剣 Shotr Stories
 [ 第二十六回 ]


番人は、大きな口を開けて、爪に掛かっていた鳥のようなものたちを飲み込んだ。
悲鳴があがる。
息もできないほどの腐臭が、メル・レー・トゥに向かって吹きかけられた。
人間なら、ふふんと鼻で笑った感じなのだろうか。
番人は角の生えた牡牛に似た頭部を、こちらへ近寄せてきた。
黄色い目玉が光る。
「……そうか、朱鷺のさしがねか」
メル・レー・トゥがなにも言わないうちから、独りで納得する。

「私の心が読めるのか?」
「読めるとも。
 だから、こうしてカァを食らっているのだ。
 カァというのは、罪に溺れたバァ(魂)のなれの果てだ」
ごていねいに説明までしてくれる。
「ここに降ってくるカァは、生きている間、悪しき選択をし続けたものたちだ。
 心が濁っている。
 ……とても美味い」
番人が食事を中断したため、カァたちが足元に溜まってきた。
鳥の姿をしているのに、飛ぶことはできないようだ。
巣から落ちた雛鳥のように地べたで震えている。
番人は、それを拾って口に運んだ。
再び悲鳴があがる。

「やめよ!」
メル・レー・トゥは、いたたまれなくなって叫んだ。
哀れな鳥のひとつひとつが、人の魂だと思うと、胸に激しい痛みを覚える。
なぜか、セケムの顔が頭をよぎった。
「そのものたちが過ちを犯したとしても、やむにやまれぬ事情があったかもしれないではないか!」
それを聞いて、番人は手を止めた。
「事情?
 そんなものは、すでに山犬が量った。
 マァト(真実)の天秤でな」
メル・レー・トゥは、イアルに入る前に見た夢を思い出した。
そういえば、私も天秤に載せられたのだ。
ハモンの青年も、同様の話をしていた。
「心がマァト(真実)の羽毛より重いものは、バァとは呼べない。
 濁ったカァとなって、この谷へ投げ落とされる」
番人が語るそばから、メル・レー・トゥの足元にもカァが落ちてきた。
弱々しい光を放つそれは、羽を縮こめて震えている。
メル・レー・トゥは、思わずカァを抱き上げた。

「愚かな」
番人は、ゆっくりと首を横に振った。
「おまえは、ハモンの剣を取りに来たのだろう?
 なのに、どうしてそんなものを拾う?」
「心が読めるのに、質問するのか?」
メル・レー・トゥはカァをかばいながら、問い返した。
番人は、全身を揺らして嗤う。
「おもしろいバァだ。
 いつもそうして、弱いものたちのことを哀れんでしまうのだな。
 守りたいと思ってしまうのだな!」
突然、長い爪がこちらに伸びてきた。
メル・レー・トゥは後ろに飛んで、それを避ける。
番人は、獲物を弄ぶ肉食獣のように、爪を振り回して追ってきた。
「ハモンの剣が欲しくば、取ってみるがいい。
 俺を倒せば、手に入るぞ!」
様々な獣の体を切り貼りした巨大な化け物が、岩盤を踏みならす。
その一歩一歩が踏み出される度に、メル・レー・トゥの軽い体は宙を舞った。
カァを抱きしめて、切り立つ岩の影に隠れる。
「丸見えだぞ!」
番人は嘲り、岩を打ち砕いた。
メル・レー・トゥは、また退く。
ただそれだけで精一杯だ。
「今、右の岩陰へ移ろうと思っているな?
 ……ほう、やめて左にするか。
 隠れられないと思っているだろう?
 そうか、悔しいか」
番人は、メル・レー・トゥが動く前から、全ておしゃべりしてくれた。
逃げることもできない。
一方的に不利な鬼ごっこだ。

さんざん弄ばれたあげく、メル・レー・トゥは、長い爪のついた手につかみ取られた。
カァをかばって交差した腕の上から、胴を締めつけられる。
胃液と血液が絞り出されるような心地がした。
番人は、メル・レー・トゥを高く掲げる。
黄色い目玉が間近に迫った。
生暖かい腐臭が吹きかけられる。
番人は、メル・レー・トゥを縦にしたり横にしたりした。
ためつすがめつ観察される、といったところか。

「なぜ、おまえの心には、恐怖が見えないのだろう。
 戦う力も持たぬくせに」
番人は勝手なことをつぶやき続けた。
メル・レー・トゥは気絶しそうになりながらも、奥歯を噛みしめて耐える。
悔しい。

やがて、番人は、ぶつぶつ言うことに飽きたのか、メル・レー・トゥの体を水平にして止めた。
やっと息がつける。
メル・レー・トゥは、番人の顔を正面から見た。
まぶたとおぼしきカサブタのような鱗が、なんともいえない嫌らしい形にたわむ。
ぞくり、と背中に嫌悪感が走った。
「バァよ。
 俺は、ここへ紛れて来たものなら、なんでも食べてよいことになっている。
 いや、食らえと命令されている」
蝿のうなりのような声が、メル・レー・トゥの髪をざわめかせた。
番人の顎が近づいてくる。
牛に似た頭部の下半分が、牛とは全く似ない形にばっくりと開いた。
メル・レー・トゥの腕の中では、カァが震えている。
……助けて……
鳥の形をした魂が、人の言葉で泣くのがわかった。
番人の口から、蛇のように長い舌が伸びてくる。
カァが、覚悟を決めたように羽を縮こめた。

メル・レー・トゥは、目を見開いたまま、漆黒の喉が開いているのをにらんだ。
この土壇場に来て、今までのことが頭の中をよぎる。
市場を駆け抜けていった、小さな男の子。
お父さま。
セケム。
叔父上。
ジェア。
お母さま。
めまぐるしく浮かんでは消える人々の顔。
その幻にかぶせて、腕に抱いたカァの震えが、心臓にまで届くような気がした。

……私は、負けられない!

メル・レー・トゥは、激しい怒りが体の芯で燃え立つのを感じた。
自分でもよくわからないが、強い力が心を支配している。
母の声が、耳の奥に甦った。
……戦いなさい。

「私は、メルを守る!」
メル・レー・トゥは全身の力を込めて、叫んでいた。
番人の長い爪に羽交いじめにされて、体を動かすことはできなかったが、声だけは出すことができる。
強い意志が、声に力を与えた。
胸腔と喉と舌が、弓弦となって、言葉を弾き出す。
辺りを覆う黒い霧が、裂けた。

「む?」
番人は、二つの黄色い光の間に、深い縦皺を寄せる。
メル・レー・トゥは、カァを抱きしめて、腕を交差したまま、番人を見据えた。
体の芯に燃え立つ怒りが、脊椎を駆け登って、額まで上がってくる。
胸元から、緑色の光がほとばしった。
「『息吹(トゥ)』……!?」
番人が、かすれ声でつぶやく。

リュートの調べが、どこからともなく聞こえてきた。
番人の手がゆるむ。
牛に似た頭部が、大きく傾いだ。
苦しみに耐えかねた声が、辺りの空気を揺るがす。
楽しげな歌声が、リュートの調べと交わった。
メル・レー・トゥの発する緑色の光から、無数の童子たちが生まれた。
童子たちは、羽もないのに空中に漂い、歌いながら踊りながら、メル・レー・トゥを支えた。
「う、歌うな……やめてくれ……!」
番人は、完全にメル・レー・トゥを放して、その場に転がった。
巨大な体が岩盤に激突する。
墓の谷は大きく揺らいだ。

子供たちの歌は、辺りの穢れを洗い流すように響いた。
単純で、厚みのある旋律が、黒い霧を払う。
メル・レー・トゥも、子供たちと一緒に歌った。
いつか聞いた調べ。
誰もが、まだ穢れを知らぬ頃。
無条件の祝福を受けながら聞いた、子守歌。

胸の中で、カァが頭をもたげた。
鳥の顔がだんだんと形を変えて、人の姿になる。
丸々とした頬の赤ん坊が、罪のない微笑みを浮かべた。
メル・レー・トゥが腕の力を緩めると、赤ん坊は『息吹(トゥ)』の子供たちに混ざって、踊り出した。
地面の上に転がっていたカァたちも、同じように人の姿を取り戻す。

墓の谷の番人だけが、苦痛の中で身をよじっていた。
穢れを食らい続けた化け物には、『息吹(トゥ)』の魔法が毒となるのか。
メルの塔よりも大きいかと思えた体が、だんだん縮んでいく。
様々な動物の部位が、ボロボロと崩れ落ちた。
メル・レー・トゥを締めつけていた長い爪も、水分の足りない粘土のように砕け散った。
断末魔が、長く尾を引く。

ついに、番人の体は朽ち果てた。
ごつごつした岩盤に、一握りの砂が盛り上がっている。
子供たちの歌がそよ風となって、砂を払った。
そこには、血のような色をした石の板が転がっていた。

……メル・レー・トゥ。

男の声でも、女の声でもない音が、頭の上から振ってきた。
見上げると、白銀の翼をきらめかせた朱鷺が舞い降りてくる。
朱鷺は、長いくちばしを剣の方へ向けて、空中に止まった。
「ハモンの剣だ」

メル・レー・トゥは、子供たちに支えられて、板の側へ降りた。
番人の化身したそれは、『息吹(トゥ)』の緑柱石に酷似している。
ただ、色だけがあくまでも赤い。
「よく戦った」
朱鷺は、板の前に降りてきて、翼をたたんだ。
「これが、ハモンの剣だ」
「剣……?」
「とるがよい」

メル・レー・トゥは、真紅の板を拾い上げた。
純度の高い紅柱石で出来ていることがわかる。
石の表面には、幅広の剣の浮き彫りが施されていた。
『息吹(トゥ)』の緑柱石と対になっているかのようだ。

朱鷺は、厳かに宣言する。
「メルへ戻ろう。
 戦いは、まだ終わっていない」



第二十七回・終わり


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