剣 Shotr Stories
 [ 第二十七回 ]


ジェアは待っていた。
たった一言だけの報せでよかった。
『王女メル・レー・トゥが見つかった』
『王女メル・レー・トゥが死んでいた』
『王女メル・レー・トゥが戦いを挑んできた』
どれでもいい。

だが、誰ひとりとして、望む答えを持ってきた者はない。
日々の報告は決まっている。
今、目の前でひざまずいている兵士も、言うことは同じなのだ。
「王女メル・レー・トゥの行方は、全く知れない。
 ……そうだな?」

ジェアは、伝令がなにか言う前に言葉を浴びせた。
兵士は体を縮こめ、床にもの申すように頭を下げて、震えた声を絞り出す。
「申しわけございませんっ!」
兵士の膝当てが大理石を小刻みに打ち、かちかちと耳障りな音が謁見の間に響いた。
ジェアは立ち上がり、飾り剣の柄に触れる。
無意識の動作だったが、伝令兵は無様に尻をついて後ずさった。
首を落とされると思ったか。
確かに、そうしてやりたい気分だが。

ジェアはわざと大きな身振りで剣の柄から手を外し、腕を組んだ。
胸を反らし、浅黒い腕越しに伝令兵を見つめる。
「『犬』はどうした?」
「……いぬ……」
「あの大口叩きだ。
 トゥを見つけてみせると大見得を切った、メルの男」
「は……セケムとかいう……
 あの男は、とんだ食わせものにございます」
ジェアの怒りの矛先を変えようとしてか、伝令兵は大袈裟に苦々しげな表情を作った。
「陛下からの報奨を受け取って以来、連絡ひとつ寄越しません。
 大方、陛下をたばかって、」
「余がたばかられると?」
ジェアは、兵士の言葉をブッた斬った。
兵士は両手で口を押さえ、目を大きく見開く。
「な、なにか……」
「誰ぞにたばかられるほど、余はうつけか?」
一歩踏み出すと、飾り剣の鎖がちゃらりと鳴った。
兵士は床に這いつくばる。
「お、お許しを……」
「去ね!」
ジェアは右手を横に払った。
肩にまといついていた長い髪が翻る。
伝令は、ほとんど奇声としかいいようのない叫びをあげて、後ずさりながら去った。
床の上に、涙か鼻水かわからない水溜まりが残っていた。

所詮、人間などあてにならぬか。
ジェアは玉座に体を投げ込んだ。
左手首に嵌めた銀色の輪に目を落とす。
それを外して手のひらに載せ、二三度握ったり離したりした。
冷たく硬い手触りの中に、魔法のざわめきが眠っている。
メルの塔で得た魔法だ。
この輪は、銀色の鎧をまとった兵士たちの首を繋いでいる鎖の柄。
魔法を発動させない時は何の変哲もない銀の塊だが、己の攻撃性を輪に集中させれば、たちまち無数の鎖が伸び、鎧兵たちが現われる。
その威力たるや、メルの都を一瞬にして陥落させたほど。
鎖をうねらせて天空を駆けり、刃向かう者を捕まえては引きちぎった狂戦士たち。
ジェアは、いつでもその力を駆使することができる。
もはや人間の中に敵はない。
ただひとり、魔法の力を持った娘、メル・レー・トゥを除いては。

恐怖など感じるジェアではない。
しかし、己の前に立ちはだかる者は、許しておけない。
たとえそれが単なる可能性であったとしても。
敵となって刃向かう恐れのある者は、叩かずにはおけない。
クムトの支配者は俺だ。

トゥは見つからないか。
うまく隠れたのか。
反撃の機会をうかがっているのか。
姿を見せぬというなら。
引きずり出すまでか!

ジェアは銀の輪を握りしめ、再び立ち上がった。
「ヘセティを晒せ!
 広場に柱を建て、王宮の主だったものを磔けよ!
 トゥが現れるまで、一人ずつ弄り殺すのだ!」

*      *      *

ハピの河は、絶え間なく水音を響かせて、北へ北へと流れ続けている。
全体から見れば中流域くらいだというのに、河幅があまりにも広くて、向こう岸が見えない。
黄土色の水がどこまでも拡がっている。
この場所がどん詰まりだということを、認識せずにはいられない。
デペイは、河岸のぎりぎりまで追いつめられているのだ。

結局、この村に戻ってきてしまった。
メル・レー・トゥを隠すのに使った貧しい農村だ。
不気味な魔法兵士どもに追い立てられ、なすすべもなく後退するしかなかった。
精鋭を集めたつもりの親衛隊も、その数を激減させている。
魔法兵士の攻撃を逃れたのは、腹心エク・エンをはじめとするわずか三十人ほど。
しかも半数は負傷している。
これでは、メルの都に戻ることもできない。
強大な力を誇るシェメウ軍と、人外の魔力を持つジェア王に、太刀打ちできるとは思えない。

「ルジェト……」
デペイは、ハピの流れに向けてつぶやいた。
「私は、メル・レー・トゥを守れるだろうか?」
君に生き写しの、君が生まれ変わったような、メル・レー・トゥを。

想いに沈んでいると、背後で金属の鳴る音がした。
振り返れば、鉄の鎧に身を固めたエク・エンがいる。
武装に隙間はないが、左肩が少しだけ下がっていた。
負傷しているのだ。
最強の部下、エク・エンさえも。

忠実な兵士は胸に手を当て、いつもと変わらぬ礼を尽くした。
沈痛な面もちで、ゆっくりと報告の言葉を述べる。
「ヘセティが晒されました」
「晒された?」
デペイは、思わず問い返した。
エク・エンは感情を殺そうとしているのか、顎を鎧の胸元に押しつけながら、低い声で報告を続ける。
「メル・レー・トゥ殿下をおびき出すためとのことです。
 ヘセティ以下、王宮の主だった者が広場に晒されています。
 そして、殿下が現われるまで、ひとりひとり……」
「……む!」
デペイは拳で胸を叩いた。
あまりにも激しい恐れがわき起こって、いたたまらなくなったからだ。
そのような道具だてをしつらえられたら!
メル・レー・トゥが出てこないはずがない。
どんな不利な状況下にあっても、ジェアの前に飛び出して行くことだろう。
自分のことなぞ、全く省みずに。

「都へ行かねば」
デペイは、想いをそのまま口に出した。
エク・エンが顔を上げる。
「それは危険です」
忠実な腹心もまた、己の想いをそのまま口に出したようだ。
確かに、正面からジェアと対峙することなど、できはしない。
しかしメル・レー・トゥを助けるだけなら、手がなくもないだろう。
デペイの心は動揺していたが、明晰な頭脳までもが乱れていたわけではなかった。
「弓を射れる者は何人いる?」

*      *      *

広場の前には、民衆がひしめいていた。
人間というのは、どうしてこう群れたがるものなのだろう。
「こんな見せ物を、見たいと思うものかね……」
セケムは大きな口を手で押さえながら、セクメトの方を振り返った。
雌ライオンは返事をする代わりに「うおん」と小さくうなった。
人語ならぬ獣の声だが、その響きには明らかな不快感がこもっている。

メルの都は、不気味な熱狂の中にあった。
原因は、広場に設置されたおぞましい舞台だ。
本来なら、臨時の市がたったり、祭りのざわめきに満ちたり、ヘセティ四世が貧弱な軍隊を教練したりする場所に。
頑丈な礎が築かれ、大人の背丈の二倍ほどもある石柱が十本、ずらりと並べられている。
蓮の花模様が刻まれた柱頭には、ボロボロに切り裂かれたいくつかの遺体が引っかけられていた。
その体は文字通り完膚無きまでに傷つけられていたが、顔だけは誰だかわかるように無傷のまま晒されている。
中のいくつかは、セケムにも見覚えがあった。
王宮に忍び込んだ時に見た、料理長や書記の顔があるように思う。
そう、ここに晒されているのは、姫様が日常生活を共にしていた人々だ。

柱の下部には、次にぶら下げられるべき犠牲者たちが縛りつけられていた。
将軍、大臣、神官、書記などの地位ある人々から、末端の侍女や小姓に至るまで。
その数はおおよそ四十人ほどといったところか。
中央の最も目立つ場所には、やつれたヘセティ四世が四肢を別々に縛られ、蜘蛛のようなかっこうで晒されている。
長い黒髪の悪魔、氷の目を持つジェア王は、メル王の隣に立って衆人を見渡していた。

広場のまわりには、鉄の鎧に身を固めたシェメウ兵がひしめいている。
兵士たちは、なにかを探すようなそぶりで、民衆をにらみつけていた。
にらまれている側の群衆は、血の臭いに興奮した獣のように、どよめいている。

セケムは、少し高くなった場所から全ての様子を見渡していた。
通りに面した日干しレンガの建物の上。
正面に目をやれば、縦並びの処刑柱とジェアの横顔が見える。
民衆が右手、王宮が左手だ。

「メルの民よ!」
ジェアが叫んだ。
残酷な王の声は、この開けた場所にあってもよく響く。
かなり後ろの方にいる民衆までも、呼びかけに反応してどよめき渡った。
その波が収まると、人々は次の言葉を求めて静まり返った。
「この処刑は、諸君らから財産を搾取したメル王家を誅するために行なうものである」
ジェアが征服者の理屈を述べると、民衆は歓声をあげた。
そもそも、メルから財産を搾取していたのは、他ならぬシェメウであるというのに。
人々はそれを忘れてしまったのだろうか。
セケムは細い目を更に細めて、醜悪な人の波を眺めた。
言葉では表現できない苛立ちが、腹の奥底でわだかまっている。

ふと、セクメトが注意を促すような調子で鼻を鳴らした。
振り返ると、ライオンの鼻先は人混みの一角を指している。
肩から下を日よけの麻布で覆った男たちが、人の波を泳いでいる。
ひとりずつ単独で動いているが、セケムの位置から見れば、彼らが魚の群のように一定の方向性をもって移動しているのは明らかだった。
不穏な魚たちは、十五匹ほど。
人をかき分けかき分け、広場の方に向かっている。
男たちの手には、布で覆われた長い棒が握られていた。

「あいつら……!」
ノラ犬の勘は、瞬時に男たちの正体を告げた。
デペイの兵士たちだ。
持っているのは、弓に違いない。
王宮近くの路地で、笛つきの矢に鼻先をかすめられた時のことを思い出す。

まずいぞ、とつぶやきかけた時、セクメトが哀調のこもった声で鳴いた。
セケムは再びライオンの鼻が示す先を見る。
思わず叫びそうになって、ようやく口を押さえた。

カツラをつけた少年が群衆の中にいる。
長い腕を左右に回しながら、人混みをすり抜け、広場へ向かって行く。
ひしめく人をかき分けているというのに、少年の動きはガゼルのようにしなやかだ。
浅黒い顔が、なぜか前方より少し高いところに向けられていた。
まるで、空を飛ぶものに導かれるように。
セケムは、アーモンド型の瞼に縁取られた黒曜石の瞳を見た。
距離的には見えるはずなどないのだが。
間違いない。
市場で初めて会った時と同じだ。

……姫様!

セケムは日干しレンガの屋根から飛び降りた。
全く同時に、セクメトのしなやかな体も、地面を目指して弧を描いた。


第二十七回・終わり

©Nihon Falcom Corporation.
All rights reserved.