剣 Shotr Stories
 [ 第二十一回 ]



ジェアは、メルの玉座に腰を下ろして、これまでに起きた出来事を反芻した。
あっという間だった。
己の身に起きたことながら、まだ夢のように感ぜられる。

メルの塔で、紫水晶の上に立った時。
えもいわれぬ快感が脊椎を突き抜けた。
踵から頭頂まで、一本の柱が通ったような。
石の力に支配されるのが心地よかった。
だが、同時に、石が己を食らいつくそうとしているのが気に入らなかった。
タチの悪い女のようだ。
美しく激しく、思うに任せぬくせに、なぜか追いたくて仕方ない。
そういうものを手に入れる時のジェアは、いつも同じ方法を用いてきた。
すなわち、力でねじ伏せること。

ジェアは石の力と戦い、征服した。
己を食らいつくそうとする石を、反対に飲み込んでやろうと念じた。
すると、いつの間にか右手に鎖の束を握っていた。
壁画の化け物が持っていたものだ。
辺りには無数の兵士たちがいて、それらの首は鎖で繋がれている。
ジェアは、壁画の主と入れ替わっていた。

そこから先は、あまりよく覚えていない。
知らないうちに、メルの都へ飛んでいた。
かねてからずっとメルが欲しいと思っていたからなのか。
兵士たちはジェアを運び、都を制圧した。
気がつけば、もぬけの殻の王宮に立っていた。

ジェアは、メルの主となったのだ。
最初は、兵士たちを使って軍営を作ろうかと思った。
だが、魔法の兵士たちは戦うことには長けていても、建設には全く向いていなかった。
ジェア以外の人間には、誰彼かまわず襲いかかってしまう。
まさに戦うための人形なのだ。
戦さで大事なのは破壊する力だが、同時に建設する力もなければ仕方ない。
占領した都を早急に整え、本営を作る必要があるのだ。
どうしたものかと思っていると、国境の町から連れてきた人間の部下たちが来た。
メルの塔から飛び立ったジェアを追いかけて来たのだ。
ジェアは魔法兵士を消して、人間の部下たちに本営を作らせた。
国境の町へ早馬を飛ばし、メルの都をシェメウ兵で固める。

都制圧は完了した。
メルの豊かな土地も、代々蓄えられてきた財産も、全てジェアのものとなった。
魔法兵士による圧倒的な攻撃力。
シェメウ兵による征服後の建設。
メルの財産。
三つの強大な力を揃え、今やクムト全土を手に入れることが夢ではなくなった。
後は行動するだけだ。
魔法兵士たちで街を荒らし、適当なところで人間の兵を送り、制圧する。
ジェアこそが人の王。
クムトの主。

だが。
計画を完璧なものとするのに、ひとつだけ不安がある。
ジェアと同じ力を持つ者が、もうひとりいることだ。
「トゥ……」
苦々しい思いを込めて、つぶやく。

そうだ、あの娘。
14歳の子供だが、魔法に歳や腕力は関係ない。
あの娘の力は、不毛の大地に麦を生やす類のものと聞いた。
しかし、この目で見たわけではない。
メルの塔で得た魔法だ、他にもどんな作用を及ぼすのか。
知れたものではない。
もし、俺に向かってくるものがあるとすれば、それは普通の人間ではない。
魔力を持つもの。
それだけが、対等な敵となる。
メルの塔でうやむやのうちに見失ってしまったが、おそらく朱鷺がどこかへ避難させただろう。
死んだはずはない。
災いの芽は早いうちにつみ取っておかなければ……

ジェアは、メル・レー・トゥ捜索を下知した。
生死は問わず。
捕らえた者には、ビール壺一杯の黄金をとらす。
単純で、しかもヤル気を起こさせる文句だ。
シェメウの兵士はもとより、メルの民たちの中にも、この言葉に動かされる者は多かった。
多くの者たちが、こぞってメル・レー・トゥを捜した。

下知から数日が経った後。
いっこうに成果があがらぬことに苛立ち始めたジェアの元へ、伝令の兵士がやってきた。
「申し上げます!
 メル・レー・トゥを見つけることが出来ると申す男が、目通りを願っております」
玉座の肘掛けに頬杖をついたまま、ジェアは鼻を鳴らした。
「見つけられると言うのなら、捕まえてから目通りすればよいではないか」
そう言った時、広間の向こうから獣の咆吼が響いた。
侍女や小姓の悲鳴が聞こえる。
ジェアは、頬杖を解いた。

警備の兵士たちを脅しつけながら、雌ライオンが玉座の前に躍り出てきた。
続いて、肩幅ばかりがやけに広く、ひょろりと背の高い青年が現われる。
不遜にも、片手を腰に当て、行儀悪くも、ボサボサの髪をもう片方の手でかきまわしながら。

「よう、久しぶりだね、王様」
青年は、大きな口の端から、とがった犬歯を見せて言った。
「姫様を見つけるんだろ?
 俺に任せときな。
 但し褒美は、俺と、この姉ちゃんの二人分だぜ」

*      *      *

ジェアが兵士たちと一緒にメルの都へと飛び立った後。
メル・レー・トゥは、半壊したメルの塔から、朱鷺の導きで脱出した。
砂の上に降り立った時には、歩哨に立っていたシェメウ兵も、父もいなくなっていた。
広大な砂地に、メル・レー・トゥはたった独り立ち尽くした。
「お父さま……」
小さくつぶやいて、砂の上に座り込む。
朱鷺は、長い首をかすかに傾けて、こちらを見ている。
「どうしたらいいの?」
メル・レー・トゥは問うた。
「お父さまはどこ?
 都はどうなるの?
 私は……どうなるの?」
誰もいない今となっては、王女として強がる必要がない。
だから余計に気弱になってくる。
メル・レー・トゥは、14歳の娘そのものになって、泣いた。
怖くて、不安で。
言葉では表現できないような、重く激しい絶望に心を支配されている。
なにも思いつかない。
どうすることもできない。
ただ、涙を流すしかできなくて、しくしくとしゃくりあげた。
やがて、泣くことにさえ疲れて、砂の上に両足を投げ出したまま、呆然と朱鷺を見つめた。
夜が明け始めている。
暁の朱色が、朱鷺の黒い冠毛を縁取って燃えた。

朱鷺は、長いこと身じろぎもしなかったが、メル・レー・トゥが泣きやんだのを見て、ゆっくりと首を動かした。
男の声でも女の声でもない、あの静かな声で語りかけてくる。
……心を澄ませ、メル・レー・トゥ。
    よく、見るのだ。
黒い風切り羽に縁取られた白銀の翼が、朝日の中に拡がる。
メル・レー・トゥは、まぶしくて目を閉じた。
瞼の裏に、うすぼんやりとした光が映る。
朱鷺が魔法を使っているのか。
……そのままを見よ。
    少し、先の時間を映す。

メル・レー・トゥは瞼を閉じたまま、そこに映し出される光景を眺めた。
それは、朱鷺の目線で見るメルの都だった。
空を飛ぶものだけが知る、上からの眺めだ。
王宮から門までを、まっすぐに貫く大路、ごちゃごちゃした日干しレンガの家並み。
市場を行き交う様々な人々。
懐かしい都は、いつもと同じように思えた。
だが、よく見るとシェメウの兵士たちが、あちらこちらにいる。
市場では様々な品物が取り引きされているが、大道芸人はいない。
代わりに槍を持った兵士たちが並んでいる。
まるで、全ての取引を監視しようとしているかのようだ。
市場だけではない。
兵士たちは、都の至る所で、なにかを捜すようなそぶりで歩き回っていた。
朱鷺の見せる風景が、低い位置まで降りれば降りるほど、都の中に緊張した空気が漂っているのがわかった。
メル・レー・トゥは、朱鷺と一緒に飛ぶようなつもりで、都のあちこちを見回った。
門の方から大路を北上して、王宮へ向かう。
そこには、やはりジェアがいるのだろうか。

朱鷺の目は、王宮前の広場に達した。
シェメウ兵の数がいっそう多い。
北方産の脚長い軍馬がずらりと並んでいる。
教練でもしているのだろうか。
そういえば、お父さまはいつも、この広場に兵士を並べて、自ら陣形を取る訓練をしていた。
メルは戦さをする国ではなかったけれども、ちゃんと軍隊があった。
黄金のメネス(頭巾)をつけ、軍杖を左右に振って指揮するお父さまの姿は、それは堂々としていたものだった。

現在の広場に、そんな光景はない。
すっかりシェメウに占領され、恐ろしげな鉄鎧の兵士たちがずらりと並んでいる。
朱鷺の目が兵士たちの間をかき分けて、広場の中央に出た。
何本もの柱が立てられているのが見える。
その柱がなんなのか判った時、メル・レー・トゥは息を飲んだ。

処刑された人々だ。
見せしめのためだろうか。
高い位置に掲げられて、誰からもその顔がよくわかるように晒されている。
どれもが、よく見知ったものたちだった。
神官、大臣、将軍、書記、果ては料理番や小姓まで。
日々、言葉を交わし、世話になったり共に働いたりした者たちだ。
ここに並ぶ屍は、ただの物体ではない。
日常的に心を通わせた、ひとりひとり、かけがえのない人々だ。
メル・レー・トゥは恐ろしさに目を開けようとした。
怖い夢を見たときのように。
目を開けたら、この光景を見ないで済む。

しかし、そうすることはできなかった。
林立する処刑柱の中に、父の姿を見つけたからだ。
ヘセティは、他の者たちのように柱の上に掲げられてはいなかった。
まだ生きていて、荒い息をしながらシェメウの兵士たちをにらみつけている。
乾いてガサガサになった唇を、ぐっと噛みしめて、苦しみに耐えるメルの王。
両手両足には枷がつけられ、柱の根本に縛りつけられていた。

「お父さま!」
メル・レー・トゥは、目の前にその光景が広がっているかのように、両手を伸ばした。
だが、今見ているのは幻だ。
少し先の時間。
朱鷺はそう言った。
まだお父さまを助けられるのか。
処刑柱に架けられた人々を救うことができるのか。

……おまえが望むなら。
朱鷺は、メル・レー・トゥの想いを読むように答えた。
……望むなら、方法はある。
「なんでもする!
 どうすればいい?」
メル・レー・トゥは、さっきまで泣いていたことも忘れて、叫んだ。
瞼に映る未来が、幻になるなら。
どんな困難があってもいいと思った。
……ハモンの剣なら、ジェアをうち負かすことができるだろう。
「ハモンの剣?」
……イアルの野にある、まだ誰も使ったことがない魔法だ。
    おまえは、それを望むか?
「望む!」
メル・レー・トゥは強く断言した。

……ならば、行こう。
    イアルの野は、西の果てだ。
    どれだけ歩けば着くのか、それはおまえ次第。
    おまえの心が強ければ、イアルの野は現われる。
メル・レー・トゥは朱鷺の声にうなずき、目を開けた。
白銀の水鳥は黒い風切り羽を広げ、メル・レー・トゥの先に立って羽ばたいた。

第二十一回・終わり



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