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第二十回 ]
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太った女教師は、はやる気持ちを抑えながら、ロバの尻を叩いた。
まわりには、同じようにロバを引く女たちが十人ほど。
どのロバも、洗濯物を山積みにした橇を引いている。
だが、ウネベトのロバだけは、洗濯物の他にも大切なものを運んでいた。
王妃と、幼い王子と王女。
ヘセティ四世の家族だ。
高貴な方々を、臭い洗濯物に埋もれさせなければならなかったのは、さすがに気が引けた。
こんなことなら、もっと痩せておけばよかった。
男装して、行商人にでも化けられれば、王妃たちもその家族として変装させることができたろう。
だが、ウネベトの体型は、王宮の名物だ。
男物のカツラをつけようが、化粧をしようが……いや、頭からすっぽりと麻布を被ったとしても、中身がウネベトであることは、誰の目にも明らかだろう。
だから、開き直った。
ウネベトはウネベトのまま、王宮を出る。
ヘセティ四世がシェメウに囚われて以来、第一王女の家庭教師の地位も暴落した。
歩き回るのに制限はないものの、デペイが支配する王宮での扱われ方は奴隷女と変わらない。
掃除、洗濯、煮炊きに機織り……だったら、その立場も利用してやろうではないか。
そうして選んだのが、この方法なのだった。
王宮の洗濯物は、数日分ためられた後、ハピの河まで運ばれて、洗われる。
都では、どうにも水量を確保できないからだ。
ウネベトは、王妃たちの軟禁されている離れへ寝具に包んだ人形を持ち込み、出てくる時には人形を置いて、汚れ物に王妃たちを包み、運び出したのだ。
人形職人と王妃の侍女には、手持ちの黄金を渡せるだけ渡した。
彼らもまた、王妃には同情的だったから、脅迫する必要はなかった。
黄金は、共謀者たちが逃亡するための元手となった。
この作戦は、かなり強引だと、我ながら思う。
人形が見つけられるのはほとんど時間の問題だし、ハピへ洗濯に行くのは、ウネベト独りではない。
ただ、都の門さえくぐることが出来れば。
里の男たちが迎えに来る。
ウネベトの出身地は、オアシスの周りに拡がる小さな街だ。
その街最大の実力者は父で、ヘセティ四世には絶対の忠誠を誓っている。
王妃と幼い王子と王女は、そこで匿うつもりだ。
計画をもちかけたら、父は二つ返事で引き受けてくれた。
後は、王妃たちを運ぶだけ。
なんとか王宮を脱出するところまでは、成功した。
ロバの列はのろのろと都大路を進み、ようやっとハピ方面の出口に達した。
そろそろ最後の関門だ。
門衛の兵士に、王宮の洗濯物であることを示し、出してもらえばそれでいい。
都を出さえすれば、こっちのものだ。
とにかく、からくりが見破られる前に、早く。
ロバの歩みの遅さを呪いながら、ウネベトと洗濯女の一行は門衛の前に立った。
兵士は、いつものことなので、特に疑っている様子もない。
ウネベトが元家庭教師であることは知っているものだから、哀れむような蔑むような目を向けている。
「洗濯物です」
「見ればわかるよ」
と、ぞんざいなやりとりが交わされる。
ウネベトにも、それなりに自尊心はあるが、今は蔑みの方がありがたい。
強く蔑んでくれればくれるほど、疑いの念は湧きがたくなる。
門衛は、ノラ猫でも追い払うように、手をひらひら振った。
山積みの洗濯物には、一瞥をくれただけで、触りもしない。
よかった、もうすぐだ。
「待て!」
門をくぐりかけたところで、ウネベトはびくりとした。
激しい蹄音と共に、怒声が追いかけてくる。
振り返ると、鉄の鎧を着込んだ五人の兵士たちが、馬上で槍を構えていた。
デペイの腹心だ。
中央の男は、エク・エンとか言う……
ウネベトは、大きく息をついて引きつった顔の筋肉を、普段の形まで緩めた。
まだ、負けが決まったわけではない。
ここにいる洗濯女たちは、みんな腹心のものだ。
いざというときには、王妃たちの乗った橇を引いて、都の外まで逃げるように言い含めてある。
要は、外で待っている父の兵士たちに、王妃たちを引き渡せればいいのだ。
たとえ、ウネベト自身がどうなろうとも。
女教師は、一世一代の説教をぶつつもりで、エク・エンに向けて微笑んだ。
鉄鎧の兵士たちは、馬を下りもせず、槍を構えてこちらへ向かってくる。
ウネベトは、女たちに手で合図し、独り、エク・エンの方へ歩み出た。
間髪入れず、馬上から重たい固まりが振ってくる。
それは、ウネベトの足すれすれの位置に落ちた。
王子を象った人形だった。
「ウネベト」
馬上でエク・エンがいきりたっている。
「メル・レー・トゥ殿下の気に入りとて、デペイ様が温情をかけてくださったのに。
アダで返すか?」
「なんのことでしょう」
しらばっくれても意味がないのはわかっている。
だが、なんとか起死回生の方策を見つけださなければ。
「ヘセティの妻と子供たちをどこへやった?」
「お話の意味がわかりかねます」
「愚弄するか、女!」
エク・エンは、手にした鉄の槍を投げた。
それは、手近にあった橇の洗濯物に突き刺さった。
「なにを!」
王妃たちの潜っている橇ではなかったものの、ウネベトはひやりとした。
エク・エンは、王妃たちを殺すつもりだ。
洗濯物をあらためるフリをして、槍で突き刺すつもりだろう。
もし、王妃たちが見つかってしまったとしても、王宮に連行されるなら、まだ次の手を講じる猶予がある。
だが、この場で殺すつもりなのだとしたら……
「狼藉は許しませぬぞ!」
ウネベトは、きっぱりと言い放った。
「デペイ殿は、メル・レー・トゥ様を女王になさるとおっしゃった。
私と姫様とは、深い信頼感で結ばれている。
私を殺すならば、姫様のご不信を買うものと覚悟なさい!」
「愚かな」
エク・エンは薄笑いを浮かべ、隣に駒を並べていた部下から、新しい槍を受け取った。
「貴様は反逆罪だ。
そして、俺は、ただ洗濯物をあらためるにすぎない。
貴様が、黄金を隠して、持ち出そうとしたらしいのでな!」
その声を合図に、エク・エンの部下たちが馬から飛び降りた。
手に手に槍を掲げて、洗濯物の橇に襲いかかる。
洗濯女たちは跳ね飛ばされた。
万事休すか!
ウネベトは虚勢を張ることもできなくなって、王妃たちが潜っている洗濯物の山に覆い被さった。
せめて、この厚い脂肪で。
ほんの一瞬でも、王妃たちの死を遅らせることができるのなら。
そう思った時、頭上に雷鳴がとどろいた。
巨大な黒い影が地面に落ち、蝿の羽音が天から落ちてくる。
ウネベトは、おそるおそる頭を持ち上げた。
そこには、常識では考えられないものたちがいた。
銀の鎧を魚の鱗のようにきらめかせた無数の兵士たちが、天空を覆い尽くしている。
全ての兵士たちの首には、長い鎖が付けられ、それがこすれて蝿のうなりのような音を立てていた。
兵士たちは、どこから現われたのか、どうして空を飛んでいるのか。
そんな疑問を抱いている余地はなかった。
銀色の巨大な蝿たちは、鎖に繋がれたまま舞い降りて、都の人々に襲いかかった。
ウネベトを突こうとしていた鉄鎧の兵士が、あっという間に捕まる。
銀の兵士は普通の人間より頭ふたつ分ほど大きくて、体型もがっちりしていた。
エク・エンの部下は、鎧に守られていない頭をつかまれる。
スイカがつぶれるような音がした。
銀の兵士は、素手で、人間の頭を握りつぶしてしまった。
ウネベトは金切り声をあげた。
まさに阿鼻叫喚の地獄図が、目の前で繰り広げられている。
銀の兵士たちに見境はないらしい。
街の人々も、洗濯女も、エク・エンの部下たちも。
等しく、兵士たちの襲撃を受けている。
ウネベトは、頭を振って、恐怖を払った。
重たい体を翻し、王妃たちの乗った橇を押す。
その動きに応じて、ロバが門の外へと歩きだした。
気の遠くなるような、のろい動き。
蝿のうなりと人々の悲鳴が辺りを包み、全ての感覚が麻痺してしまいそうだ。
ウネベトは、歯を食いしばって橇を押し続けた。
* * *
「デペイ様!」
王宮の執務室。
兄が使っていた机に肘をついているデペイの前に、鉄鎧をまとった兵士たちが十人ばかり駆け込んできた。
全員、慌てふためいて、恐怖に顔をこわばらせている。
中には、負傷している者もいた。
「戦況は?」
デペイは努めて低い声を出して尋ねた。
もちろん、激しく動揺している。
だが、部下たちにそれを悟られてはならない。
「とても戦うことはできません!
避難しましょう!」
すっかり弱腰の言葉。
肝の据わった剛力の者たちを集めたはずが、この有様か。
「避難する?
都を捨てるのか?」
デペイは拳を握りしめた。
メル・レー・トゥも行方不明のままだというのに。
怒鳴りつけようとした時、蝿の羽音が鳴り響いた。
部下たちが、更に怯えた声をあげる。
羽音はみるみる大きくなって、建物全体を包んでいるかのように感ぜられた。
続いて、天井の石が崩れ落ちてくる。
「うわあああ!」
デペイは、つい、悲鳴をあげてしまった。
穴の開いた天井から、銀色の鎧をまとった兵士たちが飛び込んでくる。
侵入者たちは、首につけられた長い鎖をならしながら、わき目もふらずにこちらへ向かってきた。
「撤退します!」
部下のひとりが、デペイの体を担ぎ上げて、走り出した。
デペイは「退くな」と言いたかったが、恐怖のために口が動かない。
無惨な遁走だった。
精鋭中の精鋭を集めた鉄鎧軍団が、ただ逃げるしかなかった。
どうして、こんなことになったのか。
銀の兵団は、何者の命令で動いているのか。
そんなことを考えているヒマもない。
デペイは王宮を捨て、都を捨て、部下たちに守られながら撤退した。
気がついたときには、砂漠の真ん中でメルの都を見つめていた。
城壁の上に、銀色の羽虫が飛び交っているように見える。
あの中から生きて這い出ることができたのは、奇跡かもしれない。
デペイは、呆然と都を眺めた。
第二十回・終わり
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