゥの腕をつかんだ。
「わ、わかりませ……」

悲鳴をあげようとしたところで、歯車の回る音がした。
続いて、重たい石が一瞬にして移動する激しい音。
ジェアとメル・レー・トゥのすぐ後ろに、四角い穴が開いた。
足場を失って、三人の兵士が落ちる。
断末魔。

刃の林に、兵士たちは引っかかった。
ある者は仰向けに、ある者はうつぶせに。
鉄の鎧を着ていても、継ぎ目に刃が刺されば、ひとたまりもない。
口から入った刃が、後頭部に抜けている者もいる。
全身を刺し貫かれて、それでもわずかに残った命の力が、兵士たちの筋肉を痙攣させた。
遅れてにじみ出てきた血液が、刃をつたう。
喉の無事だったひとりのうめき声が、アラバスターの壁に跳ね返った。

メル・レー・トゥは、立っていることが出来なくなって、その場にへたりこもうとした。
それをジェアの冷酷な腕が引き上げる。
青い目は死骸を見つめたまま、動じもしない。
彫刻のような唇が少し動く。
「なるほど、うまい仕掛けだ。
 糸に掛かった者が気付かずに歩いた距離を計算して、穴が開くというわけか」

*      *      *

兵士たちと分断されたせいで、メル・レー・トゥはジェアとふたりきりになってしまった。
部下と分かれても、ジェアはまるで気にしていないようだ。
メル・レー・トゥは腕をつかまれ、水先案内を強要された。
泣くことも叫ぶことも許されない。
引き立てられて、アラバスターの回廊を、のろのろと進み続けた。

時間の感覚が麻痺し始めた頃、回廊はようやく終わりを迎えた。
セクメトが開けた石の扉が、元通りに閉まって、目の前に現われる。
ジェアもさすがにホッとしたのか、メル・レー・トゥの腕を放して、扉の横の壁にもたれかかった。
メル・レー・トゥは、支えを失って膝をつき、座り込む。
どうにか、松明だけを頭の上に掲げた。
扉に刻まれた神聖文字が浮かび上がる。

「何が書いてある?」
ジェアが尋ねた。
神聖文字は読めないのだろう。
メル・レー・トゥは書いてある通りを読み上げた。
「見よ。ただ見よ。考えてはならない。そのままを知解せよ」
「で?」
「それだけです」
「意味は」
「わかりません」
「ふん」
ジェアはバカにしたような顔で扉を見た。
松明の炎の中で、左右対称の頬が片側だけひきつる。
「開けろ」
ジェアは、メル・レー・トゥの腕を再びつかんだ。
松明を取り上げ、軽い体を人形のように引き上げる。
メル・レー・トゥの目は、神聖文字と同じ高さになった。
だが、ジェアの要求に応えることはできない。
……あの時は、セクメトが開けた。
あの子が扉によりかかったら、勝手に開いたのだ。

「セクメト……」
懐かしい友達の名前をつぶやくと、涙があふれてきた。
今はもう、セケムもセクメトもいない。
この扉を開けられなければ、ジェアは私を殺すのだろうか。
メル・レー・トゥは神聖文字を見つめた。
見よ。ただ見よ……

神聖文字がうるんで白く霞む。
何も見えなくなった時。

カスタネットが鳴った。

続いて、神聖文字を刻んだ扉が、静かに天井へ吸い込まれる。
ジェアが
「ほう」
と、小さく感嘆の声をあげた。
メル・レー・トゥは瞬きし、溜まった涙を外へ押しやる。
扉の向こうに朱鷺がいた。

「また会ったな」
ジェアはメル・レー・トゥをほったらかして、朱鷺のそばへ歩み寄った。
白と黒の水鳥は、闇の中でうっすらと光を放ちながら、人の高さに合わせて浮かんでいる。
「おまえは何者だ?」
ジェアは朱鷺に問うた。
朱鷺は答える代わりに羽ばたいて、奥へと後退した。
なにもない四角い部屋。
朱鷺の光に照らされて、壁画が浮かび上がる。
分かれ道に立つ青年の絵だ。
セケムと来た時と変わらない。
短い杖を持った右手で天を指し、左手で地を指した青年の肖像。
メル様式とはかけ離れた精緻な筆遣いは、あたかも生身の青年がそこにいるかのよう。
それが絵なのだと認識させるのは、頭の上に書かれた神聖文字だけ。
その文字だけが、全ての立体感を無視して浮かんでいる。
『始まり』
ジェアには読めない文字が短い言葉を語っている。

……己の道を選べ。
朱鷺は、くちばしも動かさずに言った。
男の声でも女の声でもない不思議な音が、四方に反響する。
朱鷺は、部屋を舞い、漆喰を塗った別の壁を示した。
若木で作った扉がある。
長いくちばしが、ゆったりと板を叩いた。
……扉は、ふさわしい道へ通じる。おまえの望む道へ。

「俺の望みがわかるのか?」
ジェアは操られるように朱鷺の方へと歩いていった。
……道は、己さえも判らぬ望みへと通じている。
  何も望まぬ者に、道はない。

朱鷺の言葉は謎めいて、ジェアを誘った。
長い髪がたなびいて、漆黒の空間に融ける。
がっしりした手が若木をつかんだ。
朱鷺は舞い上がり、扉の前から退く。
メル・レー・トゥは、ジェアが扉の向こうへ行こうとしているのを、ただ眺めていた。
松明に照らされて、肩甲骨辺りの筋肉が微妙に動くのが見える。
扉が開けられた。
ジェアは怖じ気もせず、大股にその向こうへ。

「あ……!」
メル・レー・トゥは、思わず一歩踏み出した。
ジェアの反り返った背中が、扉の向こうに消えてゆく。
腰に履いた飾り剣の鎖がしゃらりと音を残した。
そして、そのまま、ジェアは消えた。

決して比喩などではない。
開け放たれた扉の向こうには、漆黒の闇が広がるばかり。
ジェアが持っていた松明の光は、どこにもない。
若い王は、まさに消えたのだ。

……メル・レー・トゥ。
朱鷺が呼んだ。
黒い風切り羽が招く。
……おびえることはない。
  全てのものは、己の選んだ道を行く。
  見よ。
  彼の選んだ道を。
メル・レー・トゥは朱鷺に促されるまま、若木の扉に近づいた。
奥をのぞき込むと、あまりにも不思議な光景が拡がっていた。

第十八回・終わり



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